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仮面的世界【3】

【3】前口上(参)─『仮面の道』『仮面の解釈学』『〈個〉の誕生』その他

 本論に入る前に、もう少し‘余談’を続けます。

 前々節で、四半世紀前に「仮面(的なもの)」をめぐる考察を中断してからも、関連する文献や資料は目につく範囲で入手してきたと書きました。集めるだけで、肝心の中身を確認することはあまりできていないですが、そもそも蒐集の対象から除外してきた(敬遠していた)ジャンルがあります。文化人類学や民俗学における仮面研究、仮面論の類、古今東西の仮面劇にかかわる論考がそれです。
 このことは、旧仮面考の段階でも、なかば意図的に採用していた‘方針’でした。たとえば、クロード・レヴィ=ストロースに言及したのはただの一度だけ、それも川田順造の『聲』を「驚くべき豊穰さをそなえた名著」と称えたという話題のなかで間接的なかたちでその名を出しています。また、能面についても直接的には触れていなくて、仮面論ときけば誰しもが思い浮かべる和辻哲郎の「面とペルソナ」への言及も皆無なのです。
 いま「なかば意図的に」と書いたのは、一つには、仮面の文化論や芸術(表現)論のごときものには、当面の基礎的・原理的・理論的な考察を、自分なりに一応の得心がいくまでやり通した次の段階で、いわば応用篇として向き合いたいと考えていたからであり、いま一つの理由は、そうした具体の世界での仮面をめぐる諸現象は膨大深甚かつ錯綜していて、到底自分の手には負えないと見切っていたからと、あらためて振り返ってみて思い当たったからです。
 とはいえ、「仮面(的なもの)」をめぐる基礎的思考をめぐらせるためにも、レヴィ=ストロースが華麗な事例分析を通じて抽出した「構造」を参照することは必須であるし、和辻哲郎の議論のエッセンス、あるいは、今福龍太氏が「仮面考2「顔、面、ペルソナ──和辻哲郎に導かれて」」で、和辻の思想を引き継ぎ「人間の顔と仮面をめぐる現象学と存在論とを精緻な哲学的な展望のなかに置きなおした」と評した坂部恵の『仮面の解釈学』への目配りを忘れることは決してできないでしょう。

 そういうこともあって、私はかねてから、仮面考を本気で再開する気になった際には、なにをおいてもまず、それまで遠ざけてきたレヴィ=ストロースの『仮面の道』を入手することから始めようと心に決めていたのでした。
 そして同時に、「仮面(的なもの)」をめぐる考察の‘本丸’もしくは‘最終到達点’であると、実は密かに見定めていた坂部恵(と和辻哲郎)の思考に対して、少なくともその原理的・理論的な部分に関しては、真っ向から挑まねばならないと覚悟を決めていたのでした。
(覚悟を決めるとはまたずいぶん大仰な物言いだが、私はこれまで坂部恵の著書に何度も挑み、その都度、心ゆくまで存分に咀嚼しきれた実感がもてないまま読過してきた。刺激が大きすぎ深すぎて容量を超え、また当方の興奮が制御不能となって処理しきれなくなるからだ。だから坂部恵を本気で読むことは、もしかしたら帰ってこれない世界へ足を踏み入れることである。)

 実質のない話題を、あと一つ付け加えます。
 レヴィ=ストロースの『仮面の道』(ちくま学芸文庫)を購入したのとちょうど同じ頃、坂口ふみ著『〈個〉の誕生──キリスト教教理をつくった人びと』の岩波現代文庫版が刊行されました[*]。これはきっと幸先の良い符合に違いないと、その時直感しました。というのも、私はかつてこの書物を読み、「仮面(的なもの)」をめぐる考察への重要な手掛かりを得たからです。
 このことについては、後に、旧仮面考を‘回顧’する際にでも触れることにして、もう必要以上に長くなった「前口上」をここで閉じることにします。(『〈個〉の誕生』以外にも上述の『聲』や『ジンメル・コレクション』所収のエッセイ、ディディエ・アンジューの『皮膚-自我』やミシェル・セールの『五感 混合体の哲学』、そして洞窟壁画への関心を強く刺激された木村重信著『はじめにイメージありき』など、当時気を入れて読み込んだ(抜き書きした)書物がいくつかある。これらについても、できれば四半世紀ぶりの再読を通じて新たな転回へのヒントを得たいと思っている。)

[*]山本芳夫氏が『〈個〉の誕生』の文庫解説「かけがえのない「個」への導きの書」の中で、次のように書いていた。これを読むにつけ、坂部恵が「仮面考」の最重要人物であることにあらためて気づかされる。

《本書が一九九六年の春に刊行されたことをいち早く私に教えてくださったのは東京大学を退官されたばかりの坂部恵先生であった。古今東西の思想に通じておられた坂部先生は、『ペルソナの詩学』(岩波書店、一九八九年)の著者でもあり、『〈個〉の誕生』の中心概念でもある「ペルソナ(人格)」概念についても、古代におけるその誕生から、西洋近代とりわけカントにおける展開、そして和辻哲郎の人格論など、日本の近代哲学における展開まで含めて、その重要性を熟知しておられた。
 その坂部先生が、大学院でトマス・アクィナスを研究し始めていた私にくださった励ましの言葉は、「中世哲学を、近現代の哲学との対話という広い土俵へと引っ張り出してください」というものであった。(略)
 そして、そのような励ましの言葉を私に語ってくださったさいに、「つい最近刊行されたばかりの坂口ふみさんの『〈個〉の誕生』という本などは、まさにそのための手がかりを与えてくれる書物だと思う」と付言してくださったのである。…このコメント以上に的確に本書の存在意義を捉えたコメントを私は知らない。
 本書は、古代末期のキリスト教の教理論争を背景に生まれてきた古代末期から中世にかけてのキリスト教的な神学・哲学という、一般読者にはほとんど無縁とも思われる分野を、現代を生きる一人ひとりの生と接続させてくれる稀有な書物なのである。》(『〈個〉の誕生』(岩波現代文庫)401-403頁)

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