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最近、この社会は人を嫌う手段が増えた気がする。

どうもお久しぶりです。
Nakと申します。

久しぶりに書いてみようと思うところがあったので、
記事を投稿しようと思います。

唐突ですが、最近「人を嫌う手段が増えたな」と思います。
それは、最近流行りとなっているいくつかの思想から感じるものです。

平均化と平等の混同による「同じ」の恐怖

最近、ジェンダー平等に代表されるような、差別撤廃が叫ばれています。
それ自体、大変結構なことだと思います。
ただ、そのアプローチが全て健全だとは思えないのです。

人には得手不得手があるはず。
近年叫ばれる平等(特に一般的に叫ばれるもの)には、
どうも「平均化」に近いものを感じるのです。

みんなが同じことをやる機会を平等に設けるといった、
同化に対する恐怖を、僕はそこから感じます。

例えば仕事において、女性の社会進出は必要なことだけど、
何も考えず女性管理職を悪戯に増やすのは本当に良いことなのか?
人材を見て評価することが蔑ろにならないか?
と思ってしまいます。

「ありのままでいい」の濫用

平等運動ともう一つ、感じていることがあります。
それは「ありのままでいい」の安易な使用です。

最近、書店に行くと「他人の目を気にしない」だとか
「あなたはそのままでよい」という本をたくさん目にします。

その中で、あなたに合わない人は嫌ってもよい という思想も見かけます。

確かに、本当に合わない人は居るものです。
ただ、安易に人を拒絶すると、自分の欠点に気づかないまま
生きていくことになりかねないと思います。

ハラスメントもそうですが、
事あるごとに人や組織を悪者にし、嫌うような思想を助長させている気がします。

「流行り」が人を嫌えと迫ってくる

これら2つの流行りが、僕に「人を嫌え、人と同じことをしろ」
と迫るのです。

そういうわけで、最近なんだか息苦しい毎日です。
(万年そうですが)

一般的なアドバイスとして、
「世間の言うことなんて気にせず、自分の意思に従え」
と言われることは想定しています。

まあ、それができないから悶々としているわけで。

なかなかどうして、いつまで経っても生きづらいですねえ。

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