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愛知県の皇室伝承

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・壬申の乱の敗者、弘文天皇の生存伝説(岡崎市) ・文武天皇が「三河行幸」中に儲けた皇子「竹内王子」(豊橋市) ・なぜか渥美半島に渡った後小松天皇の皇女「松代姫」(田原市) ・うつ…
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#愛知県豊川市

【愛知県の皇室伝承】5.「院之子」の地名起源譚:南朝某院皇子「龍岳禅師」の御墓(豊川市)

南朝皇子「龍岳禅師」伝説 愛知県豊川市に「院之子」という地名がある。昭和八(一九三三)年までは「犬之子」だったそうだ。江戸時代後期に幕府の命令で描かれた『天保国絵図』を確認してみれば、そこには確かに「犬之子村」と表記されている。  地名が「犬之子」から「院之子」に変更されたのは、まったく理由のないことではない。この地域は元々「院之子」や「皇之子」などと呼ばれていたそうだ。  伝説によれば、南北朝時代に南朝のとある院(=上皇)の皇子・龍岳禅師が戦乱を避けて従者とともに逃れて

【愛知県の皇室伝承】11.景行天皇の皇子「大我門別命」の御墓? 「行明神社」の古塚(豊川市)

1.「大我門別命」の御墓か? 行明神社の古塚 日本三大稲荷の一つとして挙げられる豊川稲荷で知られる愛知県豊川市。その南部の、豊橋市との境界に位置する行明町に、行明神社というお社が鎮座している。  明治時代中期に刊行された『三河国宝飯郡誌』によれば、江戸時代初期の慶長七(一六〇二)年に津島牛頭天王を勧請したことに始まり、明治五(一八七二)年に素戔嗚神社へと改めたそうだ。現在の社名に改めたのは大正時代のことだという。  さて、その『三河国宝飯郡誌』には次のように書かれている。

【愛知県の皇室伝承】16.持統上皇の三河国御幸と紅葉の名所「宮路山」付近の伝説地(豊川市)

持統上皇の三河国御幸と紅葉の名所「宮路山」付近の伝説地 人皇第四十一代・持統天皇におかせられては大宝二(七〇二)年、歴史書『続日本紀』にあるように太上天皇として三河国(現・愛知県東部)を御幸あらせられた(大宝二年十月十日条)。  三河国の具体的にどこをお訪ねになったのかは朝廷内の記録には残されていないが、豊川市赤坂町の名電赤坂駅(名古屋鉄道)の付近には、持統上皇やそのゆかりの者の伝説地が集中している。 杉森八幡社  持統上皇の頓宮(※一時的な宮のこと。行在所)の跡だと