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韻律的世界【27】

【27】形象徴─紋様・文様・装飾(承前)

 山崎正和著『装飾とデザイン』(中公文庫)の議論を、個人的感想を省いて抜き書きします。

<「もの」を持たない形は見えない>

「…形のない「もの」[物質、材料、質料、素材──引用者註]と同様、逆に、「もの」を持たない形も肉眼には見えない。(略)形は手を使って素材となる「もの」に移し、それを変形しさらに手直ししているうちに、ようやく自分にも明確に見えてくることが多い。」(61頁)

「…道具の製作のなかで人類はたぶんはじめて抽象的な形を学んだ…。たんに「もの」から離れた純粋な形を発見しただけでなく、より観念化された幾何学的な図形をも同時に知ったと考えられる。」(117頁)

<「聖別」と印しづけ、指さす行為の延長>

「…装飾はなんらかの個物にたいする「聖別」であり、印しづけなのである…。(略)これにたいしてデザインは想像力の計画、造形の準備として成立するものであるから、その後の制作の過程を欠いては意味をなさない。」(129頁)

「…装飾とはこの指さす行為[輪郭も細部ももたない「裸の存在」である個物を「確かな重み」(同一性)を帯びてそこにあるものとして「あれ」や「これ」と指さす行為──引用者註]の延長であり、指先に力をこめて「これ」に印しを刻みこむ営みであった。しかし印しは必然的にそれ自体の形を持たざるをえないから、逆説的なことだが装飾は隠された個物をいやがうえにも隠すことになる。そして個物は隠されることによってますます「聖別」され、「聖別」された個物はますます装飾を要求した。この歴史的な過程のなかで、特定の個物はあるときついに神格化され、超越者の憑り代と見なされるようになり、その延長線上に宗教の目覚めさえもたらしたというのが、私たちの推察であった。いいかえれば飾ることが飾られる対象を生み、飾られる対象が一層の装飾を呼んで、その循環のはてにあの祭の日の賑わいが生みだされた。」(138頁)

<想念の装飾、模倣・再現の営み>

「装飾の根源は対象を見る行為ではなく、漠然と対象を崇める行為であって、そのために対象を心のなかで指さし、やがて思いに印しをつける行為であった。
 最初に目に見える形を生んだのはこうした装飾それ自体の働きだったが、しかしそこに生まれた形[例:巨木の注連縄]はおよそ装飾される対象の形とは縁もゆかりもないものであった。(略)振り返れば装飾物の形が装飾される対象の形と関係づけられ、後者が何らかの意味で前者に反映されたのは、装飾が漠然たる形さえ持たない、いわば内面の想念を飾り始めた時であった。(略)
 だがここで注意すべきは、この初期段階では装飾される想念を仰ぎ見たいという意識はあっても、現実の装飾はさしあたり想念の内容とは無関係に始まったということである。人が自然の豊穣を女性の裸体で示したり、キリストを魚や羊で、仏を車輪や足跡で表そうと試みたとき、そうした記号の形は巨木の注連縄の場合とまったく同じであった。それらは意味を表すという点でむしろ象形文字の形に似ていたのであって、想念そのものの形はもとより、記号として借りられた形、裸像や魚や足跡の形ですら十分に形として凝視されていたわけではなかった。ただここで巨木の注連縄の造形の場合と決定的に違うのは、想念にたいしては人がそれと正面から向かいあい、それを仰ぎ見たいという強烈な願望に駆られていたことである。一方に装飾物を造る造形の意欲があり、他方に距離を置いてものを見る志向的な意識が生まれて、それが重なって働いたときに造形は一つの飛躍を迎えたのであった。
 いうまでもなく、それは「模倣」あるいは「再現」と呼ばれる営みであった。」(216-217頁)

<発声と造形、型と模倣>

「あたかも最初の言語の誕生が謎に包まれているように、造型的な再現の起源を探ることもむずかしい。だが両方に通じて確実に想像できることは、人類があるとき実用的で慣習的な行動連関から離れて、当面は目のまえに存在しない対象を思い浮かべ、その想念を集団で共有しようと願ったということだろう。そしてたまたまそれと並行して、人類は一方で発声という行動に反復可能な「型」(言葉)を与え、他方で造形の手の動きにも一定の約束事(模倣)を生み出していたと推測できるのである。」(219頁)

<物語の装飾>

「…人間の想念をいちじるしく膨らませ、それを多彩に発展させたものは物語であり、とりわけ宗教的な神話であった。」(220頁)

「おそらく人類が初めて物語を生んだとき、…先史人はそれを身体を使って演じていたにちがいない。身体にはおのずから空間性があるから、彼らはせりふを語りながら場面の同時性を直接に観客の目に伝えることができた。だがやがて物語が叙事詩人によって言葉だけで語られるようになると、にわかにそのなかの空間的な要素は閉め出されて、表現の別の媒体を要求し始めたと想像することができる。そしてその媒体がほかならぬ造形(物語絵)であったことは、古代ギリシャの文学と造形の並行的な発展を見ても明らかだろう。(略)
 こうしてかつて静止的な想念を装飾したのと同じように、人類は形によって物語を装飾し始めたのであるが、ここではもはやその形は装飾される対象と無縁なものではなくなった。形は装飾される物語そのものの空間性に根ざし、それ自体の場面性を回復する媒体になったのであって、ここに再現という観念が初めて根拠を持つことになったのである。」(222頁)

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