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FIREは人生の救いになり得るか

この記事の概要
・巷で話題の「FIRE」が本当に希望なのか凡人が考えてみた
・QoL面と金銭面でFIREの価値を考えてみた

最近にわかに話題になっているFIRE。
凡人目線で考えた時、FIREは本当に人生にとって良いものなのか?と思ったので、考えてみる事にした。

FIREとは、40代くらいまでに資金を蓄え、
以降は投資などの利益をメインとして仕事をあまりしないというアレだ。
狭い知見で書くので、粗末な点はまあ許して欲しい。

盲目に、FIREをすれば人生が良くなる!と考えてしまうのは
とても危ないことで、自分が果たしてそれで救われるのかは
考えておいて損はないと思う。

一応体型立てとして、QoL面と金銭面の二つから、FIREが人生の救いになるかどうか考えてみたいと思う。

QoL面で見たFIRE

ここでのQoLは、Quality of Life ということでご承知おきを。

つまり、FIREが生活の質を向上させ得るかということである。
これは、FIREに何を求めるかで変わってくる。
ここではいち仮定として「好きなことをして生きること」を求めるとする。

そうすると、その好きなことが仕事を伴えるかが重要ではなかろうか。
例えばあなたの好きなことが、そもそも仕事をすることであるならば、
FIREはなんら意味を成さない。
あなたの人生を暗く苦しいものにする可能性を孕んでいる。

反対に、好きなことは、完全に仕事と無関係ならば、
FIREに一定の価値があるだろう。
旅行をすること、創作をすることなど何でも良いが、
今の仕事にないものがあなたの気を引くなら、案外FIREも悪くないかも知れない。

FIREに求めること以外で向き不向きを見る要素として、
保守性というのはどうだろうか。
現状維持をしたいかしたくないかという意味だ。

個人的に、保守的な人はあまりFIREに向かないのではないかと思う。
それはFIREに伴う環境の変化が嫌かも知れないというのもあるが、
それだけじゃない。
仕事を辞めた後だって、築いた資産を運用していかなければならない。
資産運用は、(多分)柔軟な対応力が求められると思う。
その運用で大きく躓くと、生活自体がかなり危うくなるだろうし、
新しくまた何かを始める羽目になるかも知れない。
要するに変化の可能性ばかりだ。

まとめると、

・仕事自体が好きな人にはFIREは向かない
・仕事でない面に魅力を感じる人はFIREで幸せになれる可能性がある
・変化の多いFIREは、保守的な人には好まれない可能性がある

こんなところです。

金銭面で見たFIRE

なんかみずほ銀行のサイトでの解説では、FIREには年間支出の25倍くらいの資金が必要らしい。
https://miraisozo.mizuhobank.co.jp/money/80216
これは欧米基準での数値なので、環境によっては増えたり減ったりするのだろうが。

さて、この資金をどうやって稼ぐかが問題だろう。
正直、FIREは万人から見て、体面はすごく好いと思う。
しかし、一番の問題となるが資金だと思っている。

雑な計算で申し訳ないが、年間支出を300万円だと仮定する。
さすれば、単純計算でFIREに必要な資金は7500万円。
この額を例えば40代までに蓄えられるのだろうか。

生活費を差し引いた上での上記額の貯蓄は、正直かなりしんどい。
消費の削減以上に、収入の増加が必要になってくるだろう。
収入を増加させるために、当面は仕事を鬼のように頑張らなければならない。
FIREする人の多くは、仕事に生涯を捧げる価値がないと感じているのだろうから、これも将来のためと割り切れる胆力が必要だ。

金銭面では、資金の準備のほかに、投資慣れしておく必要があると思う。
さっきから言っている通り、セミリタイア後の主な資産運用は、投資だ。
それをリタイア後から始めているようでは、かなり危なっかしい。
仕事以外で稼ぐあてを作っておくという意味でも、
さっさとある程度の資産を投資に回しておくのは大切ではなかろうか

こんな感じで、ざっと考えただけでも問題山積なので、
FIREには主に資金面で周到な準備が必要だ(リタイア後の職のアテとかもね)。
FIREに多大な希望を見出したり、それまでの苦労を乗り切る何かを持たないと厳しいだろう。

まとめると、

・一年や二年では蓄えられない大きな資金が必要
・FIRE後は、資産運用でのリターンが重要なので投資慣れが必要
・FIREまでの苦難を耐える心の拠り所もかなり大切
・周到な計画をしなければならない

こんなところです。

ところで、FIREは人生の希望になるだろうか?

QoL面と金銭面で考えてきたが、
結局人生そんなに甘いことはない
ということであろうか。

聞こえの良いものでも、楽して安心が得られることは決してないと思うべきだろう。

FIREは、強い意志が必要で、周到な準備が必要だということです。
適当にやっていたら希望どころか絶望を招くことだろう。

FIREは、希望にも絶望にもなる。
どちらかというと、FIREは希望だということを心の支えに頑張れる、
強い信仰心
こそがFIREを希望にするものだと感じた。

なので、FIREが希望になるのではなく、希望にするものなのだ。
そして縋るのではなく、心の支えにするものなのだろう。

何だか曖昧で悪いが、私が考えたのはこんなところだ。
なんかもっと考えて欲しいとか、
自分はこう考えたっていうのがあれば、どんどん突っ込んでほしい。

今回は以上です。最後までご覧いただきありがとうございました。

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