見出し画像

塾講師バイトに潜む自己陶酔の危険性

昔、僕は地元で塾講師のバイトをしていた。1年ほど働いたのちに辞めたのだが、その間に僕は塾講師の闇をいくつも目の当たりにした。これは待遇面というよりかは、もっと心理的な闇である。今思い返しても、あの環境は異常だったと思う。何が異常だったたか、僕が感じたことを書いていく。

1. 右と左が分からない中学生たち

僕がバイトした塾は地元にあるその地域では名の知られている塾だ。小学生から中学生まで幅広く在籍している。生徒のレベルは千差万別だった。学校の勉強についていけないレベルから、偏差値70を超え、進学校に進み名門大学にも受かるであろうレベルまで、いろんな生徒が在籍していた。

当然、学力によってクラス分けがされており、僕が担当したのは一番勉強ができない中学2年の国語だった。このnoteを読んでいるような教育レベルの高いみなさんには縁がない世界かもしれないが、公立中学校で最底辺の学力レベルは想像を絶する低さだ。僕が担当したクラスは右と左が分からない生徒が半分くらいいた。

「右の黒板を見て」と口頭で指示を出しても、パッと分からないのだ。「右...あ、こっちか。」といった具合だ。彼らは当然、文章も読めなければ漢字も書けない。偏差値は30〜40程度。そんな生徒を相手に国語を教え、学校のテストでどうにか平均くらいは取れるようにし、どっかの高校に引っかかるレベルまで引き上げるのが僕の役割だった。


2. 塾講師たちの自己陶酔

意外にも、勉強ができない生徒を相手にするのは得意だった。というのも僕も同じく公立中学校出身であり、同じような右と左が分からない同級生と生活していたからだ。一方でバイトはバイト、時給以上の仕事はする必要がない。決められた業務をこなし、成績を少しでも上げられれば十分だという考えのもとバイトをしていた。宿題をやってこないのは彼らにとっては当たり前だが、こちらも期待をしていないし、怒っても無駄な労力を割くだけなのでゆるく接していた。

しかし驚いたことに、僕以外のバイトの塾講師たちはそうではなかった。彼らは生徒の成績を上げ、いい高校に受かるよう全力で指導に当たっていた。もちろん、それがあるべき姿である。生徒や保護者からしても親身に指導してくれる方がいいに決まっている。しかし、間近で熱心に指導に当たる彼らの姿に、僕は何回も狂気を感じたことがあった。

「私が教えてあげればあの子は〇〇高校に受かるけど、生意気だから適当に教えようかな〜」

ある日、講師室で分厚いメガネをかけた社会担当の女性講師がこんなことを言っていた。早稲田大学に通う彼女はバイト歴も長く、4年目を迎えていた。

「なんか私のことウザがってるみたいなんだよね〜このままじゃ合格できないよ〜って圧かけようかな」

僕はこの発言に悪寒が走った。この女は、自分が生徒の未来を左右できると思っている...?

それは彼女だけじゃなかった。筑波大学に通う数学担当の男性講師は

「最近みんな宿題を適当にやってるなあ。去年の卒業生はみんな頑張ってやったから〇〇高校に受かったのに。こんな怠けた態度だとやる気なくなっちゃうな〜」

確かに彼らには実績がある。みな在籍歴が長く、彼も3年目を迎えていた。昨年、受け持っていたクラスを全員第一志望に合格させた実績がある。しかし彼のその発言には「自分の裁量次第で生徒の命運を左右できる」という自己陶酔を感じずにはいられなかった。

「自己陶酔」

あの塾に蔓延していた違和感の招待はこの4文字に集約される。あの場にいた多くのバイトが自己陶酔に陥っていた。自分たちが生徒の未来を握っているという自己陶酔が、彼らから感じ取れた。

そしてその違和感は、歪んだシステムから生まれたものだと僕は考えている。


3. 歪んだシステム

僕がバイトしていた塾は身分を明かすことが禁止されていた。どういうことか。所属する大学や出身高校など、一切生徒に明かすことが禁止されていたのだ。それ以上に生徒や保護者には「塾で正式に働いている塾講師」として接しなくてはならなかった。つまり社員と名乗らなければならなかったのだ。そしてもしバレたら即クビだ。書面上ではバイトであるにも関わらず、大学を卒業してこの塾に就職した社会人として生徒と保護者と話さなくてはならなかったのだ。

この歪んだシステムのもと、僕らは保護者との面談にも臨んだ。これは強制参加で、2ヶ月に1度ほど開催された。日曜日に塾に出勤し、保護者に今後の指導方針を話し、個別に面談を行った。

なぜ大学生なのに社会人のフリをして保護者と話さなくてはいけないのか、僕は違和感を感じていたが、他の講師はとても意欲的に参加していた。

そして彼らの多くが在籍年数が長く、保護者と顔馴染みだった。

「〇〇先生聞いてくださいよ〜うちの息子がまた学校で〜」

といったくだらない話までしている。

「本当にいつもありがとうございます。〇〇先生のおかげで成績も上がって、第一志望の合格も見えてきました。これからもよろしくお願いします!」

そう固く握手を交わす保護者もいた。面談後、プロの塾講師として保護者と接した彼らは満足そうな表情で見送っていた。

おそらくこういった保護者に頼りにされるといった歪んだ経験が、自己陶酔の要因になっている。

「私はバイトじゃない。プロの講師だ。生徒の未来は私にかかっている。そして保護者にも信頼されている。」

そういった責任感が彼らにはあった。

4. 井の中の塾講師

言うまでもなく責任感を持って仕事をすることは素晴らしい。それが例えバイトであっても。僕はあくまでバイトはバイト、時給の範囲内でできる仕事をすればいいと思ってしまうので、素直に彼らの姿勢は尊敬できる。しかし、身分を偽って生徒と保護者と接し、変に責任感が増幅される歪んだシステムはおかしいと思っている。そして責任感から自己陶酔に陥った彼らは、より歪んだ思想を抱くようになる。

「塾のバイトって飲食とかの肉体労働に比べて価値あるよね。」

そんなゾワっとする言葉を、あの早稲田の女性講師が口にした。

「私たちって、自分の知識を生徒に授けて、いい高校に合格させてるわけでしょ?あの子たちが将来すごい仕事をする可能性って高いし、塾講師って立派な社会貢献だと思わない?飲食なんて辛いし汚いし、時給も低いし、私だったら絶対やらないなー。変な客に絡まれるのも嫌だし。」

それに賛同する他の講師もいた。

「僕もそう思います。昔カフェでバイトしてましたけど、あんなの時間の無駄でしたよ。塾でバイトした方がよっぽどためになります。」

それは違う。塾講師が他のバイトより尊いだなんてことは絶対にない。どの職にも価値はある。僕は派遣で工場でバイトしたり、飲食でバイトした経験もある。それぞれ辛いところもあるが、それ以上に楽しいことももちろんある。

しかし「自分は大きな責任感のもと教育者として仕事をしている」と自己陶酔に陥った彼らには、それ以外の職が価値のないものに見えてしまっていた。

しまいには大学の卒業を伸ばした人もいた。その人は東大の大学院に通っていた。塾屈指の頭脳の持ち主で、長年最上位クラスの数学を受け持っていた。そんな彼がなぜ卒業を伸ばしたか。理由は「もう少し塾でみんなといたいから」だった。今受け持ってるクラスが来年の受験で成功するように見守りたい、そんな理由で彼は院卒で働くのを辞め、博士課程に進んだ。他人の人生に口出しする権利は誰にもないが、彼にとって塾はそれほど居心地のいい空間だったのだ。

しかし、そんな居心地のいい空間は生徒と塾講師の歪んだ関係が生んだ幻でしかない。少し考えてみてほしい。大学に通うものにとって、公立中学校に通う生徒に分かりやすく授業をすることなんて簡単なことだ。自分が過去に学んだことを、これまでの学習経験と織り交ぜて分かりやすく伝える。そうすれば多少勉強ができる生徒であればすぐに成績は上がる。

そして、彼ら塾講師の正体は大学生である。塾長や本当に社員として働いてる30代、40代のおっさんと比べれば、中学生からすると非常に話しやすい。頼りにできるお兄さんお姉さんといった存在だ。当然、生徒は社員よりバイトの大学生に親近感を覚える。

「先生、これ分かんない〜」

「先生、ここ教えて〜」

「先生、私ね、好きな人ができたんだけど〜」

他愛もない雑談をしに生徒がひっきりなしに講師室を訪れる。

先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生。

ああ、僕は頼りにされている。彼らには僕という存在が不可欠なんだ。いや、彼らだけじゃない。親だって僕を必要としている。僕は意義のある仕事をしている。教育者だ。僕は、誰かに、猛烈に必要とされている。

そして塾は、彼らにとっての最も居心地のいい場所になった。誰からも攻撃されない、天国のような場所。同じように教えるのが好きなバイト仲間に囲まれ、生徒に頼られる、素晴らしい場所。

自己陶酔に陥った彼らの多くは、大学に友達も少なく、サークルも入らず、就活もあまりしていない人が多かった。

知らない人と接したら、気が合わなくて傷つくかもしれない。就活をして、面接をしたら、自分のやってきたことが否定されるかもしれない。

彼らは外の世界に出ない。塾のバイトこそが尊い仕事だと信じ、誰にも邪魔されない殻の中に閉じこもってきた。井の中の蛙、ならぬ井の中の塾講師だった。

塾にいれば、誰にも否定されない。生徒は僕らを慕っている。いや、慕わざるをえない。ここにいれば、誰かに必要とされ続ける。

先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生、先生。

ほら、聞こえるだろう?生徒が僕を呼ぶ声が。僕は必要とされている人間なんだ。

(ただし塾の中だけ。一歩外に出れば、あんたらはただの自惚れた何もできない大学生だ。生徒があんたを頼りにするのは、先生という肩書きがあるからだ。もしその肩書きが虚像だと知られたら、どんな顔をするだろう?外の世界を知らない、冴えないあんたに、彼ら彼女らは興味を示すかな?)

事実、塾のバイトはすぐに辞めるか、長く続くかの二極化が進んでいた。僕のように違和感を感じた人はすぐに辞め、居心地の良さを感じた人は卒業まで残ったし、なんならそのまま塾に就職する人もいた。

僕はこの空気に耐えられず、1年で塾を辞めた。この選択は正しかった。それからいろいろなバイトをしたが、どれも新鮮な体験に溢れていて、とても勉強になった。塾では知ることのできない世界を、僕は知ることができた。

おそらく僕がいた塾にここまで自己陶酔の危険性が潜んでいたのは、大学生という身分を隠して働かなくてはいけないゆがんだシステムのせいだと思う。過大な責任感は人を麻痺させる。もしこれから塾で働くことがあったら、注意して観察してほしい。

最後に。塾でのバイトは楽しい。自分が教えた生徒の成績が上がれば嬉しいし、喜んだ顔見ればこっちも元気が湧いてくる。ただ、塾にもいい塾、悪い塾があることはぜひ覚えておいてほしい。そしてぜひ外の世界に飛び出そう。できればたくさん。積んだ経験の数だけ強くなれると、僕は信じている。

それでは素敵な1日を。



画像1




最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!