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BOOKOFF早稲田駅前店の閉店に寄せて


早稲田大学周辺には、多くの早稲田大学生の記憶に直接結びつくような店が多くある。
授業・課外活動疲れの学生に安価でボリューミーな食事を提供する「ワセメシ」とよばれる飲食店だったり、数々のレポートを一杯のコーヒーで手助けしてくれるカフェだったりと、多様な店が早稲田という学生街で学生たちを待っている。

しかし今、授業の完全オンライン化で、学生の姿が消えたこの街で、数々の飲食店もまた消えていく。

BOOKOFF早稲田駅前店が閉店に至ったことがこの件の影響であるとは思っていない。学生街というほど店内には学生の数は多くなかった。
ただ、学生たちを迎えられないまま、終末の印象も残さずにひっそり消えていくという意味では、同じだ。



浪人になってから、私はしきりにBOOKOFFに寄るようになった。私にとっての息抜きがBOOKOFFだった。
駿台のコマの空き時間に、午前で終わった日に、自習に飽きたときに、時間があればふらっと徒歩でBOOKOFFまで行った。様々なBOOKOFFを練り歩いた。歩く時間は数十分だったり、数時間だったりした。浪人の最大の問題のひとつである「運動不足」を解消するには、BOOKOFFへの散歩はちょうど適していた。
目的はコミック。それ以外には目もくれず、自分の好きな日常系とよばれるコミックをひたすら買い求めていた。

私が初めて早稲田駅前店を訪れたのは、第一志望の早稲田大学を受験した帰りであった。

全科目が終わり3時頃、帰りにどこに寄ろうとGoogleマップを開くと、駅の近くにBOOKOFFがあることに気付いた。
ワクワクしながら入店した直後の私の率直な感想は、こう。

「せまっ」

狭かった。
おそらく今までに訪れたBOOKOFFのなかで一番狭かった。
二階建てだが、やはり狭かった。大型本の棚の間では人が行き交うのも困難だった。当然コミック棚も少なかった。

でも、そんなことは別にどうでもよかった。とにかく、早稲田という街の店に初めて入った、これだけで、私にとって興奮モノだったのである。

入学したら、目一杯通おう。そう心に決めた。


私は晴れて早稲田大学生となった。BOOKOFFから徒歩10分未満の家に引っ越し、いっそう行きやすくなった。これまで最寄りのBOOKOFFまで徒歩30分という土地に住んでいた私にとって、この立地は革命的だった。

早稲田駅前店には、そこまで本の入れ換えが活発でないことを知りながら、短い間隔で通った。いいなと思ったが買うのを一旦保留した本が数日後に無くなっていた日から、もっと頻繁に通うようになった。
求めるものこそコミックではあるが、早稲田の街で欲しい本が買える、という体験は私の中の早稲田魂を沸き上がらせるには十分すぎるほどだった。


初めての夏季休暇が終わり(実家で日夜ブラウザゲーをしていた)、早稲田に帰ってきた私は、久方ぶりのBOOKOFFの店内を見回して、驚愕した。

どこにもコミックがない。

見間違いかと思って、長いことうろうろした。これは配置変更なのか?いや、間違いなく全ての通路を歩いた。どこにもない。
つまり。

BOOKOFF早稲田駅前店は、コミックを取り扱わなくなったのである。


やられた、と思った。裏切られた思いがした。

たしかに早稲田大学生は大体賢い。そして知的だ。十冊のコミックより一冊の古典文学をじっくりと読み込むことに喜びを感じる人たちだ(というのはさすがに偏見だが)。
狭い店内において、いっそコミックを置かずして他の書籍を取り扱う方が需要があると判断するのも分からないではない。

しかしやはり、コミックを取り扱わないというのは若者の多くいる早稲田では明らかに悪手ではないか。

コミックだけを来店理由にしていた私にとって、早稲田駅前店は完全に意味を成さなくなってしまった。

そして私はぱたりと行かなくなった。

私は突然、早稲田の街における一つの重大な関係を失ったのだ。


そもそも私が早稲田大学の文化構想学部を第一志望にしたのは、「萌え」の研究をしたいがためであった。
浪人の春までは商学部を志願していたが、夏に友人に「やりたいことをやればいいじゃん」と言われ、ならば「萌え」の研究を、と伝えると、「ちょうどいいところがある」と教えてもらったのが、友人の通っていたこの学部だった。

早稲田大学の戸山キャンパスには文学部と文化構想学部がある。下に示したのがその学部パンフレットである。

http://www.waseda.jp/nyusi/ebro/ug/cms-hss_jp_2020/html5.html

そう、文学部と文化構想学部はパンフレットを共有しているのだ。
多くの点で履修が共通する、双子のような学部。

文学部と文化構想学部の最大の違いは、知を「縦」に広げるか、「横」に広げるかということである。
文学部ではコースに所属し、一つのテーマを深掘りしていく。文化構想学部では論系に所属し、一つのテーマを様々な分野に展開する。
パンフレットで、文学部は知を「究める」、文化構想学部は知を「つくる」と記されている通りである。

私は文化構想学部で、多面的な現象である「萌え」を、多角的な視点から論じてみたいと思い立ったのだ。


さて、大雑把な分け方をするなら、比較的取り扱うジャンルを決めている古書店は文学部向きで、どのようなジャンルの本も取り扱うBOOKOFFは、文化構想学部向きといえないだろうか。

事実、私が2年生になって本格的に研究を始めるためにリストアップした書籍群も、結局はBOOKOFFでまとめて探す方が効率的なのだった。


そして私は半年ぶりに、コミックを取り扱わないBOOKOFFへ入店したのである。


コミックではない、欲しい本があった。

BOOKOFF早稲田駅前店に、私にとって新しい意味ができた。


その視点から改めて店内を見渡すと、いくつもの気付きがあった。

コミックの棚がなくなるということは、その分一般書籍が増えるということである。
店内の狭さを補うために階段にも敷き詰めていた棚には、独自に大学生に読んでほしい本を集めたコーナーができていた。
それと、岩波文庫の品揃えがとびきり多くなった。近所の書店であるあゆみBOOKS(現・文禄堂)は、奥に岩波を含め文庫本を多く集めた一画がある。それに倣ったのだとしたら、BOOKOFFはかえって早稲田の雰囲気に合わせようとしている、というのは明らかだ。

まさに、早稲田大学生のためのBOOKOFFになっていた。早稲田大学生らしくなって、初めてその事に気付いたのだった。

こうして、私と早稲田駅前店との個人的な関係は、一人の早稲田大学生と早稲田駅前店との文化的な関係に変わっていった。


だからといって、普段BOOKOFFに来たときに買う本の8割はコミックだった。だから早稲田駅前店で本を買うことはほとんどなかった。
ほとんどというか、少なくともBOOKOFFのポイントカードをアプリに移行してから、おそらく一回もそこで本を買っていない。一度だけゲームソフト棚のうまるちゃんのギャルゲを買ったことならあった(まだプレイしてないな)。

それでも、「今日もおそらく何も買うものはない」と分かっていながら、「何かあるかも」という気持ちにさせてくれる、それがBOOKOFFの魅力。
今どき、欲しい本はオンラインで手に入る。BOOKOFFも、日本最大級のオンライン中古書店ブックオフオンラインがある。

でも、日本には書店があるし、BOOKOFFも実店舗をもつ。それは、言わずもがなだが、「予期せぬ本との出会い」がそこにあるからだ。事実私も、その偶然のおかげで知らなかった有益な書籍を手に入れ、「萌え」研究にいっそう深みをもたせることができた。

なによりBOOKOFF早稲田駅前店は、コミックの取り扱いが無い分とりわけ、私にとって純粋に新たな知への入り口だった。



コミックを取り扱わなくなった当時、このままでは近い未来に閉店するのだろうなとは薄々分かっていた。しかし、まさかその2年後とは。

当然、早稲田通り沿いの早稲田古書店街では多くの古書店が大学生の関心をそそる本をいくつも用意しているので、そこから大分離れたBOOKOFFはそれに迎合するのではなく、この近くに取り扱いのないコミックを仕入れている方が良いのではとは思っていた。
ただ、BOOKOFFは全国的なチェーン店であるという事実が、古書店にいささか感じる入店のハードルみたいなものを取り払っていたのは間違いない。
専門的な知識に疎い私にとって、BOOKOFFはこれ以上ないくらい「ちょうどいい」存在だった。


結局、最後の入店となる今日も、10分ほどで何も買わずに出た。もう店の半分未満しか本は残っていなくて、目ぼしいものはほとんどなかった。

何も手に持たない、いつも通りの退店をした。

でも、そんな時間を早稲田で過ごすことは、もうない。

自分の知を押し広げてくれるような、まさに自分の知を「つくって」くれる可能性をもったBOOKOFF早稲田駅前店は、もう私の前には戻ってこないのだ。


サークルに入らず、友達もいない私は、早稲田にある様々な店にあれこれ入ることをしなかった。しない間に早稲田はそのままオンラインに移行していた。
だから、私から見る早稲田という街にとって、BOOKOFFが占める意味合いは大きかった。

Twitterで他の学生たちも閉店を悲しんでいて、救われた気持ちになった。

自分だけじゃない。BOOKOFFが消えて、早稲田という街に穴が開いたように思っているのは、自分だけじゃなかった。


大学から20分ほど歩けば、高田馬場にBOOKOFFはある。30分歩けば、新宿にある。40分歩けば、新宿の大きい方、飯田橋、そして池袋の店舗に行ける。

東京は狭い。そして街が多い。だからBOOKOFFが溢れている。

それらの店舗の方が、はっきり言って早稲田よりも広く品揃えが良い。

でも、なあ。

買うべき商品はなくとも、ふとしたときに立ち入って、新たな知のヒントを「安価」でくれるBOOKOFFっていうのが、学生にとって代え難い存在だったんだよなあ、って、今さら気付いたところで遅いけど。



今、書籍の電子化の流れとフリマアプリの普及で、中古書店は崖っぷちに立たされている。

この数年でも、渋谷や新宿東口と大きなBOOKOFFが消えていった。

時代に合っていない、と切り捨てればそれまでである。

だけど私は、紙の本の存在感以上に、100円から始まる未知の関心との出会いの場としてのBOOKOFFに、これからも通い詰めるだろう。


新たな知の始まりに触れた、あの日の胸の高鳴りと共に。

今お読みいただいた文章にもれなく「価値」が付与されます