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「強みにフォーカスすべきか、弱点を克服すべきか」というお題の誤り

人材活用の永遠のテーマの一つとなっているのが、「強みにフォーカスすべ
きか、弱点を克服すべきか」というお題ではないでしょうか。

しかし、多くの決着のつかない議論にみられるものと同様に、実際にはこの
テーマは「そもそもお題がおかしい」と言えます。

なぜなら、「弱点を克服する上で、人は既存の強みを稼働させている」、
もっといえば「ほとんどの場合、人は既存の強みしか元々稼働していない」
からです。

何らかの事故後、弱った足腰のリハビリのために、腕の力を頼って手すりを
たどるように、私たちは自然と弱点克服の上で既存の強みを活かしています。

間違ったお題へのはまり込みが生じるのは3つの見極めの難しさ
(1.個体差、2.習熟可否 3.代替可否)があることに起因しています。

視力が悪く眼鏡をかけている人に対して「なぜ、裸眼で見ないんだ!」と憤
る人はいないはずです。
それは1.個体差による弱みが「見える」からです。

しかし、発達障害で片付けられないだけなのに個体差とは理解されず、関係
性が悪化することもあります。
個体差に起因する弱点が見えづらい時、克服しないのは本人の甘えにしか見えなくなるため「強みフォーカス論」を拒絶したくなるのです。

2.習熟可否は個体差に加え、状況的な難しさ、トラウマ等の心理的な要因に
対する見極めの難しさがあります。
「やればできる」のか「やるだけ無駄」なのか。
それは強みを活かすからできるのか、強みを活かそうができないものはできないのか、この境界が微妙なため混乱を生むことになります。

3.代替可否は「できないなりに、他の手段を探しなよ!」と見えてしまう分、余計にその人の意志の問題に見えてしまいます。
実際に多くの場合、「やりようはある」のですがそれが見えない本人にとっては辛く、いずれの手段をとっても副作用があるようなジレンマにおいては「他の手段を実質取りづらい/取れない」ことも少なくありません。

そして代替手段を探す・行うにしても結局のところ、その人の既存の強みが
それを可能にするので、強みを活かすことになるのですが、それが通用しな
い状況を見誤ると、また意志の問題に帰着してしまいます。

結局、「できないものはできない」ので本質的な課題は「強みフォーカス/
弱点克服」ではなく、
「それが本当に克服できない/しづらい弱点なのかをどう見極めるのか」
「克服可能なら克服のための目的意識をどう養うのか」

になります。

私自身、元々不器用で、得意なこと/苦手なことの差が激しく、その代表格
が「料理」でした。
味音痴という個体差に加え、食事や能力を巡っての根深い心的外傷が邪魔をしました。

厳格な父が料理人だったため食事マナー等には厳しく、4歳頃まで何を叱ら
れているのか不明なまま毎食叱られるので私にとって食卓は恐怖の場でした。

また、できないことはとことんできず人が得意なことには手を出さない生存
戦略を幼少期には確立しており、父が料理の専門家である時点で料理は禁猟
区だったのです。

しかし、息子の留学がきっかけとなり、寮から帰ってくる彼が日本食を食べてホッとできるようにしたいという目的意識が芽生え、料理を学び始めたことがありました。
当時は料理教室に通い、いまなお苦手意識が完全に払しょくされたわけではありませんが、しばらく続けると抽象化して物事を捉えるという自分の強みを活かせるようになり、何とか前進した、という体験がありました。


目的を持つ力。それは人に備わった大きなギフトなのだろうと思います。

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