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【1分間小説】寿命

いつの頃からか私は、人の寿命が見えるようになった。

きっかけは、父が集中治療室へ運ばれた時だった。

「父、危篤―」の報を受け、私が慌てて、病院へ駆けつけると、医者が神妙な面持ちで、「今夜が山場です」と言った。

そして、様々な機器で繋がれている父のベッドサイドへ案内されると、
そこに、
「三年」という文字がゆらゆらと揺らめいていたのだ。

私は何か見間違えたのか?と思い目を瞬かせたが、
いくら目をぱちぱちさせても、その文字が消える事なく、
頭の所と足の所で、やはりちゃんとそこに存在していた。

その時の色まで覚えている。
青地に少しピンクが混ざり、紫がかっているのが、炎のように、
微かに揺らめていた。

それを見た瞬間に、
「ああ、父はあと三年生きるのだ」と思った。

それから、本当に父は、三年経った頃に亡くなった。
あの文字を見た日から、ちょうど、三年目に当たる月に
病院で静かに息を引き取ったのだ。

それまでの間、長期入院をしていたので、
「楽になって良かった」と少しほっとした。

帰れる見込みのない時期で、無駄に苦しむよりは、
良かったのかもしれないと自分を慰めた。

父が亡くなってからは、本格的に人の寿命が
見えるようになった。

それは、こちらが意図するのではない。

ふとした拍子に、周りの人たちの寿命が、
数字となって、その人の頭上に現れるのだ。

以前、相手の死ぬ日時をノートに書くと、
本当に死んでしまうという漫画があったが、
私の場合は、その逆で、勝手に相手の寿命が
映し出されるようになってしまった。

これが、一体、何の役に立つのか?
とも思うのだが、たまに便利な事がある。

例えば、寝付いたお姑さんの介護に悩んでいる友人に、こっそり、
「介護はあと何年だよ」なんてことも言ってあげられるのだ。

ある意味、人は目安があれば、そこまでは頑張れるから。

しかし、こんな事をおいそれと口に出してしまうのも憚られるし、
第一、どうやって、他人に説明するのだ。

「あなたの寿命はあと何年です」
なんて言ったって、
頭のおかしな人で片づけられるではないか。

しかも、そんな事を言うなんて、
ある種の傲慢さも感じるし・・・ね。

そして、これが肝心なのだが、
人の寿命は、いくらでも変わるのだ。

ある人が80歳まで生きると見えたとしても、
翌年には、85歳になっていることだってあるのだ。
逆もまたしかり。

そう考えると、人の寿命というのは、
その人の生き方と意識とで、いくらでも
変化するのだなぁと思うようになった。

ある時、夫がガンになってしまった。
夫は、落ち込んで、
「もう、俺は死ぬ・・・」とつぶやいたが、
頭上を見ると、

〝88〟という数字が見えた。

だから私は、
「大丈夫、あなたはあと、30年は生きるよ」と言ってあげた。
「私は、人の寿命が見えるので」と。

夫は半信半疑だったが、手術は無事に成功し、
今も元気に働いている。

私の発言がどう取られるか心配だったが、それを見ると、あながち間違っていた訳でもあるまいと思った。

夫が私の言葉を信じたかどうかは分からないけれど、
あの切羽詰まった状態の中で、少しは先の希望を
持ってくれたのではなかったかと感じている。

なので、私のこの能力も少しは役に立っているのかな?と
考えたりもしている。

そして、実は私は、自分の寿命も知っているのだ。

これを知って、長いと取るか、短いと取るかは人それぞれだが、
私はこの残された年月を、精一杯生きようと考えている。

けれど、この能力が一番役に立つのが、
実は「年金開始日」だったりする。

そろそろ私も、年金支給日をいつにしようかと悩む時期に入ってきたのだが、死ぬ年が分っていれば、そこから逆算して、いつ開始すれば元が取れるのかが分るのだ。

今の所、この能力をこんな事くらいにしか使えないけれど、
そしてまた、それがどうした、とも思うのだが、
まあ、何もないよりは、あった方が良かったのかな?

とは思っている。