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拝啓 皆さん。秋が来ました。

拝啓 皆さん。昨日は窓を少し開けて寝ました。今朝起きると、その隙間から冷たい風が流れ込んでいて、僕はそっと布団を頭まで被りました。窓から小雨がしとしと降る音が聞こえます。小さく虫が鳴く声も聞こえます。秋が来ました。

拝啓 皆さん。今日、仕事から帰って駅で降りると、すっかり暗くなっていました。先週までは、まだ明るかったのに。また季節がひとつ進みました。駅のホームから、沈みゆく夕陽が見えました。この前まで暑くて暑くて仕方がなくて、額を垂れていた汗は、もうどこにもありません。気持ちの良い冷たさの風が、僕の顔に触れ、背中へ流れ、ゆっくりとその後ろへ流れていきます。秋が来ました。

拝啓 皆さん。駅から家まで、次第に暗くなる道を歩いていると、なんだか悲しい気持ちになります。まだ住んで1年も経っていないこの道を、10年も20年も前に歩いたことがある気がしてきます。あそこの角では八百屋さんが野菜を売っています。さつまいもがとっても美味しそうです。あそこの角では床屋さんが髪を切っています。もうそろそろ行かないと。次の角にある学校では、中学生が部活動に励んでいます。僕は昔、野球をしていました。この季節になると、練習が終わってトンボをかけていると、反対側で練習をしている陸上部の短距離走の選手が、シャッシャッシャッと地面を蹴って駆ける音が、なぜか鮮明に聞こえました。薄暗くて彼らの姿はぼんやりとしか見えませんが、シャッシャッシャッという音だけが聞こえてくるのです。僕もザッザッザッという音を出しながら、トンボをかけていました。一定のリズムで、一定の間隔で。波のような模様を描きながら、ゆっくりと進んでいきます。向こう側で走る陸上部の誰かの耳にも、この音が聞こえているのかも知れません。ふとした瞬間、冷たい風が吹いて、グラウンドの上を通っていきます。走って投げて打って、どろどろになった僕の顔から、すっかり汗が引いていきます。そこの角の学校で部活に打ち込む彼らも、同じ気持ちを感じたことがあるのでしょうか。「さようなら」先生に軽く会釈をしながら、学生たちが帰っていきます。秋が来ました。

拝啓 皆さん。大学に通っていた頃、この季節になると、5限の授業が終わる頃には、あたりはすっかり真っ暗でした。僕のキャンパスは丘の上にあって、駅まで10分ほど歩きました。そのときに住宅街を歩くのですが、オレンジ色の明かりがついたリビングから、家族の笑い声、カチャカチャと食器が触れる音、犬の泣き声が聞こえてきました。顔は見えなくても、誰か分からなくても、あそこにもそこにも幸せがあるんだなって、思いました。そしてなぜか少し悲しい寂しい気持ちになりました。いつもならイヤホンをつけてお気に入りの音楽を聴くのですが、この時期は聞きませんでした。歩いているときに聞こえるいろんな音が楽しかったから。電車の時間はずっと本を読んでいました。なぜかこの時期は、いつもより本をめくるスピードが速くなります。秋が来ました。

拝啓 皆さん。日曜日の夜は、ちょっと憂鬱です。社会人生活があまり楽しくないから。また不自由な五日間が始まると思うと、元気がなくなります。1人、部屋の電気を暗くして、好きな音楽をかけて本を読むこの時間が、ずっと続けば良いのになと思ってしまいます。今日は外が涼しいようなので、久しぶりに窓を開けてみました。少しではなく、一度に一気に開いてみました。勢いよく風が吹き込み、カーテンがふわっと宙を舞いました。短めにカットした僕の髪も、心なしか宙に浮きました。そして、秋の匂いがしました。花の匂いなのか、土の匂いなのか、川の匂いなのか、分かりません。それでも僕は、秋の匂いなんだと思いました。季節の変わり目に僕はいます。時間が進まないと季節は変わりません。季節が変わらないと秋はやってきません。明日からまた不自由な生活が始まるけど、カレンダーをめくらないと、新しい季節はやってこないのです。それなら明日が来ても良いかなって、少しだけ思えます。それでもまだもう少し、この秋の訪れ、始まった瞬間を全身で感じたいから、今日はちょっとだけ夜更かしをします。今読んでいる小説も、ちょうど面白いところです。明日、眠いかも知れないけど、たまにはいいよね、きっと。美しいものを美しいと感じる精神的余裕、時間的余裕は、何よりも大切なんだから。明日からは半袖のポロシャツをやめて、長袖のシャツを着ていこうと思います。そうですね、そうなんです。

拝啓、皆さん。秋が来ました。

最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!