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不確実性の時代におけるプランニング

『従来のプランニングは何が最も起こりそうかを考えた。
これに対し、不確実性の時代におけるプランニングは、未来を変えるものとしてすでに何が起こったのかを考える。』

ドラッカーのこの格言は、2つの文章の対比に着目することがポイントです。
最初の「従来のプランニングは何が最も起こりそうかを考えた」は、「将来予測が可能なら、計画を立てる上で何が起こるのかを見極めるのが重要だ」と述べています。

一方、不確実性という先行き不透明な状況においては想定外に翻弄されることが前提となります。
つまり、将来を予測して計画を立ててもちゃぶ台をひっくり返されてしまうということを意味します。
そんな状況の中でプランニングをするというのは、一体何をすることだということになるのか。
ドラッカーは、この逆説的命題に答えようとしたのだと考えられます。

ドラッカーはつまるところ、不確実性の時代においては異変をいち早く察知し、様々な仮説を創り出すことがプランニングとなる、と言いたいのでしょう。

厳冬期のヒマラヤ登山を例にとりましょう。
ハイキング程度の登山なら変化と言っても雨が降るくらいなので予測は可能です。
それに対して厳冬期のヒマラヤはいつ吹雪になるか、雪崩が起きるか等想定を超えた形で展開するのだと思います。
なので登山家は常にアンテナを張り、異変をいち早く察知し、それが何の予兆なのかを意味づけ、素早く行動に移すのだと思います。

登山であればそれでもまだ起きうることのバリエーションに限りがありますが、VUCAワールドにおいてはそのバリエーション自体が想像もつかないものになりえます。

わずか10数年前まではGoogleがトヨタ自動車の時価総額の15倍までにもなり、自動運転を武器に自動車業界そのものを脅かすことになると思っていた人はほとんどいなかったのではないでしょうか。

こうした想定を遥かに超えた変化は、これから加速度的に増えていき、1年前には誰も想像しなかったようなバリエーションも生まれ続けていくのでしょう。

厳冬期のヒマラヤ登山をするのに、トレッキングをするくらいの格好で山に入ろうとしている人がいるとしたら「そんな気が狂ったことはやめろ!」と誰もが止めるのではないでしょうか。

ところが、私たちのほとんどは自分たちがそんな類の過酷な環境下にいることを自覚しておらず、無防備に日々を過ごしているのかもしれません。

作家のT.Sエリオットが、
「私たちは経験している。しかし、意味づけが欠けている」
という言葉を残しています。
エリオットの言葉を借りれば、私たちにとっては、漫然と経験しているが故に、異変に気付きづらく、その意味付けもしないというのがデフォルトパターンなのだと思います。

もし、そうなのだとしたら、VUCAワールドが私たちに突き付けている変化の本質は、こうした新しい行動様式をリテラシーとして身に着けるということなのかもしれません。

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