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壁当ての少年とブラックホール

僕の実家から歩いて5分くらいのところを美丘川という川が流れている。野球をやっていた頃、そこの土手を走るのが日課だった。美丘川という名前は今になって思えば丘なのか川なのかよく分からない不思議な名前で、「美」という文字がついていながら、実際のところは工場からの汚水が混じった汚い川だった。それなりに大きな川で立派な土手があり、向こう側に渡れる二車線ある橋がおおよそ2キロごとにかかっていた。

なぜ2キロごとか分かるかと言えば、実際に地図で距離を測り、自分が走る際の目安にしていたからだ。小学校1年生から地元の少年野球チームに入っていた僕は、4年生に上がるとピッチャーを務めることになり、下半身強化の一環としてランニングを自分に課していた。もっとも、走ることは好きではない。先ほど土手を走ることを「日課」と言ったが語弊がある。気分が乗らない日はなんだかんだ理由をつけて走るのを怠っていた。

しかしながら一度やると決めたら適度に怠けつつも完全に中断はしないという信念を持っていた僕は、その習慣を部活を引退する中学校3年生まで続けていた。勉強も忙しくなり、部活も毎日あったため頻度はさらに減ったが、それでも週に一回のペースで土手を走っていた。

そんなある日のこと、いつものように橋から次の橋までの2キロを走っていたとき、ふと何か音が聞こえた。

「ドン、ドン、ドン」

一定間隔で何かが壁に当たる音だ。音の主を求めて橋の下に視線を向けると、そこには無心で壁当てをする一人の少年がいた。

まだ小学校低学年だろうか。親に記念に買ってもらったであろうグローブはその小さな体にはまだ大きく、硬さが取れていないため何度もボールを弾いていた。投球フォームも拙い。おそらく野球を習い始めたばかりなのだろう。これから上手くなりたいという意気込みでせっせと壁当てをしに来たに違いない。ただそれも長続きはしないだろう。1週間、いや3日続けばいい方だ。そのうち友達と遊ぶ方が楽しいことに気がついてやめてしまうだろう。

少年の姿に懐かしさを覚えながら、僕はその場を後にした。

しかし予想に反して少年はその後も毎日壁当てをしに現れた。夕方、土手を走っていると、例の橋に近づくたびに「ドン、ドン、ドン」とボールが壁に当たる音が聞こえた。

次の日も、その次の日も。少年は壁当てをしに現れた。

当時僕は中学三年の六月で、いよいよ最後の大会を迎えようとしていた。大会までの一カ月間は野球を優先し、走り込みの頻度も上げていたので余程疲れていない限りは毎日土手を走っていた。

「走る」という行為はひどく退屈な行為である。ランニングを始めて6年が経とうとしていたが、楽しいと思えたことはほとんどない。むしろ苦しいという感情がほとんどを占めていた。息は上がるし、脇腹は痛くなるし、おまけにひどい筋肉痛に襲われる。

ピッチャーとしてスタミナをつけるために走り込んでいたが、中学の大会は7回までしかなく、どちらかと言えば瞬発力が求められる。それでも走り続けたのは意地だったのだろうか。誰かと競い合っているわけではないが、今さら止めるのもためらわれるので走り続けていた。

いよいよ最後の大会を明日に控えた日も、僕はいつものように土手を走った。軽く流すにとどめたが、それでもしっかり橋から橋まで2キロを走った。

「ドッ、ドッ、ドッ」

その日もいつもと同じように少年の壁当ての音が聞こえた。まだ始めて1ヶ月も立っていないが、かつての「ドン」から「ドッ」という音に変わり、まだフォームは未完成ながらも球速が上がっていた。このまま壁当てを続けてコンクリートを打ち砕き、橋ごと壊してしまうつもりではなかろうか。

「ドッ、ドッ、ドッ」

最後の大会に向け静かな興奮を感じながら家路についた僕の背中を、少年の壁当ての音がどこまでも追いかけてきた。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 

久々に実家に帰ると、懐かしい街の雰囲気に胸がいっぱいになる。なんの特徴もなく、大した愛着もなかったはずなのに、これが故郷というものなのだろうか。ここなら心から落ち着けるといった安堵感が一気に押し寄せてくる。

今日、僕は会社の研修を終え、週明けから配属先に向かう前に一度実家に帰っていた。実家とは言え、大学入学以来4年もいなかったので身の置き場に困る。そうだ、外の空気を吸いに行こう。散歩をするなら、あそこしかないか。

久しぶりの川沿いの景色はあの頃と何も変わっていなかった。川は汚いままで、遠くには煙がのぼる工場が見える。あの頃は少しも気づかなかったが、こうして見ると日没前の川沿いの景色は美しいと呼べるのかもしれない。工場の背後に太陽が沈んでいく。生茂る背の高い雑草の輪郭が次第にぼやけていく。

あの頃と何か一つ違うところがあるとすれば、道が整備されたことだろうか。ただの土だった道には真っ白な砂利が敷き詰められていた。日没前、赤い夕日が消えると、一瞬だけ白いぼんやりとした光が差し込める。それが白い砂利と合わさり、道と空と、そして川の境界が曖昧になる。やがてすぐにあたりは夜に変わるが、この世界の境界が曖昧になる一瞬は僕の心を奪った。あの頃は息を切らして走ることだけに夢中で気がつかなかったが、美丘川にはこんな一面もあったらしい。

さて、日も沈んだので帰ろうかと思ったそのとき

「シュッ、パーン、シュッ、パーン」という音が聞こえてきた。

これは一体何だろう。音のする方へ歩いてみると、そこには壁当てをする一人の青年がいた。長らく野球から離れていたのですぐに気がつかなかったが、この「シュッ」という音はボールの回転数が大きいために生まれる音だった。日が暮れてよく見えないが、シュッという音とともに白いボールが一瞬見え、次の瞬間「パーン」というボールが勢いよく跳ね返る音が聞こえた。

そしてボールを投げていたのはあの少年だった。いや、今はとっくに少年ではない。がっちりとした広い肩幅に太い足、そして丸めた坊主頭。すっかり青年になった一人の男がそこに立っていた。

「シュッ、パーン、シュッ、パーン」

彼はボールを投げ続ける。学校のものと思しきエナメルバッグがすぐそばに置いてあることから、おそらく高校生なのだろう。本当に橋を壊してしまうのではないかと思わせるような豪速球を、一心不乱に投げている。

そして彼がボールを投げるコンクリートの白い柱には、一点の大きな黒ずみがった。そこに吸い込まれるかのようにボールが投げ込まれていく。この黒ずみは彼が同じところにボールを投げ続けた結果できたものだった。普通であればボールが当たった部分は白くなるはずだが、同じ場所に投げ続けた結果表面の塗装が剥がれ、その中にある黒い部分が現れてきたのだ。

いよいよ夜を迎えあたりは真っ暗になっていた。土手の電灯が壁当てをする彼を照らす。コンクリートの白い柱は、電灯の光を反射しより白くなる。そして柱についた黒ずみは白との対比でいっそう黒く見え、それはまるでボールを吸い込むブラックホールのようだった。

「シュッ、パーン、シュッ、パーン」

小気味いいボールの音が、一定のリズムで響き渡る。

「シュッ、パーン、シュッ、パーン」

彼はあれからも、ずっとこうして壁当てをしていたのだろうか。

「シュッ、パーン、シュッ、パーン」

最後に土手を走った次の日の最後の大会、僕はめった打ちにされた。3回途中で降板し、あっけなく試合に敗れた。

「シュッ、パーン、シュッ、パーン」

やれることはやった。後悔もなかった。初回に4点を失い調子を崩し、その後も立ち直ることはできなかったが、それは相手が強かったからだと割り切った。そしてその日から僕は走ることをやめた。

「シュッ、パーン、シュッ、パーン」

高校では野球をしなかった。部活にも入らず、勉強して遊んで、何の拘束もない自由な3年間を謳歌した。

「シュッ、パーン、シュッ、パーン」

大学ではたまに集まって野球をするサークルに入り、バットを持つ回数よりもビールジョッキを持った回数の方が多かった。3年生になってからは、周りに流されながらそれなりに就活を頑張った。思ってもいない志望動機を喪服みたいなリクルートスーツを着てぺらぺらと話し、行きたかった会社に内定をもらった。そして卒業し、この春から働き出した。

「シュッ、パーン、シュッ、パーン」

しかし今の僕は、自分が望んだ人生を、本当の意味で歩んでいるのだろうか。

「シュッ、パーン、シュッ、パーン」

あの日、試合に負けた日、僕がやめたのは走ることだけだったのだろうか。何かもっと大切なことも、一緒にやめてしまったのではないだろうか。

「シュッ、パーン」

壁当てをする彼のように、何か一つのことに、狂ったように熱中できていたら、こうしてもどかしい気持ちを抱かず、成長した彼に声でもかけることができたのではないだろうか。

「シュッ、パーン...」

壁当てを終えた彼が、自転車を押しながら土手に登ってきた。僕の横を通り過ぎるときに軽く会釈をされたように感じたが、僕はよく見ていなかった。

さっきまで彼が壁当てをしていたコンクリートの柱には、まるでボールの摩擦で焦げてしまったかのような黒ずみがぽつんと残されていた。

僕はその黒ずみを、まるでブラックホールに吸い込まれるかのように、いつまでも、いつまでも見つめていた。


(壁当ての少年とブラックホール 完)



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