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この世には目に見えない魔法の輪がある

幼い頃に両親を亡くし、血縁のない養父母とともに暮らす12歳の杏奈は、その境遇から学校や家庭の中で疎外されていると思い込み、心を閉ざしていた。

「この世には目に見えない魔法の輪がある。輪には内側と外側があって、私は外側の人間。」

次第に心を病んでいった杏奈は喘息を患い、療養のために海辺の村で暮らすことになる。その村には湿地屋敷と呼ばれる無人の屋敷があり、杏奈はその屋敷に引き寄せられるように足を運ぶ。そして無人のはずの屋敷で、杏奈はそこに長く住んでると語る謎の少女・マーニーに出会う。杏奈と同じく孤独を感じながら生きるマーニーに、次第に心を開いていく杏奈。そんな2人の友情を幻想的に描いた作品がスタジオジブリの映画「思い出のマーニー」だ。

ジブリにしてはかなりシリアスな話から始まるこの作品は、大ヒットとまでは行かなかったが、ジブリが好きで好きで仕方がなかった僕は当然のように公開初日に見にいった。もう7年も前になる。そして7年経った今も、「この世には目に見えない魔法の輪がある」というセリフが僕の頭の中を巡っている。

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この世には目に見えない魔法の輪がある。輪によって世界は2つに分断される。内側と外側。2つの世界は隣あってはいても、交わることはない。僕もずっと、輪の外側に生きている気がした。

大学に入ってからずっと長い間、僕は一体何になれるんだろうと、出口の見えない問いにぶつかっていた。キャンパスを闊歩する容姿端麗で華やかな男女。一緒に授業を受け、サークルに行き、週末はBBQや海、そして長期休みには海外旅行。どれも僕には無縁の世界だった。第一志望の大学に落ち失意のなか授業を受け、学費を稼ぐため塾でバイトをし、サークルに行く時間も気力も、旅行に行くお金もなかった。

彼らは輪の内側にいた。そして僕は外側にいた。どうしたら内側に行けるんだろう。20歳の僕は輪の外側で、悶々と毎日を過ごしていた。


輪はどこにでもある。

大人と子ども。金持ちと貧乏人。資本家と労働者。生産者と消費者。社交的な人間と内向的な人間。ある輪では内側に、そしてある輪では外側に。いろいろな輪の中に、外に、僕たちは生きている。

あれから数年が経ち、僕は気が付くといろんな輪の中にいた。少しだけ社交的になり、少しだけ勇気を持って文章を書いた結果、いろんな輪の中に入ることができた。輪の内側の世界は、外側の世界とは全く違っていた。

その一つが、他人の目は気にせず、自分が好きなことに好きなように取り組むことが当たり前の輪だ。輪の外側にいたときは、自分から何かを発信したり、好きなものを好きと堂々と伝える行為は、みっともなくて恥ずかしい行為とされていた。だから周りがやらないことを始めれば馬鹿にされ、叩かれた。でも今はそんなことは絶対にない。なぜなら僕は今、好きなことを好きだと言えるの輪の中にいるから。もし馬鹿にしてくる人が現れても、その人は輪の外側の人間だということ。輪の内側と外側は、全く世界が異なる。だから、彼らと交わることはない。

ふと振り返ると、20歳の僕が憧れていた輪の内側の世界は、いまでは僕の輪の外側にある。あの輪は、側から見れば華やかに見えても、その内側は惰性で友達付き合いをし、目立たぬようみんなと歩調を合わせる世界だった。そんな世界は、僕が望んだものではなかった。あの頃は寂しかったから、何かの輪の中に入ることを望んでいた。しかし、僕が本当に求めていた輪は他の場所にあった。

こう考えると、輪の外側にも無数の輪があることが分かる。例えば、惰性の友達付き合いの輪の中では、1人だけ周りと違う行動を取ることは、輪の外側に弾き出されることを意味していた。迎合せず、自分の好奇心に素直な人間は輪の内側から追い出される。じゃあ、追い出されて輪の外側に行った人間が孤独で寂しい人生を送るのかと言うと、そうではない。

輪の外側には、また別の輪がある。そしてその輪の中には、彼を受け入れてくれる人がいる。僕はこの事実に気がついてから、楽に生きられるようになった。ある特定の輪の内側にこだわる必要はない。輪から追い出されても、また別の輪がきっとある。

その輪は、追い出した人間たちには見えない。追い出した彼らは輪の内側にいると思っていても、それはまた別の輪からしたら外側の世界なのだ。輪は至る所に散らばり、ある輪から見れば内側の点も、別の輪から見れば外側になる。

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いろんな輪の内側を見てみたいと僕は思っている。魔法の輪は、その内側に入るまで目に見えない。固定観念に縛られていると、知らず知らずのうちにまだ見ぬ輪の内側から自分を自分で締め出している可能性がある。

僕は輪の内側?それとも外側?

いろんな魔法の輪の内側を覗いてみたい。まだ知らない世界に足を踏み込み、いろんな人と言葉を交わしたい。そのために自分が居心地がいいと感じているこの輪さえも、自由に形を変え、大きくし、時には輪の外に飛び出していけないとダメなんだ。

24歳の僕は、思い出のマニーを見た17歳の夏よりも、輪の外側に自分はいると孤独を感じていた20歳の春よりも、いろんな輪の内側を覗くことができた。それでも、まだ僕の知らない見えない輪が、あちらこちらに広がっている。その輪をこれからも探していく。気づかないうちに自分で自分を話の外側へ追いやらないよう、気をつけて歩きながら......


この世には目に見えない魔法の輪がある。輪には内側と外側がある。

あなたは内側の人間?それとも外側の人間?




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最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!