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【失敗を語る2】野球部の部長になって部活崩壊してバットを投げつけられた話


いいリーダーとはなんだろうか。

「誰よりも行動する」「メンバーの責任を全て引き受ける」「みんなが頑張れる雰囲気を作れる」

人によっていろんな答えがあるだろう。僕も今まで、何度もいいリーダーとは何か自問し、試行錯誤してきた。僕は決していいリーダーではない。残念ながら今のところは。そして現状、執筆という作業にはリーダーシップは求められない。全て一人で決め、一人で書き、一人で黙々と進めるからだ。

しかしいつかリーダーとして組織を率いてみたいという気持ちはずっとある。会社で働く場合にせよ、起業して独立するにせよ、何か大きな目標をみんなで成し遂げてみたいという想いがある。しかしその前向きな思いは、過去にチームで頑張った経験が楽しかったから、というポジティブな体験から生まれたわけではない。むしろ逆だ。過去にリーダーとして過ちを犯し、組織崩壊させてしまった苦い経験が僕にはある。

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中学二年生の夏に、僕は野球部の部長になった。僕の中学校はただの地元の公立中学校で、とても治安が悪い。クラスの半分は掛け算ができなかったし、文章を読むこともできなかった。本を読んでいれば異端扱いされ、頭の良さではなく喧嘩の強さでスクールカーストが決まっていた。そんな環境の中で、僕は「超」がつくほどの優等生だった。小学校からずっと学級委員で成績もトップだった。もちろん、周りのレベルが低すぎるだけで相対的に僕が優秀に見えていたのもある。部活も真面目にこなし、野球もそれなりにうまくてレギュラーを一年生のうちにとっていた僕が部長になるのは当然の流れだった。

ここで簡単に当時の野球部について書こう。例えるならばルーキーズのような野球部だった。

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僕以外の部員の半分はいわゆる不良で、万引き暴力事件飲酒・喫煙を繰り返し、よく警察沙汰になっていた。タバコを学校のトイレで吸うのも当たり前で、後輩の一人は薬物をやっていたのがバレて鑑別所に入れられた。ここまで書くと恐ろしい場所のように思えるが、案外僕と彼らの関係は良好だった。いくら考えていることが違うとはいえ、同じ部活の仲間であり、勉強ができたことでも一目置かれていた。しかし悪事の片棒を担ぐのは絶対に嫌なので、決して彼らと遊ぶことはなかった。つまりお互い別世界の人間と割り切って干渉しなかったわけである。

しかし部長になればそういうわけにもいかない。彼らの多くは練習を頻繁にサボり、来たとしてもろくに動かなかった。実は前年まではヤクザのような恐ろしい先生が野球部の顧問で、どんな不良も容赦無くブン殴っていたので、不良たちも真面目に練習に来ていた。しかしその年から若い穏やかな先生が顧問になり、おまけに野球も未経験だった。当然不良たちは顧問をナメてかかり、真面目に練習をしなかった。

ただ僕は超がつくほどの優等生だった。そして優等生らしく「どうにかこの部活を立て直して大会で勝ちたい」というやる気があった。そして実際に行動に移した。意味があるのか分からないアップを簡略化したり、シートノックの際に誰がどこに入るのかをあらかじめ決め、いざ始めるときに無駄な待ち時間を作らないようにした。

これは効果を発揮した。みんな今までの慣習に違和感を感じていて「この取り組みはいい。楽しく練習できそうだ。」と応援してくれた。そう、最初の頃だけは。

僕の良くない性格の一つに「すぐに飽きてしまう」というものがある。部長に就任して間もない頃は、みんながいかに部活を楽しめるか工夫することに全力を出していた。しかし1ヶ月もすると、すぐに飽きてしまったのだ。

ではなぜ飽きてしまったのか。答えは簡単だ。僕が頑張ったところで誰も変わらなかったからだ。新しい取り組みを最初は好意的に受け入れた部員は皆、2週間も経った頃には真面目に練習をしなくなった。僕の指示も無視し、何か指示を出しても「うるせえなあ」と睨みつけてくるばかりで話にならなかった。

誰も変わらないのに一体何を頑張ればいいのだろうか。この時点で頑張ることに飽きた僕は、それでもなお一縷の望みにかけ、「自分はうるさくしない。みんなの自主性に任せる。上下関係なく楽しく野球をしよう。」という方針を取った。誰もいうことを聞かないならそれでもいい。代わりにみんなでやりたいことをしようという方向転換をしたわけである。しかし甘かった。

みんなのやりたいこと、それは練習をサボることだった。アップやキャッチボールはただのふざける時間になり、後輩は先輩にタメ口を使いナメてくるようになった。

今思い返せば僕の考えはなんて甘かったのだろうと思う。四則演算もろくにできず、日本語もろくに読めない連中に自主性なんてあるわけないのだ。それから僕はチームをまとめることを諦め、自分のことだけを考えるようになった。

実はちょうど秋頃、地域の選抜チームに入らないかというスカウトを受けていた。それなりに野球がうまかったのと、優等生さを評価されてのことだった。「ああ、これで真面目に上手な人と野球ができる」と思った僕は喜んで快諾した。選抜チームには当然のことながら野球の上手な人が集まる。そして誰もが真面目に練習に取り組んでいる。自主的に練習をする意識の高い人たちと野球をするのは本当に楽しかった。

そこから僕の目標はいかに選抜チームで結果を残せるかに変わった。僕はセンターを務めていたのだが、選抜に上手いセンターがいて、彼とレギュラーを争っていた。部活ではいうことを聞かないメンバーは放っておき、自分のために練習をした。

しかし部長であることに変わりはない。部長である限り、どんなにいうことを聞かないメンバーもまとめなくてはならないのだ。顧問にも気持ちは分かるが部長としてあいつらをまとめる仕事も果たしてほしいと言われ、渋々チームのために指示を出した。

しかし一度離れた心はそう簡単に戻らない。当時、僕は不良たちと話すのをやめ、一部の真面目な部員とだけ仲良くし、一緒に練習をしていた。今さら不良たちに偉そうに指示を出しても聞き入れらるわけがなかった。そんなある日、グラウンドに来るもののいつまでたってもキャッチボールを始めず、持ち込み禁止のはずの携帯でゲームをし続ける不良たちを見て、僕の中で何かが切れた。

「お前ら勉強もできない野球も下手クソで生きてる価値のないゴミのくせに偉そうにしてんじゃねえよ。お前ら俺に何か一つでも勝てることあんのかよ。」

褒められたものではないが、僕は辛辣な言葉を浴びせる能力には自信がある。相手のコンプレックスをついた酷い言葉がいくらでも思いつくのだ。勉強もできない、野球もうまくない、人の言うことも聞けない社会のお荷物のくせに、何をそんな偉そうにしているのか。今まで蓋をしていたストレスが一気に爆発した。

顔を真っ赤にして叫んだ僕に、彼ら不良は言い返す言葉もなかった。その代わり投げ返すものはあった。それはバットだった。副部長の役職についていた男が僕に向けバットを投げてきたのだ。クルクルと回転しながら宙を舞ったバットは僕のスネを直撃した。後のことはよく覚えていないが、保健室に運ばれ、後日、男の親と電話で和解したのを覚えている。

この事件を機に、僕は完全に部長としてチームをまとめることを諦めた。幸運にも3年生になってまた顧問が変わり、全国的に有名な鬼教師が他校から来た。容赦無くブン殴り、蹴りを入れるその教師に不良たちも恐れおののき、僕がまとめずとも最後の3ヶ月はみんな練習をそれなりに頑張った。もちろん人間の性質はそんな簡単に変わるわけもなく、不良たちはその間もサボったりしていたのだが、鬼顧問は容赦無く彼らを怒鳴りつけ、グーで殴った。鉄拳制裁である。そんな鬼顧問のもとでどうにか試合ができるくらいにチームはまとまり、最後の大会でもそこそこの成績を残すことができた。部活を引退して2ヶ月ほどは選抜チームの大会があり、結果として全国大会でかなり上まで進むことができた。ある程度進んだところで試合に敗れ、僕の野球部生活はそこで幕を下ろした。

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さて、ここで話を終わらせてしまうと、ただの過去の思い出話で終わってしまう。この連載の趣旨は「失敗から学ぶ」ことである。この組織崩壊の失敗を経て、今の僕ならどうするかを考えていこうと思う。

大きく分けて、僕の失敗は三つの要因があると思う。一つは「継続性」である。部長になって最初の間はもちろんやる気があった。チームを良くするため、工夫を重ねていたのだが、あまり効果がないと判断してすぐに飽きてしまった。しかしリーダーであるかぎり、そう簡単に諦めてはいけない。どんなに無視されようと、粘り強く交渉を続けなくてはいけないのだ。

二つ目は「自主性の過信」である。僕は不良たちの自主性を信じて自然といい組織ができることに賭けた。しかしそんなうまくいくわけがない。自分の頭で考えられない人間に自主性もクソもないのだ。もっと強く彼らに接するべきだったと今は思う。言っても聞かない相手には、ぶん殴られようが蹴飛ばされようが、こっちから倍返しにしてやるくらいの勢いで従わせなくてはならないのだ。今の世の中では力で抑え込むことはタブーになっているが、それは考える力のある集団の話だ。このように全く主体性がない、ただ動物のように欲求のままに行動する連中には、力で抑え込む方が早いのだ。今、僕はめちゃめちゃに筋トレをしている。自己肯定感を上げるためなどの理由もあるが、一つはいざというときに相手を力でねじ伏せられるようにするためだ。当時は喧嘩が弱くて不良たちにそこまで強く出ることができなかったが、今の僕ならできる。理不尽なことには力で対抗しなくてはいけない。今の時代には相応しくない考えかもしれないが、自分の身を守るには物理的な強さも必要なのである。

そして三つ目は「偏見」である。僕は組織が崩壊して以降、不良たちを「生きてる価値がない住む世界が違う人間」として扱ってしまった。これは僕の悪い面だった。彼らに非があるにせよ、野球が好きでこの部活に入ったことは間違いない。彼らにもうまくなりたいという思いは間違いなくあったはずなのだ。しかし僕は一切を切り捨て、彼らとの対話を諦め、自分の保身に走った。極めて自己中心的だったと思う。リーダーの仕事は自分の思い通りに人を従わせることではない。メンバーとの対話を繰り返し、みんなが楽しく練習に打ち込めるようなチームづくりをしなくてはいけなかったのだ。当時の僕は決めつけすぎていた。もっとみんなと話し合って、彼らが本当は何を考えているのかを引き出すべきだった。前の二つと矛盾する点もあると思うが、これも今だからこそ分かる反省点の一つだ。


思い返せば、野球部の部長を務めて以来、何かでリーダーになるという経験がないまま歳を重ねてきた。執筆という活動は個人で行うものであり、イベントやYouTubeを手伝ってくれる仲間がいるものの、そこまで大規模ではない。大きな目標に向けチームを組んで頑張った経験が圧倒的に足りていない。

じゃあこのままひとりでいいのかといえば、全く違う。正直なところ、個人で行う活動には限界を感じていて、全く別のことで、みんなで団結して頑張ってみたいことがいくつかある。もしこの先何かでリーダーになることがあれば、ここで振り返った反省をもとに、いい組織を作りたいと思う。

自分の悪い点を書くのはなかなかに辛い。失敗を語るシリーズもまだ2本目で、あと17回も自分を反省しなくてはいけない。しかし人間は失敗から学ぶ生き物だ。恥ずかしい失敗を赤裸々に告白することで未来の成功に繋がる。皆さんの参考になれば幸いである。次回は「クールなのがモテると勘違いしてトイレに隠れた話」を書きます。お楽しみに。

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