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ラランドのショートムービー「点」を観ました。
素晴らしい作品をみていてもたってもいられなくなり、こうやって筆を取っている。
何かにつけて自分語りしたいお年頃なのか、それとも毎度作品に接した直後は感想が出てこないのだけど、私はこんなことがあってね、というのを書きたい。
私自身も大学に入る際は浪人したのだけど、ここで描かれているような悔しい思いや目の前の課題に全力で取り組んだみたいなそんな思い出とは真逆であった。新しくできた友達、思いもよらない恋愛や、思いもよらない入院、そのあとまた恋愛、そして美術、建築との出会い。そんなだったからとても楽しく、入った大学も私に合っていたので良い浪人時代だった。それまでギターロック関係のことしか興味がなかった私に、美術や建築といった「文化」の存在や考え方を学べたのが浪人時代であり、その地肩があったため大学に入ってからはスムーズに建築学にのめり込むことができた。

受験のことについて書くと、今思うと私は入試問題なんて何一つ解けなかった。公式の成り立ちを理解しないままカタチだけ覚えて、問1、問2までは解けても、問3が解けたことはなかった。逆にセンター試験は得意だった。出る問題のカタチが決まっているので、何度も何度も過去問を解いていれば大体解ける。一級建築士の試験だってセンター試験のようなものだ。大体1000時間(本当)予備校の言う通りに何度も何度も過去問を解いて、身体で覚えてしまえば受かる。

とにかく、応用が必要な問題は片っ端から解けなかった記憶がある。練習段階では答えを見れば考え方がわかる、あーそんなことだったのか、でも心から理解してないので、模試や本番では解けない。

応用が効かないのは社会に出た今でもそうだ。仕事で応用が効かないのをひしひしと感じる日々だ。高貴な学歴を持つ入社間もない人たちも知識の多少に関わらずスムーズに仕事をしているのを見ると、応用力の差というのは確実にあるのだなと感じる。そういった実力差を大人になってから肌身に感じるととても辛いので、頭脳労働を志す10代の皆さんは試験問題をしっかり自分で解き切ることをおすすめする。答えを見て次はそうすればいいやーなんて思ってやり過ごしてはいけない。次は別のカタチで問題が襲ってくるのだ。

音楽なんて応用でしかないので、私の頭脳は全てそっちに持ってかれている。道を歩きながら素晴らしいアイデアとイメージを思いついたはずだったのに、満を持して形にしてみると全然大したことない。コンセプト的には私の好きなもの全てが詰まっているはずなのに、音楽としてあんまり良くない。ため息。いっそ音楽に出会わなければよかったなんて思っちゃう。でもラランドの「点」をみて、ここであきらめるわけにはいかんだろうという気になった。
なんか、相容れないものを組み合わせようとしてるんだからそりゃ合わないよなぁ、という感じなんだけど、それをなんとかするのが中井設計の宿命なのだろう。

桜が咲かないまま迎える新年度、夏のワンマンまであと、131日。

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