レモン2

[推理小説] 少年ナイフと完熟レモン  第一話 5分の1の行方

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 その6 井上君なりに考えた結果

 誰もいなくなった、調理実習室。オレの肩にじわりとしたぬくもりを残して、夏木さんは居なくなった。

 夏木さんは一緒に帰ろうよと言ったが、「一人で帰ればいいだろ」と言って握られた手を払った。あんな女と一緒にいたくないからか、それともいつもの異性への苦手意識なのか、わからない。

 結局、夏木さんの「お願い」には、曖昧な肯定っぽい生返事をしてしまった。

 調理実習室のゴミ箱にはケーキフィルムが捨ててあった。フィルムに残ったクリームの線は五本。一番上に塗ったクリームを除くと、四本の隙間がスポンジにあったことになる。これは、スポンジが一段増えたことを示してる。動かぬ証拠だ。ほら、推理だけじゃなく実証までできちゃうんだぜ、すげえだろ。

 それでだから、一体何だっていうんだ。誰もそんなことに興味ないのに?

 レンジに置き去りにされていたキッシュは、生暖かかった。一口食べると、中から明太子のクリームが口に広がった。三口食べると、もう腹が膨れて食えなくなり、それでも無理して頬ばって胃に詰め込んだ。

 実習室を片付け、電気を消して鍵を掛け、校舎を出る。自転車で帰り道の農道をぶっとばした。頭の中には、罪悪感の太陽系が出来あがっていて、今日の出来事がぐるぐると公転運動していた。

 謝れよって。そう、あのときなんで言えなかったんだ。

 からかわれるのが嫌だったからか。オレに調理部に口を出す筋合いがないと思ったからなのか。

「ちくしょう」声が漏れた。自転車の回転数が早くなる。

 きっと、夏木さんと秘密を共有するってことに、なんか期待してたりもするんだろう、どうしようもないチンポ野郎だな。あんなにいいやつなのに、オレは先輩のことをどこか軽く見てるんだ。先輩の“側”に行きたくないとか思ってるんだ。

 ペダルをまわす早さは自棄糞みたいに上がっていって、自転車全体がギコギコとたわんだ音を立てる。

 五月の夜風が腹が立つほどさわやかだった。青春ドラマみたいに、叫びたい気分でいっぱいだった。でも前から他の自転車のランプの光が見えて、気恥ずかしくなって、速度を落として、あとは無言のままゲーセンに行った。

 その日オレは、連勝記録を更新した。

 次の日の朝、隣の汐澤さんは昨日とはうってかわってにこやかな笑顔で挨拶してきて、「昨日はごめんね」とか言ってきた。

 オレは「いや、別に」とか言って、それで会話が終わった。謎が解けたと言ってたのを汐澤さんは忘れたのか、始めから興味がなかったのか、あるいはオレの方から言い出すのを待ってるのかはわからなかった。

 昼休みに夏木さんが教室に来て、何も言わずに笑顔でオレの方をみてきたとき、何かがざわついて教室を出た。そして小野先輩の靴箱に実習室の鍵を返しに行った。下駄箱を開けると、ちょうど買い物かりのビニールを持った先輩が昇降口に現れた。

「よお。井上」快活な調子で、右手のネギがはみ出た袋を挙げた。

「昨日の夕飯はどうだった?結構、上手く焼けてたとおもうんだけどさ」

 昼休み終わり間際の廊下は、やけに閑散としていた。

 先輩が調理部でハブられてることが、なんか胸くそ悪いと感じてた。それであの事件の真相さえわかれば、この気持ちの悪い何かが解決するんだとかバカな期待をしてた。でも、何かって何だ? 一体、それを誰が解決してくれるっていうんだ。

 結局は、オレがどうしたいのかってことだ。それは、この人が友達なのかってことであって、面倒ごとに巻き込まれてもずっと理解者でいられるかってことだ。たかが一切れケーキがどう消えたかなんて、クソどうだっていい。

 汐澤さんは「関係ないでしょ」と言った。そりゃそうだ。オレが面倒ごとを嫌って関係を持とうとしてないんだから。

「先輩、あのさ」

 オレはうつむきながら昨日のことを思い出した。

 先輩は疑われて気分が悪い中、オレが調理部のメンバーに囲まれてるのを実習室から見ていたはずだ。うちの教室は逆に実習室から丸見えだから。どんな気持ちだったんだろう。夏木さんはそれを知ってて、わざと見せつけてたんだろうか。先輩がオレのことを好きだって考えて。

 考え過ぎだ。自意識過剰だ。オレが人に好かれるとか思い上がりもいい加減にしろ。夏木さんだってタダのバカだ。かわいいバカには先輩みたいな孤高のブスの気持ちは理解なんてできない。

 そうだよな、きっとそうなんだよな。

 オレは言った。

「夕飯もう大丈夫だから」と言って、そして嘘を付け加えた。「親がもっと小遣いくれるようになってさ」

 一瞬、先輩の顔は曇ったように見えた。でも二目見たときには、すぐにいつもの笑顔に戻っていた。

「そっか。またいつでも食べにきなよ」

第一話おわり 

その7はこちら

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