二刀流選手の行きつく先は二通り~大谷はどっち? そして二刀流は野球だけではない!

大谷翔平の活躍が止まりません。
5月20日現在、アメリカンリーグで本塁打数トップ。打点もリーグ2位と二冠王を狙える位置にいます。
また、投手としても1勝0敗。二刀流復活へ向け絶好調です。

今回は、そんな二刀流選手の行きつく先は二通りとタイトルを付けました。
二刀流選手は過去にもたくさんいましたが、実際には二通りの道とはどのようなものなのでしょうか。

まず1つ目は、野手として成功する道です。
大谷はこのケースに当てはまります。
大谷はメジャー1年目に新人王を受賞していますが、決め手になったのはもちろん野手としての21本塁打の成績です。2年目にも18本塁打。そして今年は5月20日時点で早くも14本塁打。日本人としてメジャー最速で50本塁打を達成し、野手として成功したのは間違いありません。
その一方で、投手としては1年目に4勝しただけで2年目3年目は勝ち星なし。今年もここまで1勝だけです。このまま行くと、メジャーでは野手として大成し、投手としてはさほどの実績を挙げられないまま終わりそうな感じです。

他にも、メジャーではベーブルースが入団当初は二刀流選手でしたが、ヤンキースに移籍してからは野手に専念し最終的には通算714本塁打を打つほどの選手になっています。

日本でも、元ヤクルト監督の関根潤三氏が現役時代二刀流選手として投手で50勝、野手で1000安打達成しています。投手としても一流投手の目安である通算50勝をクリアしていて優れた成績を残していますが、野手としての通算1000安打クリアの方が成績としては図抜けています。野手として成功を収めた選手と言えるでしょう。

あとは、名球会入りした川上哲治氏(巨人)と石井琢朗氏(横浜→広島)が投手としても勝ち星を挙げていますが、2人とも野手として通算2000安打を達成しています。

他にも、ヤクルトに在籍している高井雄平選手やOBの宮出隆自氏も投手としても勝ち星を挙げましたが、最終的には野手として成功を収めています。

では、二刀流選手がたどるもう1つの道に移りましょう。

それは、野手として目が出ず、投手に再転向もしくは中途半端な二刀流選手として短命に終わる選手です。

代表的なのが、元オリックスの嘉勢敏弘氏です。

嘉勢氏は北陽高校ではエースで四番。甲子園でも活躍し、プロ入り後は野手としてプレーしていました。
しかし、野手としては目が出ず、少しの間二刀流選手としてプレーした後投手に再転向。投手としては4年ほど中継ぎとしてプレーしただけでした。

同じオリックスには、今村文昭氏もいます。
今村氏は九州学院ではエースで四番。甲子園出場はありませんが95年にオリックスにドラフト1位で入団しました。
しかし、嘉勢氏と同様入団後は野手として目が出ず投手に再転向。投手としても中継ぎで3年ほどプレーしただけでした。

他にも、元中日→広島の若林隆信氏がいます。
若林氏は佐賀学園のエースで四番として甲子園に出場。天理高から巨人にドラフト1位で入団した谷口投手から逆転スリーランを打ち、天理高校の夏の甲子園連覇の夢を阻んでいます。
しかし、中日に入団後は野手として目が出ず投手に再転向。広島に移籍後は二刀流選手としてプレーしましたが選手としては短命に終わりました。

3人とも90年代の選手。前述の石井琢朗氏や宮出隆自氏も90年代から2000年代にかけてプレーした選手です。

90年代頃から、投手としても野手としても優れた選手がプロ入りした後、どちらに進むかで悩むケースが増えてきました。
その結果、投手としても野手としてもプレーする二刀流選手がこの時代から増えてきたように思います。
大谷選手も、そんな時代に生まれ育ってきたので二刀流選手としてプロで生きていく道を取ることができたのだと思います。

二刀流選手として成功する選手は、投手としても野手としてもプレーした後最終的に野手として成功するのが日米共通のようです。

二刀流に失敗した選手たちも、投手として野手として両方のプレー経験があり、いずれも最初は野手としてプレーしているのが特徴です。

二刀流選手は、成功した選手もそうでなかった選手たちも、投手としても野手としても優れた才能を持っていてプロの世界で両方の立場でプレーするという離れ業を演じた点では同じです。

こうした二刀流選手が増えてきたことで、プロ野球の楽しみ方も増えたことはファンにとっても嬉しい限りです。

また、プロ野球の世界に限らず、ビジネスの世界でも多芸に秀でた人材が様々な分野にわたって活躍するケースが増えてきました。

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