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仮面的世界【25】

【25】仮面の記号論(狭義)─イコンとマスクとクオリア

 パースの記号論について考えるとき、いつも混乱することがあります。それは、パースの三つ組「イコン(第一次性)/インデックス(第二次性)/シンボル(第三次性)」と、私が想定している記号の相互関係「インデックス【Ⅰ】/イコン【Ⅱ】/シンボル【Ⅲ】」──「インデックス(物の世界)/イコン(媒介)/シンボル(心の世界)」と言い換えてもいい──との食い違い、つまりインデックスとイコンの位置づけの違いによるものです。
 このことに関連する議論を、石田英敬著『新記号論』から引きます。石田氏はそこで、ダニエル・ブーニュー(『コミュニケーション学講義──メディオロジーから情報社会へ』)が提案した「記号のピラミッド」のアイデアを取りあげています。
 それは、パース記号論における三分類に独自の解釈を加え、「インデックス→イコン→シンボル」(底辺から頂点へ、自然的な物や接触というレベルから絵や図、そして法則的なコミュニケーションのレベルへ)と順番を変えてピラミッドのように積み重ねたものです。パース記号論では、ピラミッドのボトムを「基底 ground」と呼びます。パースの「グラウンド」とは意識や意味を経験するときの「観点」のことで、パースはブーニューの順番とは異なり「イコン」に記号の一次性を認めていました。

《…パースの場合、…「いま・ここ」という現在に、純粋な質である quale の経験があって、その性質が記号として存在すると考えたわけです。quale の複数形は「クオリア qualia」です。たとえば、純粋な赤さという独特の質の経験がクオリアです。パースは、感覚の質(qualities of feeling)ということもさかんに言っています。たとえば、ぼくたちは音楽を聴いて、それが心地よいとか暗いとかいろいろな感覚の質を感じますね。音楽をそのように気分として受け取っているときには、音を情動的な観点から暗いとか心地よいと聞かせる解釈過程が聴くひとの心に介在している。そういう場合には、気分つまり情動の観点から音を聞き取る、「情動的解釈項 emotional interpretant」による解釈過程であるとパースなら考えるわけです。つまり、情動(emotion)の記号過程[セミオーシス]もパースの記号論のなかには組み込まれているわけです。
 ものごとのクオリアこそが本質となる記号、それはパースの三分類の言う「類像」にあたりますから、パースでは類像記号に一次性を認めることになります。パースは、記号のピラミッドの基底には、「可能性としての類像」と呼ぶようなクオリアの経験があると言います。かれはそれを「純粋なアイコン pure icon」と呼びました。ピュアアイコンにおいては、まだ、経験している質がどういうものかという対象化がありません。それに対して、対象化が行われたものは、ヒュポアイコン(hypoicon)、つまり低次のアイコンと呼んだ。パースの枠組みで、さきほど指摘したブーニューによる指標と類像との順序の逆転をあえて整理すると、類像にはふたつのレベルがあって、まずクオリアとしてのピュアアイコンがあり、つぎに対象との関係が指定された(つまり記号関係が二次化した)あとにヒュポアイコンが成立するというふうに整理されることになります。》(『新記号論』277-279頁)

 私は、石田氏の議論には説得力があると思います。そして、「インデックス【Ⅰ】/イコン【Ⅱ】/シンボル【Ⅲ】/マスク【Ⅳ】」は「純粋なイコン【〇】/インデックス【Ⅰ】/低次のイコン【Ⅱ】/シンボル【Ⅲ】」に書き改めるべきだと考えます。
 前節本文末尾の括弧書きの中で、「マスク」の位置は、その本姓から言えば【Ⅳ】(第四次性)ではなく【〇】(第零次性)と表記するのが本来ではないかと書きました。ダニエル・ブーニュー=石田説を導入するならば、狭義の「仮面記号」とはまさに第零次性のレイヤーに属する記号、すなわち「純粋なイコン」(身体=情動=物表象と精神=感情=語表象との界面現象としての「クオリア」)にほかなりません。

 ただ、もしそうだとすると、解決しておかなければならない‘理論’上の問題が一つ残ります。それは、前節の議論の過程で、記号としてのマスクに対応する比喩形象であるオクシモロンのことを「死んだメタファー」と規定したことに関連します。この規定を仮面記号にもあてはめると、そこに現われてくるのは、感覚質=クオリアとは似ても似つかぬもの、つまり慣習化・惰性化して生気を失った「死んだイコン」でしかないでしょう。
 このことについての現時点での私の考えは次の通りです。──この相反する性質をもった二つのマスク、すなわち生き生きとしたクオリア(ピュアアイコン)としてのマスク【〇】と、干からびた概念(空虚な形式、虚ろな器)としてのマスク【Ⅳ】という、まるで異なったものが同じ一つの記号形態のうちに共在する、そこにこそ「マスク」の記号的特性がいかんなく表現されている。

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