[推理小説] 少年ナイフと完熟レモン 第一話 5分の1の行方
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その5 井上君の話を聞いてくれ
オレはばたばたと足を回転させて教室を飛び出し、階段を下りつつある調理部員の一団に追いついた。下駄箱にいた女子たちは階段の中二階にいるオレを見上げていた。
「もう一つだけ聞きたいんだけど。ケーキを横にスライスするときさ、何回切った?」
ぜえ、はあ、と呼吸音を立てて、喉には血の味がしていた。調理部員たちは、一様に困惑の表情を浮かべていた。。
「あの、3回だったと思いますけど」
杉山さんの答えに、アドレナリンとエンドルフィンが全開になった。手足にじわっと快い痺れが広がっている。やった、正解だ。
この事実を知ったら、こいつらきっと驚くぞ。
「それがどうしたわけよ」
夏木さんが、めんどくさそうな表情を浮かべる。その表情に、オレは少し躊躇してしまった。けど、オレは続けた。
「ケーキが消えた謎が解けたんだよ」
オレの描いていた次の光景はこうだ。女子たちは一斉に目を輝かせて、オレの語る真相を聞きに周りに集まってくる。えー、なになにききたーい?みたいなやつだ。
しかし、現実には薄暗い廊下に迷惑そうな顔をした女子が立ち尽くしているだけだった。
「あのさ、私たちこれからガスト行くんだけど」
汐澤さんは眉間にしわを寄せている。なんだよその表情。おい、ものすごい真相がお前たちを待ち受けてるんだぞ。聞きに来ないのかよ。
「あのう、今度でいいですか?おなかぺこぺこで、早くガスト行きたいんですけど」
綾野さんもそんなことを言う。全員の顔からガスト行きたいオーラがにじみ出ていた。
なんだよガストガストって。お前らそんなにガストがいいのかよ。ドリンクバーがいいのか?あの変なスムージーが飲みたいのか?
どうしても調理実習室に来てもらって、ケーキ消失のトリックを実演したかった。これが金田一少年だったら、次のコマで全員がすぐさま集るのに。現実の女子はオレが夢中になればなるほど、興味を失って行く。きっと、金田一少年の世界にはガストがないんだろう。
「巻きで教えてよ。で、だれがやったわけ?」
夏木さんの顔にも、とっととこんなやつを追っ払ってガストに行きたいって表情が滲んでる。ここで言うのか?中二階から下駄箱に居るガストに行きたくて仕方ない関係者に、真相を巻きで語る探偵役。そんな可哀想な奴見たことない。
それに証拠も無しに真相を語るのは、下手すればただの悪口だ。だから一緒にこいつらに調理実習室に来てもらいたかったのに。
そうだ、オレだって男だ。無理にでも来させてやる。
「じゃあ、行くから。バイバイ」
迷惑そうな表情を全開にして汐澤さんは言った。
「えっと、あの、じゃあ、また明日」なに日和ってるんだ。オレ。
「探偵ごっこもほどほどにしてよ。それより勉強でもしたら?」
汐澤さんが靴を下駄箱の床に置きながら言った。言ってることがもっとも過ぎて何も言い返せなかった。
誰もいなくなった調理実習室前。扉の近くの観葉植物の下に鍵はあった。小野先輩は先に帰るときはいつもここに鍵を隠しておいてくれる。
空はすっかり深い紫色に染まっている。教室はまるっきり真っ暗だ。オレは蛍光灯のスイッチを押し、教室を人工的な明かりで満たした。冷蔵庫を開けると、ほうれん草の乗ったキッシュがあった。それをレンジにかける。
ウーンと電子レンジが唸っている間に、ゴミ箱を覗く。目当てのものが、やっぱりあった。ケーキフィルム、これが欲しかったんだ。フィルムに手を伸ばそうとすると、肩を誰かに叩かれる。
「い、の、う、えくん」
後ろから肩を叩かれ、体がびくりと跳ねた。振り返ると夏木さんがいた。
「なんで、ここにいるんだよ」
「忘れ物しちゃってさ。ていうか、井上君はどうして調理実習室にいるの?」
「えっと」言い訳に困っていると、夏木さんが笑いを漏らした。
「小野先輩の料理を食べにきたんでしょ。いいんだよ、隠さなくても」
夏木さんは口をにっと引いて、きれいに揃った歯並びを見せた。
そのときの気分は、黒曜石のハンマーで頭蓋骨を叩かれたようだった。体の血液がぐにゃりとゆがんで、足の筋肉が震えだす。なんで知ってんだよ。
「一回ここ覗いたとき、井上君が小野先輩といるとこ見たことあってさ。それで、この二人ってそうなんだって知ってたんだよね」
「勘違いすんなよな。ただ晩飯を食わせてもらってただけだから」
声帯がわなないていた。
「わかってる、わかってる」ぱしぱしと肩を叩いて、夏木さんは続けた。
「井上君はその気がないってさ。でも、小野先輩は違うかもよ」
一瞬ぞっとして、それをかなり無礼なことだと罪悪感をちょっと感じて、それでオレは言った。
「そんなこと、ないだろ」
「だってさ、女の子にとって料理を食べてもらうって特別なことだもん」
さもすべてをわかってるって目線をオレに送ってくる。
バカが。お前らみたいな女の子と先輩をいっしょにすんなよ。先輩はもっとこう、いろいろ吹っ切れてるんだよ。
「勝手に、言ってろ。さっさとガスト行けばいいじゃん」
「ガストは断っちゃった。もともと金欠でさあ。汐澤さんに付き合ってると、お金がいくらあっても足んないんだよね。だから、井上君に来てもらっておごってほしかったんだけどね」
ぺろりと舌を出す。彼女は実習室の調理器具の入った小部屋に行った。
誰がおごるか。オレにはそういう念を夏木さんの背中に投げつけるので精一杯だった。
「そういえばさ、教室でカードやってた結城君って人、うちの杉山とつきあってるんだよ。知ってた?あんなオタクと付き合うなんて見る目ないよねえ、かわいいのにさ」
小部屋から声が飛んでくる。結城?あのロン毛メガネだ。とたんにあの視線の意味が分かって、背中に汗の一すじが流れた
「でも残念だったね。井上君、杉山のことちょっと好きだったでしょ?」
そんなことねえよ。と叫びたかったが、いろんな想いが頭を過って、そのプレッシャーに声は押しつぶされた。さっきから体中の神経に過負荷の電流が流れてるようだった。
「だって井上君、杉山にばっかり絡むんだもん。あたしになんて全然話しかけてくれないしさあ」
彼女は、小部屋からひょこっと顔を出した。夏木さんから反射的に目をそらしてしまう。
「おまえみたいな女子、苦手なんだよ」
「ひっどーいなあ。井上君」
夏木さんは構わずに話かけてくる。窓の外に広がる空はコールタールをぶちまけたような黒。コールタールなんか見たことないけどそんな感じだ。実習室に響く夏木さんの声は、その黒い空に吸い込まれるようだった。
「そういえばこの前、井上君っていつも寝てるのか、寝たフリしてるのか、汐澤さんと言い合ったことあってね」
なんだよそれ。他人のことをダシにして、おしゃべりを楽しみやがって。
「あたしははじめから、寝たふりしてるって疑ってた。ほら、井上君ってあたしたちみたいな人、好きじゃなさそうだからさ」
空気みたいなオレですら、暇人のこいつらにしてみれば、30分くらいの楽しいコミュニケーションの材料にはなるんだろう。
「でも汐澤さん、性格悪いのに変に純粋だからさ、井上君は本当に寝てるんだってすごい擁護してたよ。だから今日のはショックだったんだろうな」
「さっきから、一体なんなんだよ。なんで絡んでくるんだよ」
さっきから、オレをおもちゃの人形みたいに揺さぶりやがって。背中に汗をぐっしょりとかいていた。オレの問いかけに何も答えずに、夏木さんが小部屋の入り口から真顔でこっちを見ている。
沈黙。学校にはおそらく誰もいない。永遠に続きそうな、その重みに耐えられなくなり、オレは言った。
「おまえがやったんだろ、スポンジ」
「へえ」夏木さんは小部屋を出て、どこか楽しげにこっちに向かってくる。「どうしてそう思うわけ」
「調理部のみんなは昼休みの後に、盗まれたって思ってるけど、違うんだろ。スポンジを冷蔵庫から取り出す瞬間にやったんだろ」
夏木さんは目の前の実習台にお尻をふわりと乗せた。そして、体を反らせて伸びをした。制服がきゅっと音を立てる。じっと見ていると、夏木さんがオレの方を見て言った。
「ほらほら。つづけてよ」
緊張で背中の筋肉が強張った。ここまで言っておいて、なんか間違えてたりしたらはずいな。つばの大きな塊を飲み込んで、語った。
「これは、しょうもないいたずらなんだ。ケーキは無くなってなんかない。おまえは一切れのスポンジを、一段ずつ他のピースの上に被せたんだ。それで4段5切れのスポンジが、みかけ、5段4切れのスポンジに変わった。そうなんだろ」
夏木さんの目を見返した。言い返してみろ、オレは心の中でつぶやいた。
「あたり」夏木さんがあっさりと笑った。
言い逃れをすると思っていたから、腹に入っていた力が煙の用に消えて、変な徒労感だけが胃に落ちた。
「さっきはからかってゴメンね。井上君優しそうだからさ、私に面と向かっていろいろ言えないでしょ。だからさ、ちょっと怒らせてみたんだ。メンゴ、メンゴ」
ぽんぽんと、肩を叩かれる。抵抗する気も起きなかった。
「どうしたの、ぐったりして」「別に」
どうせなら、やってないとか言い出してほしかった。そうしたら、証拠だって突きつけられた。でも、夏木さんにその気配はなかった。
オレはため息をついた。
「ケーキスライサーと、目盛りのついたケーキ台は買ったのはこのためなのか。スポンジを正確に切るために。わざわざ部費でさ」
可笑しそうな顔で夏木さんは首を振る。
「そんなわけないじゃん。井上君って、頭良いのに、大事な部分でバカだよね」
思い当たる節がありすぎて、決まりが悪い。そりゃそうだ。そんな回りくどいことをして、ケーキ消失の手品をしてもどうにもならない。
「あたしはたださ。スポンジを冷蔵庫から取り出すとき、綺麗に切れてるかなって思って、一ピースの一番上のスポンジをほかのピースの上に被せてみたんだ。そしたらばっちりハマるじゃん?それで面白くなって他ピースの上にも下のスポンジを被せてみたの」
こいつは自分のことをペラペラとしゃべる。こういう女子ってのは、いつだって人に自分の話を聞いてほしいのかもしれない。
「それを見せたらさ、汐澤さんが小野先輩がスポンジをどっかやったって騒いじゃってさ。綾野もそれを焚き付けるし、杉山はマメに鍵の貸し出しの記録とか調べたりするからかえっておかしくしちゃうし、ね」
顛末を聞き、なるほどと思った。それにしてもこいつ、一人で居るときは汐りんとかは言わないんだな、とも。
「あたしも、なんか面白かったから放っておいちゃった。何もしてない小野先輩が、汐澤さんにすっごくキレられてるのとかさ、」
ひと呼吸置いて彼女は言った。「なんかバカみたいでウケた」
「クソ女なんだな、お前」
どう聞こえようと、これ自分の中では悪口じゃなかった。格ゲーで素晴らしい立ち回りを見るときと同じ、オレの中の感動とか感嘆とか、そんな部分から出てきた言葉だった。
「そうかな」
無邪気に夏木さんが言った。そこに怒ってる様子はなかった。
「ねえ」夏木さんはこっちを見つめた。「お願いがあるんだけどさ」
身じろぎもせずに立っていると、夏木さんは調理台を降りて、近づいてきてオレの肩に熱く湿った手を置いた。
「このこと黙っててよ」
しばらく呆然としていた。夏木さんは自分の言ってることがさも当然のことのようだった。
「ほら、汐澤さんと関係がこじれるとめんどいじゃん」
「小野先輩はどうするんだよ」
思い出したかのようにきょとんとして、夏木さんは言った。
「どうでもいいじゃん、あんなブス」
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