マガジンのカバー画像

旅の記憶(エッセイ)

28
これまでの一人海外旅のエッセイです。実際の旅の順とは関係なく、基本的に一話読み切り。今は2005年のオーストラリア一周の旅を時系列で書いています。(古い情報も含まれますので実際に…
運営しているクリエイター

#オーストラリア一周

【旅の記憶】曇り空の街、メルボルン(Melbourne 1)

メルボルンの第一印象。どんより曇った、高層ビルが多い街。 車窓から見たビクトリア州の州都は、期待に反しあまり華やかな印象を与えてくれなかった。 この広いオーストラリア大陸で、最も憧れていた都市。 私はシティーの西の外れにあるスペンサーストリート駅で夜行列車を降り、 宿泊予定のB&Bがあるサウスヤラ地区まで電車を乗り継がなくてはならなかった。 スペンサーストリート駅は大きな長距離列車ターミナルで、私の預けていた荷物は危うくどこかに選び去られようとしていた。 「持ち主の現れない

【旅の記憶】長めの助走(Sydney 4)

しばらくの間、私はその小さな町でスーパーでの買い物方法を覚えたり、 教会や図書館を覗いたり、クッカバラ(ワライカワセミ)を目撃したり、 ペンキ塗りを手伝ったり、はっきり言ってぶらぶらしていた。 時にはオーナーを訪ねてくる友人たちや、同時期に宿泊していた日本人の方 たちと夕食を共にさせてもらったり、 ケーキやコーヒーをご馳走になったりもした。 (輝かしいピーカンナッツのケーキのことを、私は忘れないだろう。  遠くなればなるほど、記憶が美しく改ざんされるとしても、だ) それま

【旅の記憶】光り輝く3人組(Sydney 3)

私が旅の最初にお世話になったのは、シドニーの北、セントラルコーストと呼ばれるエリアにある一軒家であった。 そこに週単位でリーズナブルに宿泊できるB&Bのような場所があったのを、webで見つけて、約3週間予約してあったのだ。 (残念ながら今はもうクローズされている) 日本人の方がオーナーだったのも、ここに決めたポイントで、いきなり海外初一人旅でオーストラリア大陸を一周しようという暴挙の、 その「暴挙感」を少しでも和らげるため、ここでしばらく生活に慣れさせてもらおうと思ってのこ

【旅の記憶】待ち合わせは空港のマクドナルド(Sydney 2)

シドニーに到着すると、当然最初の関門、入国審査(イミグレーション)が待っている。 以前の【旅の記憶】でも書いたが、私はイミグレーション恐怖症である。 (オーストラリアやヨーロッパのイミグレーションについて書いた以前の記事はこちら ↓ ) 語学ができればそんなに恐れることはないのだろうけど、毎度びくびくのイミグレーション。 それをどうにかクリアしたら、今度は前出の送迎車のドライバーと落ち合わなければならない。 落ち合う場所は「空港内のマクド前」という、梅田で友人と会うような

【旅の記憶】いきなりのオーバーブッキング(Sydney 1)

「ご搭乗の便にオーバーブッキングが出ております。  こちらで一泊分のホテルをご用意いたしますので  明日の便に振り替えていただくことは可能でしょうか。」 私はその日、知り合いの誰一人いないオーストラリアへ3ヵ月の一人旅に出る高揚と不安に包まれて関空にいた。 私は旅慣れているとはまったく言えない身で(それは今も同じだ)、 カウンターの女性のきびきびした言葉の意味するところが、まずもってよくわからなかった。 オーバーブッキングなるものが存在することは知っていたが、 それが私の

【旅の記憶 オーストラリア編】89通りの長い一日(prologue)

その日、私はシドニー近郊の町にある一軒家のダイニングで、 空から降ってくるものを唖然として見ていた。 それらは大きいものでは大人の拳大の大きさがあり、不透明な白い色をしていた。 目の前の中庭は芝生に覆われていたが、あっという間にそれらに覆いつくされ、緑色だった地面は白一色に変わった。 それは私が3ヵ月のオーストラリア一周一人旅をスタートさせて2日目の夕方に起きた、突然の雹の襲来だった。 さすがに地元でも滅多にない現象だったようで、翌日の新聞にはこのことが一面に写真入りで掲載