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その男はキジフゲルーシと名乗った 【短編小説】

彼はネット上でキジフゲルーシと名乗っていた。
奇妙なネーミングだ。
もちろん本名ではない。アナグラム的にもじっているのである。
『 キジフ・ゲルーシ 』 並び替えて『 フジキ・シゲル 』というわけだ。
でももしかして聞き覚えがあるんじゃないかな、、
「藤木しげる」
これはちびまる子ちゃんに出てくるあのキャラの名前である。
卑怯者扱いされていつも顔色悪そうにしているあのキャラだ。
だからもちろんフジキ・シゲルも彼の本名ではない。
とってもややこしい話だがね。

もっと突っ込むとキジフ・ゲルーシとはマンガの中で藤木しげるがハガキ職人としてラジオに投書していた時のペンネームでもある。

架空の人物のペンネームとはいえそのままパクるのは誉められたものじゃないが、どうしてマンガの中で藤木しげるが天才的なラジオリスナーであったように、彼もまた天才的なtwitterアカウントだった。

その日私は彼と一緒にたこ焼きを食べたんだ。

◇◇◇

阪急線 上新庄駅の南口。
待ち合わせていた18:40に改札から出てきた彼は人懐っこい笑顔で手を振る私達に軽く会釈をしてくれた。

「おお、よく来てくれたね。」と私は声をかけた。

その日はtwitter仲間のオフ会だった。集まったメンバーは4人。
ネット上で知り合った私達4人は"たこば"という名のたこ焼き屋を予約していた。
場所的には駅から歩いて10分から15分ほどの距離がある。
【18:45】
面子が揃った時点で我々はてくてくとお店に向かった。

道中 自己紹介がてら会話しながら歩いた。なにせネット上でいつも与太話ばかりしていて随分長くからの知り合いの様な錯覚に陥って入るが、実際会うのは初めてだったりするから距離感が分からなかったりする。10分程の徒歩はお互いの距離感を確かめるのにちょうど良かった。

専門学校のある交差点を左に曲がるとすぐに看板が見えた。そして店を覗くと店主が使い込まれた短いピックでたこ焼きを忙しそうにひっくり返していた。

持ち帰りが基本だと思われるそのお店には5名程度がようやく座れる飲食スペースがあり、腰掛けながら我々は店主の手が空くのを会話をしながら待っていた。

ひとしきりテイクアウト待ちのお客さんが捌けたところで、いきなり店主が我々に声をかけてきた。

「ようこそ デニーズへ!」

悪びれる様子もなく有名なファミレスの名前を堂々ともちいる店主に私は思わずずっこけてしまったが、そんな中「じゃあハンバーグランチを一つ」と反射的にオーダーを返した男がいた。

彼こそがキジフゲルーシだった。

もちろんたこ焼きオンリーの専門店だからハンバーグなんてもんはそもそも出てこない。
ただの冗談だ。ただそんな店主のボケにテンポ良く返すにはそれまでに培われた経験とセンスが必要だろう。

にわか仕込みでは無理だ。

しかしその日彼とは初めて会った訳だが私を含めてみんなも彼ならうまく返せるだろうなという予感があった。
彼のそういった機転の良さをよく知っていたのだ。

それはネットでの彼の立ち振舞をよく目にしていたからでその返しのセンスの良さは常々肌で感じていた。彼はバカみたいなノリでいつも発信していたが本当の馬鹿のように匿名で誹謗中傷するようなことは決してしなかった。

ネットは不思議だ。
虚構の世界だと思われがちだが文字だけの通信しかできない環境でも見えてくる仄かな人格のようなものがある。

発言をラリーしていれば大体どういった人間かは見えてくるのだ。本性は決して隠せない。そして隠せないはずだが、でも通信だけではどうしても見えないものが存在することも淡々と教えてくれるのもネットというものだ。

◇◇◇

彼を呼んだのは私だった。

実はここしばらくずっと会いたいと私は願っていたのだ。
以前からtwitterで交流があったことと、私の書いたネット上での文章を読んでくれているというのが理由といえばそうなのだが本心はどこか違う。
きっかけは6月。ある日彼がブログで書き綴った文章にある。
その内容があまりに切なく、どうしても心から離れないものだった。
それ以来彼とはいつか会わねばならないと半ば強迫的に思い込んでいた節も私にはあったかもしれない。

他人からすればわけが分からない話かもしれないが私の心を動かす動機としては充分なものだった。

そして ついに私は彼を呼んだ。
こころよく彼も来てくれた。

嬉しいことだ。

たこ焼きを囲みながら談笑した。

現実の世界ではあまり接点のない大人4人なのだが、いつか過ごした学生の時のようにたこ焼きをつつきながらあることない事を語り合った。
そのとき岩下の新生姜がはいったたこ焼きがお腹をぽっと温かくしてくれた。

思えば贅沢な時間だった。
大人になるとこうした時間は気を抜くとふと消えてしまう。仕事は放っておいても追いかけてくるのに遊ぶ時間は本当に消えてしまうんだ。

だからそのとき我々は思う存分に笑って過ごすことにしたのかもしれない。

でも今こうして文字に起こしてみて気付く。
別に明るい話題で笑いあっていたわけではないことに。

不謹慎なことだがその日も葬式の話題をネタに我々はたこ焼きをほおばっていた。彼がいたのになぜその話題になったのかが分からないがとにかく見ず知らずの故人を偲んでの会話が繰り返された。

「実は今年まったく知らない人のお葬式に参列したんだよね。」そう切り出した私の話のネタにキジフゲルーシが「なにそれ、それだけでおもしろい」と食いついた。

なに特別な話じゃなかった。
その日私は得意先の社葬に参列していただけなんだ。
あの時はお得意の先代の社長が亡くなったのだ。
珍しい話ではないのだが、私自身その先代の社長とまったく面識がなかったため結果として見知らぬ故人の葬式に参列したという運びになる。

ただその葬式でひとつ、私は今までにない体験をする。
それはその故人の生まれが中国であるということに起因していた。
故人は帰化者だった。

日本に帰化し日本人として生涯を送った見知らぬ人の最期の姿。

葬儀は日本式のものであったが、故人を偲ぶ友人代表の弔辞を聞いて私はうつむいていた顔をあげることになる。
そのご友人は流暢な日本語で弔いの言葉を語りかけていたのだが途中声のトーンが変わったかと思えば、つらつらと長い漢詩を詠みはじめたのであった。
それは何かを懐かしむ様なあたたかみのある素敵な声色だった。

残念ながら漢詩の素養のない私はその意味をうかがい知ることはなかったが、気が付けば私の目から涙があふれ出ていた。
言葉の意味は必要なかった。
幼くして中国から渡ってきた幼馴染が異国の地で友を見送る時、祖国の言葉で語りかける。その行為が尊いのだ、きっと。
それは知りもしない人の葬儀で本当にその故人を偲んだ瞬間だった。

今までずっと笑い話してたのになんであの時こんな話したんやろな。

◇◇◇

その話が終わる頃キジフゲルーシがそっと口を開いた。

「うち姉が亡くなったんですけどね、、」

ここからは一度彼のブログを読んでいただきたい。
6月に私は感銘を受けた。
普段バカみたいにPOPなノリで生きている男がたまらず吐き出した想いの粒だ。
匿名で発信しているアカウントの向こう側には一人の人間が存在する。そんな当たり前のことを改めて私に教えてくれた文章だ。

死化粧、、
そのとき彼は姉の普段とは違った化粧で整えられた顔をみて「姉ちゃんこんな顔もあったんや。百貨店のお姉さんかと思ったわ」とちょっと笑いながら我々に語ってくれた。

人は放つ言葉の内容からその人柄がうかがい知れたりするし、何を話さないかで何を大事にしているのかが垣間見えたりする。
でもねその人が何を抱えているかはどうしてか見えないものなんだ。

本当は抱えているものほど見えた方が他者からの救いがあるのかもしれないけれども、親兄弟からもそれは見えなかったりする。

彼はネット上でキジフゲルーシと名乗っていた。

#小説 #日記

ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー