2021年1月10日(日) 修行は500時間で十分?
――昨日、三刀流の修行ということで、三つの刀を500時間ずつ、1200ポモドーロずつ磨いていきたいというお話がありました。それは1000時間の法則の1000時間のうちの半分だというお話でした。そこで少し気になったのですが、修行期間を延ばしてでも1000時間やろうとは考えなかったのですか?
佑陽「そこなんです。これは、感覚的な判断で、理屈で説明するのが難しいところなんです。本当は全て1000時間やりたいけれども、修行の期間にやるのは500時間に決めました。それは、きっちり1000時間やらなくても、おそらくこれまでの人生で、どれも500時間以上の蓄積はあるかもしれないと思うからなんです。文章も音楽も絵も、子供の頃からそれなりに親しんできましたので、それらの勉強時間などを合わせれば、500時間以上は既にあるんじゃないかという気もしてくるんです。もちろん、ちゃんと時間を測ったことがないので、厳密な時間はわかりません。不確実なこれまでの蓄積に、これから確実な500時間を乗せれば1000時間以上やっている可能性が高いのです」
――これまでの蓄積を考えれば、500時間で十分と踏んだわけですね。
佑陽「はい。しかし、もし仮にこれまでの蓄積が0だと仮定しても、500時間やればそれなりに力は付くし、修行が終わってからも実力を磨く時間はある……。少なくとも500時間やれば、『うまくできなくてつまんない』という時期は乗り越えて『できるようになったから楽しい』という時期には入っているはずなんです。そうなればあとは放っておいても、楽しいからやっちゃうはずです。やがて1000時間に到達し、もっとその先へ進んでいけるはずなんです。あまりダラダラと長い期間修行をしているのは得策じゃないから、修行は最小限で切り上げて、あとは実践で磨きたいんです。この3年の修行期間中は、あまり目立つ動きはしませんけど、修行後はどんどん自分を売り込みに行くという方針は固まってます。その結果どういう運命が待っているのかはわかりませんけど……。今はとにかく、結果を焦らず、3年後、自信を持って自分を売り込める実力を身につけることに専念します」
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