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ボス・ベイビーを観て思う。子どもの頃に戻れるチャンスは一度きりなのかもしれない

クリスマスの日、次男と映画を見に行った。

元々は長男の友達と母親交えて遊びに行く予定だったんだけど、事情があって次男は連れて行けなくなった。その代わりに父ちゃんとどっか行こうと話をしていて、ふと仮面ライダーの映画をやってることを思い出し「映画見に行く?」と言ってみると「行く!」と次男。

何の映画やってるかなぁと調べてみて、子どもが楽しめそうな映画を読み上げてみた「仮面ライダー」「すみっコぐらし」「ボス・ベイビー」・・・

すると、次男が「ボス・ベイビーがいい!」

えっ?ボス・ベイビー??家でテレビや映画で観たこともないし、興味がある様子も全く見せてなかったのに?

とはいえ、次男のための映画なので希望通り「ボス・ベイビー」を見に行くことにした

正直、僕はボス・ベイビーの存在自体は知ってるけど、内容の予備知識は限りなくゼロに近い。「赤ちゃんがおっさんになるやつ?いや、おっさんが赤ちゃんになったんか?」くらいの認識。

とはいえ、せっかく行くんだから寝たりせず、この作品が伝えたいことを理解して帰ろうと心に決めた。

そして映画館に入った2時間後、両目に涙を浮かべている僕がいた。

何が僕に涙させたのか?
40を超えたおっさんの涙腺はプッチンプリンで作った堤防よりも遙かにもろい。
子どもが生まれてからというもの、家族もの、特に親子の関係を題材にしたものにめっぽう弱くなった。
初めて長男を連れて見に行った『映画ドラえもん のび太の宝島』では不覚にも嗚咽が漏れそうなほど涙した。

今回は予備知識なしで行ったので、映画のテーマはもちろん、あらすじすらも知らなかった。知ってたらハンカチを持って行ってたに違いない。

父親と距離を取り始める娘。絵本を読んだり、歌を歌ったり、小さい頃に喜んでくれたことに対して徐々に反応が薄くなってくることに寂しさを感じる父親。
僕に娘は居ないけど、息子でも似たようなことがこれから僕の身に降りかかってくるんだろうなぁと思うとやっぱりちょっと寂しくなり、序盤からいきなりパパに感情移入する僕。

親と距離を取り始めるのは徐々に大人になっている、成長していることの証なんだから、喜ぶべきことなんだろうけど、やっぱり親としてはちょっと寂しい。
もしかしたら、子どもはまだ甘えたいけど、親も含めて他人の目を意識し始めるために出来なくなっているというのもあるのかも?という都合の良い解釈も出来るけど。

物語は進み、娘の事を間近で観て誇りに思う父親。悩みを抱えている娘をなんとかしてやりたいと思う父親。

父親としてではなく、子どもと同じ目線でのアドバイスというか優しく背中を押してあげる父親。
「自分の気持ちのままに、好きなように歌えばいいんだよ」
それは「歌」に限ったことではなく、「生ること」についても同じ。

すったもんだがあって(雑やなぁ)、終盤。
みんないつかは大人になるけど、急いで大人になる必要はない。今を楽しんで、自分の心に素直に生きよう。

そんな内容に「うんうん」と思いながら、
大人になるにつれて、子どもの頃の気持ちや楽しみを忘れてしまう。それを思い出させてくれるのは一緒に暮らしている子ども達。
子どもの頃を思いだし、あの頃に戻れるチャンスは今だけなのかもしれない。孫だと一緒に暮らさない可能性が高いので、やっぱり今しかないんだろうな。自分も今を大切に生きていかなきゃ。

子どもに知識をはじめとしていろんなものを与えていると思いがちだけど、じつは子どもから与えられていることの方が多いのかもしれない。

そうそう、それと兄弟。これが長男と次男に重なって余計に涙を誘った。

いざという時に相談が出来る、頼れる兄弟が居るのは良いことだ。せっかく兄弟で生まれてきたんだからお互いに仲良くというか、関係を持ったまま大きくなってくれたら嬉しいなぁ。家族を大事に生きてほしい。

そんなとりとめのないことを思いながら、両目に涙を浮かべていた。

そしてエンドロールに退屈している次男にいつもの様にこう言った。

「最後までおろうや。もうちょっと待って」

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