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パラリンピックまでの道のり②

車イスのゴムの焦げるニオイを嗅ぎながら、やはり何とも言えない違和感を感じていました。必死に練習をするパラアスリートたちを見ながら、どこか障害を持つ別世界の人たちだと感じていました。

そんな自分に嫌悪感を感じ「今の私では、まだ彼らをサポートする資格は無い」とも感じていました。

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2009年、その当時の石原都知事が「2016年東京にオリンピックパラリンピックを招致する」と言い出しました。急なことに世間は呆れているようでしたが、31歳 社会人学生1年目の私の心臓は、強く音をたてていました。

「東京でオリパラが開かれれば、他国で開催するより、そこに辿り着く可能性は上がる」そんな直感がありました。

その頃に手渡された七夕短冊に「東京にオリンピックが来ますように」とこっそりと書いて吊るした記憶があります。

夜間学校の帰り、暗い道を歩きながら高校時代の友人に電話をかけていました。「どうしたらオリパラに参加できるのか?」

友人の親は整形外科医で、スポーツ現場での経験を持ち合わせていました。しかし、まだ専門資格の無い、しかも1年目の学生への返答などあるわけがありません。

「スポーツの現場経験を積んだほうがいい」そんな内容の返答だったと思います。そして、その当時の私はその言葉だけを頼りにしました。

中学時代バスケ部に所属していた私は、なんとなくの親近感から、車イスバスケ選手との繋がりを探しました。SNSでメッセージを送り、飛び込みで練習を見学させてもらいました。

そのチームは漫画「リアル」の主人公モデルのいる強豪チームで、優勝を目指して全国からパラアスリートが集まってくるようなチームでした。

初めて生で観た車イスバスケは、巧みな車イス操作と、ゴムの擦れるオトやニオイに驚かされました。また、久し振りに見るアスリートたちの切磋琢磨する姿も印象的でした。

しかし、無意識に過去のアメリカンフットボールという競技とかぶらせ、どこか物足りなさを感じている自分もいました。

選手たちとの会話から、健常者との間に大きな壁を感じている選手が多くいることがわかりました。そして、その壁を私自身もまた感じていました。

「リハビリのような側面からサポートしてもらえたら助かる」との言葉を頂きましたが、当時の知識と実力で、何ができるのか不安がありました。

仕事をしながら学校に通い、ここに力を注げは、また家族との時間が無くなるだろうという考えも、頭の片隅にありました。

なにより、自分の気持ちがまだプレイヤー寄りであり、パラアスリートをサポートする覚悟が足りないことにも気づいていました。

そんなネガティブな感情が入り混じり、数回練習見学をした後、いつしかパラスポーツから足が遠のいていました。

ご存知の通り、2016 年のオリンピック招致は失敗し、2020年に晴れて東京でのオリンピック開催が決まります。この4年間は、私にとって無くてはならない期間でした。

オリパラメディカルスタッフには臨床経験4年以上という応募条件があり、2016年開催ではその条件を満たせていませんでした。

そして、その間に得た膨大な専門職としての知識と、臨床現場での患者さんたちの生の声が

未熟であった私に、もう一度パラスポーツへ向かう意欲を引き出させてくれました。

いよいよ8/24東京パラリンピックが開幕します。8/25〜8/29ウィルチェアーラグビー試合会場にて私はアスリートのケガやアクシデントに対応します。大きな事故が無いことを祈るばかりです。

私の拙い文章で、どこまで現場の雰囲気を表現できるか分かりませんが、いつかご紹介できたらと思っています。


nakaba ueno
上野 央

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