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バービーさんのジェンダー論をみたら、結婚がわからなくなった話。

こんにちは、nakと申します。

みなさんは、バービーさんFRaUで公開している「「女性は結婚相手に高収入を望む?」バービーがアンケートを実施して感じたこと」という記事をご覧になっただろうか。

様々なジェンダーに向けられた、とても配慮深い記事だったと思った。
彼女自身のジェンダーから、それ以外に対して攻撃的に彼女らの価値を押し付けるのではなく、自身の意見の粗にまで目を向ける姿勢は、見習っていきたいと感じた。

さて、そこでは結婚について、下記のような書き方がされていました。

女性に限った話ではなく、どんなジェンダーの人にとってもそうだが、経済的に自立していないと、婚姻関係も依存度が増すのは目に見えている。

僕はこの論について、割とすんなり腹落ちすることができた
同時に、結婚の意義を見失うことにもなった

今回は、結婚を取り巻く社会的意義と現状の乖離など、
バービーさんの記事の上記記述から感じたことを書いていこうと思う。

事実、結婚は経済的自立からの逃避先になり得る

先ほど、バービーさんの論についてすんなり納得できたと書いたが、
それは事実そうだと思ったからだ。

経済的に自立するためには、仕事が要る。
そして仕事は、なんとも苦しいものだ。そう簡単にはいかない。
当然、ジェンダーに依る仕事のやりやすさや収入の格差も存在していると言わざるを得ない。
独りであることは、身辺で起こることに対して一切の責任を負うことにも他ならない。

一方結婚というのは、生計を一つにすることだ。
お互いが生きて行くためには、稼いでいる方が多く出すことは当然だ。

それなら、今後も継続的な収入が見込める相手と生計を共にすれば、
自らが自立する必要がなくなるのでは
ないか?
とも思えてしまった。

だったら、結婚は打算的であるべきか

その視点で考える結婚は、いささか打算的だ。
己が人生設計のために、都合の良い人間を捕まえて、手元に置く。
あまりに醜い側面だ。

だが、そうしなければ生きて行くのが難しいことだってある。

社会通念上の結婚というのは、もう少し綺麗なモノだった気がする。
愛する相手と、幸せに穏やかに暮らしてゆくモノだった気がする。
(これこそがバイアスというのもかもしれないが)

何かの正義に託けて、相手を嫌う手段が増えたこの社会では、
愛はとても希薄なものになったのかもしれない。

結婚に作用する愛の割合は大きく減って、
その先の安定を見る割合が減ったのかもしれない。

僕は、そんな結婚に幸せを見出すことはできない。

繰り返すようだが、今の社会は、相手を嫌うことがとても容易になった。
そのための正義や言葉、通念が日常には溢れている。

そんな世の中で、結婚の意義がどんどん打算的になって行くことに、
悲しさを感じる。

僕たちは、次は何を画策して生きてゆけば良いというのだ。

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