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年始早々に人生初のインフルエンザで苦しみましたが、仕事復活したなかのです。皆様も体調には十分にお気を付け下さい。

↑の記事でも冒頭に書きましたが、年始に妹(三女)の結婚式に参列してきました。

で、そこから結婚指輪から話をスタートさせた記事の2/2です。

前回の記事はこちら↓↓


○《フェリペ2世とメアリー1世》ハンス・イワース

《フェリペ2世とメアリー1世》
ハンス・イワース 1558 

前回の記事は、私が年始に行った結婚式の話、そして、結婚指輪の習慣が一般化したのは、16世紀半ば、イギリスの女王メアリ−1世がスペイン国王フェリペ2世と結婚した時から、ということで、ハンス・イワースの作品を観察してみようと試みました!

結婚指輪、全然見えない、、、
そこで、フェリペ2世とメアリー1世の手前に描かれているワンちゃんが小さすぎないか、ということを書きました 笑。

それまでの中世の犬といえば、
・猟犬を指すということ、
・元々は、ドイツ語の犬(Hund)からハンターやハンティングという言葉が派生していること。


趣味で週末に狩猟をする私にとっては、とても興味深いものでした!

《狩の獲物》ギュスターヴ・クールベ
1856-62頃 出典: ZIEL
少し時代は後ですが、クールベの狩りをモチーフにした絵画。


そして、イギリスの小型愛玩犬(ペット)の歴史の始まりは、メアリー1世のお父様であるヘンリー8世からではからではないかという内容でした。

では、ここから新郎新婦の2人について観察して見たいと思います!
結婚当時、メアリー1世38歳、フェリペ2世27歳。年の差11歳!
若いフェリペ2世はイケメンで知られた王だったようです。
メアリー1世は恋に落ちましたが、お相手のフェリペ2世は、、父であるカール5世の命令で否応なしであったようです。
結婚に向けたお見合い写真とした肖像画は、2枚ともプラド美術館(スペイン)が所蔵しているようです。

その二人が結婚する前のお見合い写真であろうとされる絵画がこちら!

○≪軍服姿のフェリペ皇太子≫ 1551年頃 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ

≪軍服姿のフェリペ皇太子≫ 1551年頃 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
出典: ウィキペディア

この絵画は、中野京子さん著『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』 (光文社新書)にも取り上げられています。
Kindle Unlimitedでは無料で読めます!

カール五世の嫡男フェリペが、初めてティツィアーノの筆によって描かれたこのとき、二十三、四歳。若いが、すでに一度結婚し、産褥で妻を亡くし、息子がひとりいた。この肖像画は、再婚相手への見合い写真代わりだったと推測されている。

中野京子著『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』p67 (光文社新書)


結婚の背景に対する記載。

二度目は二十七歳のとき。相手は十一歳も年上のイングランド女王メアリー一世で、これは父カール五世の命令だから皇太子に否も応もない。カトリック対プロテスタントの抗争が再燃し始めたイングランドを、しっかりカトリック化する使命を担ったのだ。結婚契約としては――メアリーはイングランドを出る必要なし、スペインは軍を駐留させない、生まれた子はイングランドを継ぎ、もしフェリペの子ドン・カルロスが亡くなればスペインも継承させる、というもの。

中野京子著『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』p71 (光文社新書)


フェリペ2世は当時のファッションリーダーであったようですね。

細身のフェリペは剣を腰に下げ、煌びやかな甲冑に身を包んでいる。彫金や丸飾りなどの意匠を凝らし、軽量すぎて実戦に は不向きな——むしろ一級の工芸品として価値がありそうな――オーダーメイドの鎧だ。薬指と小指には地味めの指輪、ネッ クと袖口からはさりげなく高級品のリネンを覗かせ、伝えられる彼のファッションセンスの良さを証明する。 詰め物入り半ズボンの丈は短く、すらりと伸びた形の良い脚を引き立てる(当時、脚線美は男のものだった)。ズボンの間 から首を出すコドピースは、前世紀から大流行の装飾的プロテクターで、戦場で戦う傭兵たちが大事なところを守るのに付けたのが始まりとされ、色や形、素材までどんどん派手になっていった。近代人の目にはいささか滑稽に映るが、ファッション における過剰補償がかくも極端な形を取った例として興味深い。

中野京子著『名画で読み解く ハプスブルク家 12の物語』p67 (光文社新書)



そんなフェリペ皇太子に恋したメアリー女王のお見合い絵画がこちら。

○≪イングランド女王メアリー1世≫
アントニス・モル 1554年

≪イングランド女王メアリー1世≫アントニス・モル 1554年
引用元:メアリー1世

メアリー1世:エリザベス1世の母親違いの姉で、父親はヘンリー8世。カトリックを国教に推し進め、反対者を数多く処刑しました。

イングランドでのカトリック教会の支配を維持するために、どうしても世継ぎを必要としていた彼女は、子供を授かることを夢見てフェリペ2世と結婚しましたが、ついに子供は残しませんでした。悲しい。
38歳という年齢では子供を持つのは難しかったことと思われます。
加えて、メアリー1世は卵巣腫瘍を患ってり、腫瘍のためお腹が膨れるのですが、メアリー1世はそれを妊娠だとずっと言い続けていましたという記録があるようです。
これは、歴史上初めて詳細に記録された「想像妊娠」と言われているようです、、彼女はどれだけ子供を熱望していたかを物語る悲しい歴史ですね、、


○おわりに

メアリー1世やフェリペ2世についてはたくさんの史実があり、ここに書ききれないことがたくさんありました。
メアリーの人生は、知れば知るほど家族や周囲の関係に翻弄されながら、強い女性として生きてきた悲しい歴史なのかなあ、と私だったらどう思うのかなど考えが巡りました、、

絵画の側面で言うと、1553年7月19日メアリーは名実ともにメアリー1世として、イングランドの実質的な初代女王となりましたが、その前にわずか9日間だけ即位した、初代女王であるジェーン・グレイにまつわる有名な絵画があります。

ポール・ドラローシュ 《レディ・ジェーン・グレイの処刑》と言う絵画です。2017年に上野の森美術館で開催された「怖い絵展」のメインビジュアルで、当時話題になっていたことを思い出しました。

中野京子さんは「この作品が借りられなかったら、この展覧会はやめよう」とまでいっておられたようで、長い期間をかけて、この作品を所蔵するロンドン・ナショナル・ギャラリーと交渉したとの事でした。そこまで言わせる絵画の魅力とは、、
もしご興味があれば参考になさってくださいね。

・読んでみたい本&参考図書

防備録として掲載します。読みたい本がたまる一方です、、



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