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デンプン糊と少女【小説】

小学生の頃の話。たぶん二年生くらいだったんじゃないかな。昭和も終わりを迎えようとしている時分。

クラスに垢にまみれた女の子がいた。今から思えば多分ほとんどお風呂にも入っていない生活をしていたのだと思う。髪に艶はなくどこかカピカピしたまま、散髪もしていないのか毛先はみだれ放題だった。

ほとんど育児放棄された女の子。
そんな子供がクラスに紛れて一緒に過ごしていた。

勉強はどうにも嫌いな様子だった。
ある日、ついに授業が堪えられないのか教科書をビリビリに破いていた。機嫌が悪かったという訳ではなかったと思う。何故なら彼女はぐちゃぐちゃに丸めたかつて教科書だった紙クズを見て笑っていたから。まるで『私には無用なものなのよ』と笑ってるかの様に見えた。

尋常ではなかったんだ。
彼女は明らか異質な存在としてクラスの中で浮いていた。イジメられるでもない。言葉の通り浮いていたのだ。みんな子供心ながらに触れてはいけないものとして受け止めていたのかもしれない。目の前にありながら黙殺されている、、そんな世界がそこにあった。

そして彼女には美しく綺麗な名前があった。
残酷でさえあったと思う。
彼女は先生からその綺麗な名前を呼ばれる度に下卑た笑いで返事するのであった。『似合わないでしょ?』そう言っているように聴こえる彼女の声は教室の中で乾いたように反射した。

◇◇◇

またある日、あれは図工の時間だった。
今でも記憶に残っている。
先生が生徒たちにデンプン糊を配ったんだ。

デンプン糊って知ってる?ペースト状の白いノリのことだ。小さな子供たちのこと、糊なんて蓋を閉め忘れてすぐにカピカピにさせてしまうから、必要な分量をその都度先生が配分していたんだ。

みんな黄色い容器にノリを入れてもらうと、目の前にある色紙をノリでぺたぺたと貼り合わせ、思い通りの貼り絵を制作してゆく。

その日は貼り絵の時間だった。

飛行機、となりの犬、チューリップの花、様々な作品が仕上がってゆく。そんな中、彼女の貼り絵だけはついには仕上がらなかった。

彼女は先生のもとへデンプン糊を貰いにゆき、白いタプタプとした糊を見ると満足そうに黄色い容器に指を突っ込んだ。糊が無くなるとおかわりを催促した。しかし彼女が指にした糊は色紙にペーストされることが無い。

彼女は指にした糊を授業中に貪り食べていた。
給食前にオヤツにありつけたかのように夢中に食べていた。

私はショックを受けた。見ちゃいけないと思いつつもいつまでも目が離せないでいた。何だこれは?

こちらに気付いたのか、彼女が不意に振り向いた。

彼女はやっぱり笑っていた。
口の周りのデンプン糊がグロスの様にテカリをみせて私の目に届いた。
その表情に惨めさのようなものが一切感じられないのがただただ不気味に思った。彼女にとって支給されたデンプン糊を食べることは当然の行為だったのだ。特別でもなんでもなかった。

その姿に気後れし、対処しきれぬまま『きたない』と思ってしまった瞬間に、私の心は少し欠け、そこから感情が赤黒くにじんでゆくのを感じた。
どうして私はあのとき一緒にデンプン糊を食べなかったのだろうか?狂気染みていても糊をむさぼり皆の前で下品に笑ってやるべきだった。

彼女の存在はその後もクラスの中でなじむことなく浮かび続けた。

◇◇◇

この話はここでおしまいである。
私は引っ越しでその地を離れ、彼女と会うことは二度となかった。
顔を思い出すこともない。

ただあのデンプン糊がテカるあの口元の微笑みが30年経った今も心の何処かでべったりと貼り付いて残っているのを感じるのである。異質なモノに対応できない私の心をあざ笑っているようにも感じられたし、もっと無邪気な笑いの様にも感じられた。

「デンプン糊って美味しいのよ。あなた知らないでしょう。」

今でも彼女は私の心の中で笑い続けているのである。

#小説 #短編小説

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