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仕事ができないから無能というわけではない


僕は仕事ができない。

こんな賢そうな記事ばかり書いていると「きっとこいつは仕事ができるに違いない」とよく思われるのだが、実は全く違う。昔から言われたことを覚えたり、単純作業をこなすことがとても苦手だった。

飲食店でバイトしていた頃、締め作業を覚えるのがとても苦痛だった。皿を洗い、床を掃き、ガス栓を締め、ゴミを分別し捨て、鍵を閉める。あまりにこなすべき作業が膨大で、2年働いても全然覚えられず、みんなの足を引っ張ってしまった。

塾でバイトをしていた頃もそうだった。塾では決められたマニュアルに沿って授業をしたり、丸つけをしなくてはならない。細かく定められたルールが全く覚えられず、自分が思う分かりやすい授業をし、書いてることの本質があっていれば丸をつけるというやり方で添削をしていたら「何も分かってないじゃないか」と塾長に怒られた。

そして同様に勉強もあまり得意ではない。僕は問題を解くのがとても遅い。授業で課題が出されても何を言ってるのかすぐ理解できず、ゆっくり時間をかけて理解したのち、どうにか解くことができている。受験勉強も苦痛でしかなかったし、大学に入っても課題をこなすのに苦労している。

こんな感じで仕事ができなかったり、勉強が思うように進まない度に「ああ、なんて無能なんだろう」と落ち込んできた。しかし「仕事ができないということは決して無能というわけではない」ということが実体験と共に分かってきた。

結論から言えば、仕事をこなす能力と、その他の能力は使う頭の部分が全然違う。以下に僕の考えを詳しく書いていく。この記事をきっかけに、仕事ができなくて自己肯定感が下がっている人が自信を取り戻してくれたらこの上なく嬉しい。

さて、先ほど「仕事をこなす能力と、その他の能力は使う頭の部分が全然違う」と書いた。ここでいうその他の能力とは「自分で仕事を作る能力」だ。

どういうことか。

まず「仕事をこなす能力」とは「指示されたことをできるだけ素早く言われた通りに実行する能力」だと僕は考えている。決められた手順でお店の締め作業をしたり、マニュアル通りに授業をしたり、習った手順で問題を解いたり。仕事をこなす能力があればこれらの作業を人より速く正確に行うことができる。

そして「仕事をこなす能力」の高低は「興味がなくてもきちんと実行できるか」によって変わってくる。例えば僕の場合、お店の締め作業やマニュアル通りの授業、電磁気の問題を解くといったタスクには興味がない。興味がないということはやる気も出ない。モチベーションが高まらないわけである。

一方でやる気が出なくても与えられたタスクをこなせる人は強い。「これはやらなくてはいけない仕事だ」と腹を決め黙々と作業する。これができる人は仕事が速いわけだ。

もちろん興味があればあるほど強い。締め作業をいかに効率化し最短で終わらせるかに熱中できたり、電磁気が好きで仕方ない人はこれらのタスクも楽しんでこなせるはずだ。

以上のように、僕が仕事ができないのは「作業内容に興味がなくモチベーションが上がらないから」ということが分かった。

しかしこの困った性格は「自分で仕事を作る能力」とはあまり関係がない。それゆえ、仕事ができないからといって無能ということにはならない。

「自分で仕事を作る能力」とは「誰にも指示されたりせず、自分でやりたいことを見つけ打ち込める力」である。

僕の場合はこのnoteがそうだ。noteを書けなんて誰にも一言も指示されていない。ただ自分が文章を書くことが好きで、書いているうちに得意になって、楽しくて仕方がないから書いてるだけだ。そして文章を書くという作業においては僕は人並み以上に能力があると自負している。

文章を書くときに重要になるのは「調べる力」と「伝える力」だ。気になるテーマについてひたすらググり、どうすればより多くの人に理解してもらえるか頭を働かせ構成を考えなくてはならない。それと同時に見出しをつけたり、誤字脱字をチェックしたりと、さっきの締め作業や丸つけのような単純作業も必須になってくる。

しかしこのような根気のいる単純作業も、自分が好きなことなら喜んで頑張れる。文章を書くという作業は他の人にとっては苦痛なことかもしれないが、僕にとって好きな得意分野なので、今ならおそらく平均的な人の5倍の速さで書き上げることができると思う。

つまり、「仕事ができない」というのは自分がその仕事に興味がないからであり、逆に興味がある好きなことが見つけられば驚異的に能力を発揮できる可能性があるのだ。

最近読んだ「ゼロ・トゥ・ワン: 君はゼロから何を生み出せるか」という有名なビジネス書に「何かをゼロから生み出す力と、既にあるものを伸ばす力は全く異なる」という内容が書いてあった。

これはまさに「仕事ができないから無能というわけではない理論」にも応用できる考えだ。

既にある仕事をこなす能力と、自ら考え仕事を生み出す能力は全く違う。

どちらも兼ね備えているのが理想だが、より価値があるのは後者の方だと僕は思っている。大多数の人ができることより、自分にしかできないことを見つけ、それに打ち込む方がよりその先に広がる可能性が大きい。

この考えに達してから、仕事ができなくても落ち込むことはほとんどなくなった。

人には向き不向きがある。

ある程度は矯正できても、完全に変えることができない。

変わらない事実に悩むより、自分ができることを見つけた方が人生は楽しい。

できないことばかりに気を取られて落ち込まない。

できること、そして好きで得意なことに集中し、前を向いて生きていこうと思う。


最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!