見出し画像

文字的世界【11】

【11】フィギュールとしての洞窟壁画・続々

 『狩猟と編み籠』の書名の由来は、セルゲイ・エイゼンシュタインの映画理論にあります。
「人物と風景を一つに包み込むより大きな「風景」にアニマの気息が吹き込まれることによって、画面全体が一つの生命を得て運動している──映画はすべからくそのような「アニメ」でなければならない[*1]。そう考えていたエイゼンシュタインにとって、もっとも純粋な発達をとげた芸術形態は、ほかならぬ音楽でした。とりわけバッハの作品に最高のかたちで表現された「ポリフォニー(多声)」音楽こそが、映画のめざすべき理想だと考えられたのです。」(235頁)
 中沢氏によると、エイゼンシュタインはバッハのポリフォニー音楽の根底に、「狩猟の仕事と編み籠の技術」として発揮された旧石器的な人類の思考の発展形態を見いだそうとしています(239頁)。──「一方の本能は、個々のモチーフから編み上げられる統一的全体の編み物のもつ魅力の原因であり源泉である。もう一方の本能は、統一的全体に編み上げられる声部群の密林のなかを通り抜けて個々のモチーフの線を追跡する狩猟の魅力の原因であり源泉である。」(『エイゼンシュタイン全集』第九巻)

 狩猟と編み籠はまた、男性結社(フィギュール化された社会)と女子供と暮らす家族共同体に対応させて考えるとができるかもしれません。
「…新石器型文化の特徴を残すいわゆる「未開社会」…では、人が死んだときとか、お祭りのときとかのような特別な「聖なる時間」を除いては、謎々[*2]のような言葉遊びをすることが、禁じられていました。謎々では、共通の音価によって異なる意味場が一瞬にして結び合うという事態がおこってしまいますが、それこそはフィギュールの典型的な仕業であるとして、日常生活の場からは、慎重に遠ざけられていたのです。フィギュールではなくディスクールを[*3]。これがかつての人間の日常生活における大原則でした。
 テラスでの日常生活の場には、イニシエーションを終えた男たちも、イニシエーションを受けて結社員となることが許されていない女や子供たちも、いっしょに暮していました。洞窟内で使われていたような「神聖言語」の、テラスでの使用は禁じられており、言葉や身体のフィギュール的活動は極力抑えられて、もっぱらそれらを記号学的に使用することが求められました。」(293-294頁)

 ──『狩猟と編み籠』からの素材蒐集作業を通じて、しだいに本論考のキーワードである“フィギュール”の実質が浮かびあがってきたのではないかと思います。まだ生硬な言い方しかできませんが、それをあえて表現すると、次のようなものになります。
 洞窟壁画(≒神話文字、神聖言語)≒映画的イメージとしての“フィギュール”は、メタフィジカルな言語世界とマテリアルなイメージ世界が交わるところ、すなわち神との交流(啓示)を含む言語的コミュニケーション(ディスクール)と無意識との中間領域における、非言語的・非表象的なイメージ群であり、イメージ以前のイメージ、はじまりのイメージなのであって、それは音(聲)と形(〈文字〉)、音楽(哥)と舞踏と造形、聴覚と触覚と視覚が流動化し、共感覚的に統合されるフィールドにおいて立ちあがる。
「フィギュールと呼ばれる美学的対象は、自分の内部に流動的知性につながっている無意識への通路を保ったまま、意味表現の世界に立ち上がってくる、特異な表現です。フィギュールは、意味を破壊したりするのではなく、意味表現をそれが生まれてくる根源の場所である無意識という強度の場から、新しくよみがえらせようとしています。」(285頁)

[*1]三浦雅士著『スタジオジブリの想像力──地平線とは何か』第一章「絵より先にアニメがあった」で、著者はゴンブリッジの「アニメーション論」(18頁)である『芸術と幻影』を取り上げている。

《ゴンブリッジは、「いまここのこの瞬間」を捉えるというような考え方が発生したのはギリシアにおいてであって…、ルネサンスがそれを復興したのだと述べています。(略)
 ゴンブリッジが示唆しているのはルネサンス期に流行したネオプラトニズムが一種の逆説としてあったということである、とも受け取れます。プラトンのイデア論に、有名な洞窟の比喩があります。この世はイデアの影にすぎないという考え方が影絵すなわちアニメーションを思わせ、それがまた後世の芸術家を興奮させるわけです…。
 重要なことは、「いまここにこのようにしてあるわたし」──デカルトからパスカルへと展開する「私という現象」への固執──という実感的な自己意識が、いまにも動き出しそうなルネサンス絵画の中心を形成しているということであり、それはつまりアニメーションと切り離しえないということです。だからこそその後に風景画の伝統もまた形成されえた。『芸術と幻影』の巻頭に、コンスタブルの「エセックス州のワイヴェンホー・パーク」が置かれていますが、永遠の現在のような光景であるにもかかわらず、雲の動きも風のそよぎも、それを描いている「いまここにこのようにしてあるわたし」である画家の捉えた歴史的瞬間において記録されているからこそ、重要なのです。
 すると、アニメーションを構想したうえで、その一コマを切り取ってみせたのが西洋絵画だったのではないか、と、逆に考えることができます。》(『スタジオジブリの想像力』33-34頁)

 ──旧石器時代の洞窟内でシャーマン(鳥人間やライオン・マン)の采配によって“上映”されたアニメーション、その「一コマ」(永遠の現在)をなすフィギュール。フィギュールがもつ生命性、力動性はアニメーションがもつ動画性につながっている。

[*2]講演「国文学と人類学」(『二松学舎大学人文論叢』第79輯)で中沢氏は次のように語っている。ここで言われる「まれびと」は“フィギュール”そのものである。

《文芸のおおもとの形は「まれびと」として考えることができる。つまり均質なシステムのなかに、外から異質な力を招き入れてくる宗教の様式として「まれびと」は発展してきたけれども、それを言語で表現すると文学、文芸になると折口さんは考えたわけですね。これが有名な折口さんの国文学の「まれびと」による起源説と呼ばれるものです。いろいろな側面から折口さんはこの問題を考えましたが、いちばん重要な問題は、文学が喩の構造[*4]としてつくられているとき、その喩の根本的な構造のなかに「まれびと」の構造が入っているということを折口さんは知っていたということです。
 人類がおこなった最古の文芸はなにか。十九世紀以来多くの人類学者によれば最古の文芸形態は、「なぞなぞ」であったと言われています。なぞなぞというのは、日常生活のなかでは遠く離れたところにあるふたつの意味場が、音の類似性などによって一瞬にして結合することによって生まれますが、その結合の瞬間の驚きや喜びが文芸のおおもとになったと考えられています。このなぞなぞの形がやがて喩の体系をつくり、詩へ発展していったというのが、十九世紀の人類学が明らかにしてきたことです。
 たとえば「メはあっても見えないもの、なに?」というなぞなぞの答えは「じゃがいも」ですが、これはじゃがいもの芽と人体の目を重ね合わせています。この場合は、植物と人間の身体の器官が一瞬にして音の共通性でくっついています。この驚きは私たちに楽しみをもたらしますが、これが喩の構造になっていきます。
 あらゆる民族の文学において、喩を用いた表現、詩というものが最初の文芸形態になります。詩の命は喩であると思いますが、この喩の構造は「まれびと」と同じ構造をしています。》(『二松学舎大学人文論叢』第79輯)

 吉本隆明は『言語にとって美とはなにか』の第Ⅴ章において、文学作品を言語表出ではなく「言語芸術の価値」として扱うために「構成」の問題をとりあげ、詩・物語・劇という三段階の言語構成の展開を示している。
 中沢新一氏は『吉本隆明の経済学』の第二部「経済の詩的構造」で、「吉本隆明は言語の奥に潜む詩的構造を探るだけでは満足せず、経済というものの奥に潜む詩的構造まで明らかにしようとした」(341頁)と書いている。
 同書第一部には吉本の講演「近代経済学の「うた・ものがたり・ドラマ」」が収録されていて、そこではアダム・スミスの「歌」、リカードの「物語」、マルクスの「ドラマ」といったかたちで先の構成論の成果が用いられている。注目したいのは、中沢氏がそこに第四の類型を導入していることだ。

《私はこの[アダム・スミスからマルクスまでの古典派経済学の転形の]過程を、詩的構造の原始性からの乖離の度合いとして理解しようと思う。そのことを理解するには、アダム・スミスの前に重農主義の思想家ケネーを付け加える必要がある。アダム・スミスが経済の「うた」を歌ったとすれば、ケネーは何をしたか。ケネーの『経済表』はマルクスによって人類にとっての「スフィンクスの謎」と呼ばれた。ところで人類学は「なぞなぞ」が「うた」に先行するより原始的な文芸形態であることをあきらかにしてきた。それは裸にされた詩的構造そのものである。吉本隆明のおこなった理論教判の図式に、私はケネーの「なぞなぞ」を加えて、図式を完成させたいと思う。》(『吉本隆明の経済学』258-259頁)

[*3]中沢氏はここで、リオタールの議論を踏まえている。「美学で言うところのフィギュールは、言語コミュニケーションを邪魔したり、歪めたりする力をもっています。そのことを、美学者リオタールの書いた『ディスクール、フィギュール』に引かれた「判じ絵」を例にとって、説明して見ましょう。」(275頁)
 これより先の中沢=リオタールの議論は省略するが、一言付言すると、音における「謎々」と同じ関係を形(〈文字〉)に対して持つのが「判じ絵」なのではないか。
(『狩猟と編み籠』(2008年)刊行後に翻訳出版されたリオタールの『言説、形象(ディスクール、フィギュール)』(2011年)を速攻入手し、中沢氏の議論を確認しようと挑んだが、この作業はいまだ果たせていない。「文字的世界」の考察に際してぜひ完遂させたがったが、今回もまた宿題として残った。)

[*4]中沢氏は、「潜在空間から現実世界へと向かおうとする言語の現象性の本質」にかかわる「垂直的な過程」を、ハイデッガーにならって意味の「生起」と呼び、この生起を通じて潜在空間から立ちあがってきた「意味の胚」(AとBの双葉で表現される)を組織する働き、すなわち、たがいに似ている事物を「同じもの」としてまとめる能力のことを「喩」と呼ぶ。そして、生起と喩からなる「潜在空間(X)⇒現実界(AとB)」に関して、次のように語っている。

《現実界で分離されている諸事物[AとB]を結びつけるのは「因果性」である。この因果性を表現するのが、象徴界の記号連鎖である。ところが生起の過程がつくりあげている想像界では、AとBはともに潜在空間Xではつながりあっていて、そのために喩のメカニズムはAとBを「同じもの」と見なしたのである。人間が想像界をとおして見た世界は現実界そのものではない。そこには歪みがある。その歪みを他の人間の認識との共同性によってより現実界に近い像に「焼き戻す」ために、共同的な言語の場である象徴界が人間にはなくてはならないものとなる。
 こうして想像界ではAとBとXがつくりなす「三位一体」の構造が、たえず心の動きに影響を与えることになる。事物Aについての認識には、潜在空間Xの力が及ぼされ、それはいわば地下の通底路を通じて、喩が「同じもの」と認めた事物Bの認識にも入り込んでいく。さらにはBの認識がAについての認識にも還流してくる。こうして、Aについての認識は喩のメカニズムを介して膨らんでいき、増殖していくようになる。このときの意味の増殖を可能にしているのは、潜在空間からもたらされる(贈与される)力にほかならない。》(『吉本隆明の経済学』第二部「経済の詩的構造」)

 ここで言われる「生起と喩」すなわち「X⇒AとB」の働きは“フィギュール”そのものである。
 蛇足を加える。ここで私は、連句の付け合わせと夢の心理を比較して考察した寺田寅彦の「連句雑俎」を連想している。

《このようにして、[連句における]前句と後句とは言わばそれぞれが錯綜した網の二つの結び目のようなものである。また、水上に浮かぶ二つの浮き草の花が水中に隠れた根によって連絡されているようなものである。あるいはまた一つの火山脈の上に噴出した二つの火山のようなものでもある。しかしこれだけの関係ではあまりに二句の間の縁が近すぎ姿が似すぎて結果はいわゆる付き過ぎである。むしろ一つの非常に精巧な器械の二つの部分が複雑きわまる隠れた仕掛けで連結していて、その一方を動かすと他方が動きまた鳴りだすような関係である。それほどの必然さをもって連結されていて、しかもその途中のつながりが深い暗い室の中に隠れているような感じを与えるものが連句の上乗なものでありはしないかと思うのである。
 これについて思い出すのは近ごろの心理分析学者ことにフロイドの夢の心理に関する考察である。(略)
 フロイドの考えでは顕在的な「夢内容」の底には潜在的な「夢思想」なるものが流動している。前者の表面的な並列はいわゆる夢のような幻影の無意味な行列に過ぎないのであるが、これらの「夢内容」を形成する象形文字のような影像を一つ一つ夢思想の国のこれに相当する言葉に翻訳してみれば、それはちゃんとした文章となり、そうしてそれは驚くべくおそるべきわが内部生活の秘密を赤裸々に記述するものとなるのである。しかもその一つ一つの象形文字のような夢内容は驚くべく多様な夢思想の圧縮されたエッセンスであり、またはなはだしく複雑な夢思想の網目の接合点である。それらの接合点のうちでも、その人のその日の、その前日の、また生涯の経験――意識的ないし無意識的――の最も多くを結びつけるに都合のいいような、そういう特別な接合点が、その夜の夢の内容の一つとして象形文字的に選ばれて現われて来るのである。》

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?