お金持ちがさらにお金持ちになれる理由は「ご飯を奢れるから」
最近、友達にご飯を奢ることが増えたのだが、そこでひとつ見つけたものがある。それは「お金を持ってる人はなぜさらにお金持ちになれるか」この問いに対する答えだ。
至って簡単。それは「ご飯を奢れるから」だ。お金持ちは、お金があるから、人にご飯を奢れる。ここまではいい。ではなぜ人にご飯を奢ったらさらにお金持ちになれるのだろうか。
僕は大学生という身分なこともあり、社会人の方からご飯をご馳走になることが多い。素直にとても嬉しいし、美味しいご飯をご馳走してもらって感謝しかない。しかしこの「奢られる」という一連の流れを分析すると、お金持ちがさらにお金持ちになる理由が見えてくる。
ご飯を奢ってもらったら、まともな人間なら感謝をする。「ごちそうさまでした!ありがとうございます!」もちろんお礼を言うわけだ。しかしこのとき、奢られた側は「ご飯」をもらっただけではない。このとき奢ってくれた人に対して「借り」ができるのだ。
「借り」ができると、人はどうするだろうか。まともな人間なら返そうとするはずだ。借りたものは返さなくてはいけない。3歳で学んだことである。ではあなたは何をするだろうか。
1番わかりやすいのは次に一緒にご飯に行ったときに、今度は自分がお金を出すことだ。同じくらいの金額を出せばちょうど借りはチャラになる。しかしこれはなかなか実現しにくい。特に年上の人と行った場合、前回ご馳走になったから今回は僕が出します、なんてことにはならないだろう。ご飯をご飯で返せるのは同い年の友人くらいで、これは万能な借りの返し方ではない。
ではどうするか。それはお金以外の「自分にしかない形のない資産」で借りを返すのだ。この「自分にしかない形のない資産」とは、時間や人間関係、はたまた知識だったり、なんでもある。
例えば僕は借りがある人に「ちょっと今度引っ越すことになって、家具運ぶの手伝ってくれない?」と言われてら2秒で「行きます!」と返事をする。もちろん目上の人にお願いされたから行くというのもあるが、それ以上に「今まで散々お世話になったんだからその借りを手伝って少しでも返したい!」という気持ちが強いからだ。このとき僕は自分の「時間」を使って借りを返している。このようにお金を使わずとも借りを返すことはできる。
人間関係で借りを返すとは「人を紹介すること」だ。例えば会社を経営してる人に「中島くんの大学の友達にマーケティングに興味ありそうな意識高い学生いない?インターン募集してるんだけど」と言われたら、すぐにでも目ぼしい友達に声をかける。大学生の友達が多いのは大学生なら当然だ。しかし彼は社会人である。なかなか年下の大学生の知り合いはいないだろう。つまり僕が意識の高い大学生の友達がたくさんいるというのは、彼になくて僕にしかない資産なのだ。こうして僕は彼が求める優秀な人材を紹介することで、借りを少しでも返すことができる。
時間と人以外でも知識で借りを返すこともできる。学生の知り合いが少ないのと同じで、年上の方々は今の若者の事情に疎い。みんなどんな会社を目指して就活をしていて、何が好きなのか。何が流行っていて、どれに興味があるのかについては、確実に僕の方が知っている。だから質問をされればすぐに答えることができる。
このようにご飯をご馳走してもらった借りはお金以外に時間や人間関係、知識など形のない資産を使って返すことができる。ここまではいいだろう。ではなぜ彼らは借りを返されることでさらにお金持ちになるのだろうか。
それは「奢ったご飯代<返してもらった借り」だからだ。例えば引越しを僕が2時間手伝ったとしよう。その人の時給が5000円なら、僕が2時間手伝うことで彼はその2時間を自分の仕事に使うことができる。つまり5000円×2時間で1万円の価値を生み出すことができる。仮に僕が5000円のディナーを奢ってもらったとしても、差額にして5000円得してるわけだ。
人間関係についてもそうだ。先ほどはインターンの例を紹介したが、普通にWantedlyなど求人サイトで募集をかけたら1人採用するのに数十万円もお金がかかる。それが僕の紹介なら0円だ。ご飯を5000円奢っただけで数十万円得するなら超お得だ。ここでも「奢ったご飯代<返してもらった借り」が成り立つ。知識にしてもそうで、僕が提供した彼が知らなかった情報を元に新しい商売を初めて大当たりしたら、何百万とか何千万とか、億単位の利益を産むことだってある。
このように借りを返してもらうことで、彼らは奢った金額以上のリターンを得ることができる。その結果として彼らはさらにお金持ちになるのだ。
「ちょっと待ってくれ。そんな話を単純化するなよ。そんなきっちり借りを返す人間ばかりじゃないし、返された借りだって100%役に立つわけないじゃないか」と思うかもしれない。
おっしゃる通り。ご飯を奢ったところで、「奢られて当然」みたいな人もいれば、良かれと思って借りを返しても見当違いなこともある。例えばインターン生を紹介したら実はとんでもない怠惰な奴ですぐに飛んでしまったりとか。そんなことは日常茶飯事だ。
しかしこれは確率の問題なのだ。お金持ち、というより自分の頭で考えて商売していろんな失敗を経験してきた人は100人が100人まともな人間じゃないことは十分理解している。どんなに良くても、誠実かつきっちり借りを返してくれるのは100人中5人くらいだろう。しかしそれでも構わない。なぜなら彼らお金持ちにとって100人にご飯を奢ることは朝飯前であり、借りが有益な形で返ってこなくても何も問題ないのだ。宝くじみたいなものなのだ。
つまり彼らお金持ちは、気軽にいろんな人にご飯を奢れる。ここまで僕はリターンがどうとか一生懸命に書いたが、お金持ちはそんなことは気にしていない。自分が楽しいからご飯を奢っているのだ。しかしまともな人間ならそれに借りを感じて絶対にいつか返そうとする。そしてお金持ちは、というより自分の頭で考えてお金を稼いでいる人間は、返ってきた恩を最大限活用するのがとても上手だ。紹介されたインターン生の能力を最大限引き出すことに長けていて、彼に払う時給以上の価値を発揮させるだろう。自分が知らなかった知識は納得が行くまで自分で学び、それを使って新しい商売を成功させるだろう。こんな感じで100人中5人しか有益な借りを返さなくても、その返ってきた借りを最大限活用することでさらなる富がお金持ちに入るわけだ。
金銭感覚の違いについても言及したい。お金持ちにとっての1万円と、一般人にとっての1万円は全く価値が違う。例えば年収1億円の人にとっての1万円はどのくらいの価値だろうか。わかりやすいように比で考えよう。大学生はどんなに頑張ってもバイトだけしてるなら最大でも年収は100万円だ。1億対1万の比で考えると、年収1億円の人にとっての1万円は年収100万円の大学生にとっての100円になる。
つまり年収1億円の人は、大学生がコンビニでツナマヨおにぎり1個買う感覚で1万円を使える。おにぎりを買う感覚で1万円の服を買い、1万円のショーを見る。これをご飯に置換えよう。もしあなたが1万円の焼肉のコースを奢ってもらったらどう感じるだろうか。めちゃくちゃ嬉しいはずだ。このnoteを読んでる大多数の人は嬉しいに違いない。もちろん僕だって超嬉しい。しかし年収1億円の人には僕らが小さい子にツナマヨおにぎりを奢ってるくらいの感覚なのだ。つまり彼らは、僕らが小さい子にツナマヨおにぎりを奢るくらいの感覚で、僕たち若者をとんでもなく感激させることができるのだ。ツナマヨおにぎりを配るだけでこんなに喜んでくれて、こんなに借りを感じてくれるなら費用対効果が超高い。そのツナマヨおにぎりが何千倍、何万倍にもなって返ってくるかもしれないのだ。だったら奢りまくるに決まっている。
以上のことからお金持ちにとっての1万円と、一般人にとっての1万円は全く価値が異なり、同じ1万円を使っても得られる幸福度が全く違う。その差を使ってお金持ちは借りを与えまくる。この借りは「恩」とも呼べる。要するにお金持ちはお金が多いが故に、気軽に大量の人に「恩」をばらまけるのだ。ばらまいた恩は別に返ってこなくてもいい。返ってきて役に立たなくてもいい。そのうち数個でも有益であれば全てがペイできるのだ。極めて合理的な戦略なのである。
僕はこの事実に気づいてから、いつもより友人にご飯を奢る回数が増えた。別に1万円のディナーを奢る必要はない。スタバ1杯でも、1000円のランチでもなんでもいいのだ。奢らなくてもいい。飲み会の幹事を買って出たり、レポートを手伝ってあげたりとか。それでもいいのだ。
このとき大切なのは「これやったからお金ちょうだい」と要求しないことだ。金にがめついのが見苦しいのもそうだが、他にある。それはお金をもらった瞬間、相手が感じた借りがリセットされてしまうからだ。自分は何かをしてあげて、その対価としてお金をもらった。これで貸し借りゼロ。リセットなのだ。そうではない。目先のお金に価値はない。別の形で返してもらった方がリターンは大きくなる。
一方で奢られ続けることにも問題があることに触れておこう。特定の1人に極度に奢られまくるとあとで大変なことになる。その人からの借りが自分で処理しきれないくらい膨れ上がると、その人の言うこと全てに従わざるを得なくなる。あまりピンとこないかもしれないので分かりやすい例を考えた。あなたは会社員で厳しくも面倒見のいい上司に仕事のいろはを教えてもらった。おまけにいろんな高級レストランにも連れてってもらい、キャバクラにも何度も行った。お会計は全て上司持ちだ。しかしあるときあなたは会社を辞めて転職しようとする。それに上司は猛反対。「お前は俺がしてやったことを忘れたのか」と。あなたはまだ借りが返せていないことを思い出し、自分の夢を諦めてしまうかもしれない。これが典型的な借りすぎた借りに縛られるパターンだ。借りが溜まりすぎると自由を失うこともある。最も自分が好きでしてきた借りを急に返せと迫るのは一番みっともないのでそんな上司はさっさと切り捨てた方がいいのは当たり前なのだが。
以上のことから、誰かにご飯を奢るなど恩を売ることは「投資」だと僕は思っている。そしてこれは誰にでもできることだ。ここに僕が書いたことは真理だという自信がある。
最も、奢る相手は信頼できる相手に限る。誰にでも奢っていいわけではない。そこの見極めは大切だ。そして借りが必ずしも返ってこないことも頭に入れておくべきだ。何より「あのとき俺奢ったよね?借りあるよね?それ返してくれる?」みたいな態度は最悪だ。それは押し付けである。大前提として見返りを求めて何かを奢るのは間違っている。確率の問題であることを忘れないでほしい。今ここに書いたことは潜在意識のように頭の中で概念として理解しておいて、それを日常生活にさりげなく落とし込むことが正しい。
ちなみにこのnoteを書き終えて一息ついてたときにそういえば似たテーマを扱ってた本があったなと思い出し、その場でKindle本を買って読んだ。こちらだ。
ここで僕が書いたことをもっと抽象度高く、人類はなぜ贈与するのかまで広げて書いていてとても面白かった。面白すぎて200ページ以上あるのに1時間で読んでしまった。興味がある方はぜひ。
お金がなくてもできることはたくさんある。自分の頭で考えて、この世界の真理を探ろう。それでは素敵な1日を。
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