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夏の通り道

やっほ〜みんな息してる?
中井です。

ぐったりするほど忙しい6月7月をすっ飛ばすように過ごし、時間を見つけてはピアノを練習したり、時間はあるのに横になっていたり、こなすような毎日を過ごしながらもミリ単位でアイデアを積み重ね続けています。

今日は誕生日なのですが、盆明けの月曜日だし早く帰らせてくれと思いながら朝の電車に揺られ、まさかと思うほどの怒涛の午前中を切り抜け、覚えていない午後を駆け抜けて気づけば定時。いつもなら21時まで居残りそうな日なのだけど、手元の手帳に乱暴に書かれたToDoには全て済の横線が引かれている。今この瞬間立ち去れば帰れる、という瞬間に私はカバンを引っ提げお先に失礼いたしました。鳴り止まないスマホのバイブレーション。先輩と客先とのやりとり。私が能動的に動き出すことを期待していたのであろう内容を指示するチャット。放っておいてください。
今日は8月21日。中井の誕生日なのです。

歌の先生のアルバムを聴きながら電車を過ごす。とてもたくさん曲数が入っているので永遠に続くのだけど、チキンナゲットとプレモル(GLAYのキャンペーンをやっている)をやりながらぼーっとしながら聴いているといつの間にか最後の曲になってしまっていた。おめでとうのメッセージをくれた幾らかの友人と次会う予定を決めつつ、もう好きなように過ごさせてくれと3本目のプレモルを凍らせたグラスに注ぐ。お盆なんてめちゃくちゃに休んで遊んだのに、一切頭と心は休まっていない感じがする。始発でゴルフ場まで行き、下手なゴルフを慰められながらも周り切って絶景の風呂に入り、その足で、海の近くに家を買った音楽仲間宅に遊びに行って小一時間宴会をして、はたまたそのまま幕張まで出向いてソニックマニアを翌朝4時半まで楽しんだ日もあった。多忙アピール乙なのだが、それでしか得られない「やった」感があるのだ。本当に、何にも意味はないのだが、その連続する感じが楽しい。自分の興味と、経験と、物理的な動線がピタッと一致し一筆書きのようなストーリーとなる瞬間が楽しいのかもしれない。

そろそろ次のライブのキーヴィジュアルを描いたりしたほうがいい時期なのだけど、なかなかに腰が重い。やったらやったで楽しいはずなのだけど、着手が死ぬほどめんどくさい。本当にペンを持ちたくないし、ピアノも弾きたくないし、ギターなんて以ての外。そんなこと言いつつ今朝3時28分に目が覚めた私は思い立ってギターのフレットをフレットバターで磨き始めた。そういった謎の刹那的なモチベーションを私は捕まえないといけないのだけれど、1日の大半を労働に捧げているとそのタイミングを捉えるのは難しい。まったく、何ヶ月も放置しているエッセイに手を伸ばしたのも、やりたくないことから目を背けるために、またなんとなく、身の回りにいない人に話を聞いて欲しい気持ちになったからかもしれないが、ブラウザのタブに登録したnoteの文字を一度クリックするだけで開くはずのこのページは私にとって果てしなく遠いものになってしまっている。

本当にこれでいいのだろうかと思いながら、もう20年もそんなふうに思いながら、コツコツと曲をあたためて、小節と小節をつなぐフレーズを鍛えながら過ごしている。エッセイを書くたびにそんなこと言っていて、でもそれしか考えていなくてかわいそう。フジロックに向かう新幹線の中で、ずっと自分のアルバムをリピートして、いいねぇと思いながら飛ぶようにすぎていく景色を眺めた。よくこんなの思いついたな、というフレーズに溢れている。気が遠くなる。もう本当に嫌になる。でもキーとなるアイデアを閃いた瞬間は結構覚えている。指が、歌が、勝手に作ってくれたアイデア。安心し、自分を誇りに思い、そしてそれがただの一つのアイデアに過ぎないことに気が付く瞬間の落胆。繰り返し繰り返し本当にチリを積もらせて1曲を練り上げています。

夏が勿体無くて、無理やり外に出たりすることもあったけれど、夏にも事情があるので追いかけまわすのはやめよう。緑も縁もすくすくと育ちいつの間にか枯れる。と思ったらまた新芽が生えてきて立派になって、線路沿いのバルコニーは少しずつ様子を変えながら、定期的に響く電車の通過音に靡いている。

鳴り止まないスマホ。
写真は茅ヶ崎カンツリー倶楽部から望む大島。

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