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GRAPEVINE『さみだれ』を自分流に解釈すると

2021年に発売されたGRAPEVINEのアルバム『新しい果実』に収録されている『さみだれ』が自分はとても好きです。

いや、もうこのアルバム自体が良すぎて全て好きなんですけれども、特にこの曲に関しては自分のなかでの「感情を揺さぶるGRAPEVINEの曲」を代表すると言っても過言ではないと思っています。

過去にTwitterの企画で「ファン273名が選んだGRAPEVINE名曲ランキング」と言うものがありました。それは全ての曲の中から自分の好きな曲を1位から10位までランキングにして企画者へ送り、そこで集計されたものが全ランキングとなって発表されるものでした。(1位は10点、2位は9点…と点数化して集計されるのでかなり本気な企画でした)

そこに自分も参加して、集計結果を見ながら一喜一憂していたのを今でも覚えています。

ファン273名が選んだGRAPEVINE名曲ランキング https://www.mybackpages-jmx.com/best-grapevine-songs-2382

JMXさんの『My Back Pages』より

こんな感じのブログですが、本当にガチなランキングでした。やはり壮大な名曲強し!って結果だったし、ライブで定番のあの曲がこの順位なのか…と意外な部分もありました。

横道に逸れましたが、そのランキングがまた第二回を迎えるならば、きっと自分は『さみだれ』を1位にしているでしょう。

勿論、曲は切ないバラード調で文句なく素晴らしいメロディーなんですが、特にその歌メロに乗る歌詞が堪らなく好きなんです。

基本的に作詞をしている田中氏は「(歌詞については)読み手に考える余地を残したい」のようなインタビュー記事もあったので、比較的抽象的な書き方をしています。

そんな『さみだれ』の歌詞について、どんなストーリーなのか?何を伝えたいのか?などを自分なりに考察していければと思います。

もちろん、読み手の想像力に任せた書き方なので、十人十色な解釈があるのを大前提として進めていきますね。

こちらが「さみだれ」の歌詞になります↓

「さみだれ」歌詞1/2
「さみだれ」歌詞2/2

まず自分が読んで感じたこの歌詞の結論から申しますと『余命少ないパートナーとの日常』だと思います。

なぜそう思うか、それは最後のサビのワンフレーズが引っ掛かりました。そこは『粥じゃなくてカリフォルニアステーキあなたは食べたがってさ』の部分です。

ずっと輪郭のぼやけた情景が映すような歌詞が続いている中で、突然『粥』と『カリフォルニアステーキ』が出てきて驚いた(違和感を感じた)リスナーさんもいたと思います。まさに自分もその中の1人でした。

そのワンフレーズで色々と想像を膨らませると、次の様な解釈になりました。
・カリフォルニアステーキ(重い食べ物)が食べたいが、粥しか食べれない
・粥しか食べれない人とは、基本的に入院等で食事が制限されている人

つまり、この歌詞は『私』と『あなた』の闘病生活を描いている内容なのかなと想像でき、そこから他の歌詞も色々と紐解ける様になっていきました。

冒頭の「雨上がって〜朝を待って」については、良くなって悪くなってを繰り返しながら朝(治ること)をずっと待っている様子が視えてきます。

そして2番の「遠回りして〜明るくなってさ」の部分では、賑わう通りを避ける、つまり街の賑わいや楽しそうな人々を見る事が辛い心境なので、敢えて花を買うだけでも遠回りしたくなると考えられます。そして、窓辺に花を飾ると明るくなると表現しているのは、もう1つ『花』は『私』も意味していると考える事が出来ました。やはり大切な人が来てくれるって本当に安らぐと言う意味を持たせているのではと思いました。

サビは基本的に「ただこうやって〜」から歌い出すフレーズがほとんどなので、平穏であなたが居る日常が幸せなんだなと伺える内容だと思います。そのサビの中で「あなたがここに在って」や「あなたがここに在れば」の様な『在る』の使い方では、『この世に生存する、生きている』などの意味を持っているので、懸命に生きるパートナーをずっと笑い合い、言葉も要らない程の大切な存在として傍にいる事がとても良く伝わってきます。

しかし大サビ(?)で「この日々はずっと〜」からの歌詞ではあなたの温もりは永遠と胸に刻んだり、いつまでもそう願ったりする描写があります。そこで見え隠れする事実として、長く生きられない身体になっているのでは?と推測出来てしまいます。だから『明日がある』事の重要性や何にも代え難い幸せだと田中氏なりに伝えている様な気がします。


いかがでしたでしょうか。そんな内容じゃない!等と言われてしまうかも知れないし、田中氏本人も「読み手ごとのストーリー」を大切にされている人なので、あくまでも個人的主観として「なるほど~その解釈もあったか〜」と軽い気持ちで読んで頂ければと思います。

そうそう、最後になりますがタイトルの『さみだれ』を改めて調べたら『陰暦5月頃につづく長雨』の他に『断続的にいつまでもだらだらと続く事のたとえ』と言う意味もありました。この曲は季節の描写と病状がなかなか回復しない描写をこの『さみだれ』の平仮名4文字にまとめたとしたら…そう考えると凄くありませんか!?

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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