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大手企業とベンチャー企業の両方で働いて見つけた、一番の喜びとやりがい|バルミューダ 直原佑哉さん

高専時代にロボコン全国大会へ行った経験を持つ、直原さんはロボットの勉強がしたくて、奈良先端科学技術大学院大学(以下、奈良先端大)に入学、感覚をロボットに教えるためのセンサーを開発されていました。新卒でパナソニックへ入社後、ベンチャー企業へ2度の転職をされています。なぜ大手企業を辞めてベンチャー企業へ転職したのか、大手企業とベンチャー企業で経験できることの違い、3社を通じて得られたことを含めて、詳しくお話を伺いました。

直原 佑哉(情報科学研究科 博士前期課程2007.3修了)
奈良先端科学技術大学院大学では、触覚センサーの開発に取り組む。博士前期課程修了後、株式会社パナソニックシステムネットワークスに入社。入社後は監視カメラの開発を担当。その後、株式会社ZMPで自動車メーカー向けの自動運転車の技術営業を経験、現在はバルミューダ株式会社で、新しい価値を持つ製品の研究開発を行っている。

新卒時における就職活動の目線

当時は、あまり先のことは考えられなかったですが、何かしら動くもの、何か商品として関われたら良いという目線で探していました。その時は、まだ会社の規模感ということは意識しておらず、取り組みがおもしろそうで、且つ昔から安定したイメージだったパナソニックに応募しました。就職活動が始まった時期は、博士前期課程2年の4月頃で、他にも1社だけ受けましたが、採用のスピードややりたいことへのご縁も感じ、パナソニックシステムネットワークス(現:パナソニック システムソリューションズ ジャパン)に就職しました。

メカ屋として成長できたパナソニックの経験

新卒時は電気系の採用で入社しましたが、実物を動かしていることがとても好きなため、もっと泥臭い、現場で物をガッツリと触れるような職種への希望が高く、就職が決まってから、「電気以外にも、道はないですか?」と相談しました。それに加えて、一から始めるからには、一番忙しくメカ的に複雑な環境の方が勉強できると思い、「一番キツイところはどこですか?」と話をして、監視カメラの部署に配属になりました。

学生時代の専攻は情報の分野で、図面の書き方も分からない状態だったのですが、機械の分野でも歓迎され、問題なく入らせてもらえました。そういった意味では、大手企業でそのような勉強を一から経験させてもらえたことは、とても良いことでした。大手企業で案件も多い中、初心者でも希望を聞いて一から経験させていただけることはまずないと思うので、とても密な経験をさせてもらいました。

一般的な大手企業におけるチーム制の設計とは異なり、所属していた場所は、ほぼ全て自分1人で約150の部品を設計して、試作から量産までを受け持つ、パナソニックの中でも、変わった部署でした。取扱説明書も、梱包も、輸送も、信頼性試験も…。グローバルで取り組んでいたので、例えば、中国の工場から日本やヨーロッパへ運ぶように、その輸送の設計も含めて取り組んでいました。その結果、必要なもの作りの一切を学べたおかげで、キャリアとしてはとても良く、無事に機械系のプロ、メカ屋として成長できました。

また、カメラは画像も影響しますし、音も録ります。それに加えて、360度ぐるぐる動くカメラを開発していたので、少しロボット要素もありましたね。高専で研究していた制御系、奈良先端大で研究していた画像処理系、それらの経験も活かせたので、相性も良かったです。

大手企業からベンチャー企業へ転職した理由

パナソニックに6年半、在籍した後、ベンチャー企業のZMPに転職しました。当時は自動運転の技術を販売していました。日本初の商業用の二足歩行ロボットPinoを作った会社です。

正直に言うと、ある時、自分の作業が製品に対して、どこまで貢献できて、実際にお客様がどれくらい喜んでくれているのかをふと疑問に感じたのですね。結局、良かれと思って、色々な機能を入れて、新しいモデルを出して、それを毎年のように繰り返して…。私は営業や店員ではないので、「私がこれを作ったのですが、どうですか?」と、まず話はできないです。もう少しお客様の声を聞けるような開発、もしくは窓口のような形で仕事ができないかなと思うようになりました。家庭の事情もありましたが、それが転職活動を始めたきっかけでした。

そこで、選択したのがベンチャー企業です。絶対的に人数が少ないので、やらざるを得ない状況にあると考えました。実際に使ったお客様の生の声をもっと聞いて、その声をもっとフィードバックしていきたい、もう少しお客様に近いところで仕事をしたくなりました。やっぱり「ありがとう」と言われたかったからかもしれません。

研究開発の最先端で担当した業務内容

ZMPには約3年間、在籍していて、元々はエンジニアで入社しましたが、技術営業を担当していました。営業が数人しかいないというか、全員で10人くらい、「営業もできそうだね」、「一緒にやろうよ」と言われたことをきっかけに、機械の知識はあるので、設計や量産の面倒を見つつ、実際にお客様のところに行って「何が欲しいですか?」とヒアリングをしていました。当時は自動運転をウリにしている会社だったので、各自動車メーカーに「パソコンで制御できるように改造した車を買いませんか?」と。

10年弱前は、自動運転の走りの頃で、ようやく公道で実験が始まり、メディアにも情報が出始めた時期でした。自動車メーカーで自動運転をすることは、当時はまだ、表にも出ない発展途上の技術で、開発に膨大なコストがかかります。それゆえ、最大手の車メーカーでさえ、数台しか作れないという状況がありました。その数台の車を、実際に走らせる制御部門かつ最先端の研究開発の部署が利用するので、ADASなどの周辺センサの開発部署には簡単に、その車が回ってこないというような状態です。その基盤となる汎用車をZMPが用意し、50分の1くらいの値段で提供できる、といったビジネスです。各社に対して、「どういったセンサを使いたいですか?」「カメラをどこに付けたいですか?」「車検を通しますか?」「公道を走りますか?」と、御用聞きをしながら、営業に行って、仕様を聞き、自分で固めて、自分で取り付け、車を売るということをしていました。営業をしながら、現場ではもっと開発したいけど、車がないという声を多く聞き、更に要望を聞きながら、柔軟にお客様の声を取り入れ、それに合う設計も担当できたのは力になったと思います。

現在の会社へ転職することになったきっかけ

パナソニックも相当忙しかったですが、ZMPでは更に忙しくて、疲弊してしまいました。ヨーロッパでも実験をしていたので、ヨーロッパと仕事をした時は12時間の時差があるため、昼夜逆転します。通常業務をやりつつ、深夜はヨーロッパと仕事している時が続くと、さすがにキツかったですね。当然、相応の休みも取りながらの業務です。

そういう理由もありましたが、思い返してみると、やはりパナソニックで一番楽しかったことは、たくさん作って、たくさんの人に物を届けられたことでした。営業も楽しいですし、最先端の技術もとても楽しいですが、一度、原点に帰った時に、より良い商品をたくさんの人に届けることができたら、もっと面白いのかなと思い始めて、今のバルミューダへ。当時、扇風機やトースターが有名になり始めて、元々、他に類を見ない家電メーカーだとは知っていて、同じく他に類を見ない社長がいて、大手家電メーカーを経験した私にはとても新しい魅力を感じたので、当時は何を担当するかも全く未知でしたが、新たな挑戦を覚悟して入社に至りました。

社会に影響力のある会社で携わっていること

今で6年半になりますが、入社後は、研究開発の専門部署にいました。そこで、デスクライトの光源、フォワードビームテクノロジーの開発と特許を取得しました。奈良先端大の時から、こういう新しい価値を持つ機能を付けて、物を作ることがとても好きだったので、これまでの流れから、それも繋がっているかなと思います。今では社内の製品には、ほとんど関わってはいますが、このデスクライトの開発が最初で、次は掃除機。この製品は、「掃除機は何で前後にしか動かないんだろう?」という疑問から、掃除道具のように自由自在に動かすことで、掃除の体験を変えたいというコンセプトで開発しました。少し浮いたように気持ちよく動かせるホバーテクノロジーも特許を出願しています。他には、ハンドドリップを忠実に再現したコーヒーメーカーや、音楽のエネルギーに合わせて輝くスピーカーなども。直近は、スマートフォンの開発に大きく関わりました。バルミューダのものづくりは、自由な発想や疑問から道具としてあるべき姿を考え直して、新しい価値を持つ製品を作ります。全てにそのストーリーがあり、その新たな価値を実現させるのが自分のミッションです。

バルミューダで製品を発表した時のリアクションは、とても大きな反響をいつも感じています。そういう反応を見る度に、自分の仕事が会社にとって必要なもので、社会に影響力のある内容なんだと感じます。そのため、とてもやりがいを感じ、周りに自分が携わっているという話もできて、非常に楽しい日々を過ごせています。

また、“文科省認定教科書中学校・技術家庭「技術」新しい技術”(令和3年度、東京書籍)に掲載されるという、嬉しいこともありました。実際の企業が開発した製品を題材にして、エネルギー変換の授業内容を説明しているもので、その教科書の中で、バルミューダの扇風機(電気を風に)とデスクライト(電気を光に)が採択されました。現代の教育では答えではなく、そのプロセスが重要ということで、製品の紹介ではなく、なぜそういう製品を作ろうと思ったのかというインタビューでした。当時、デスクライトを開発していた私がエンジニアとして、コメントを書かせていただいています。

どれも欠かせない、三社三様で経験してきたこと

パナソニックでは、最初は勉強する期間が含まれていたので、ベンチャー企業にはない、新人教育が充実していたことと、徐々に設計を任されて、もの作りに必要なスキルを着々と積めたことが良かったです。

一方で、お客様から遠くなっていったので、もう少しお客様の近くに行くために、ZMPに行き、お客様の窓口になりました。そこで、どういったことが求められるのか、それをどう設計の仕様化をしていくか、そういったことを学びながら、お客様と一緒に直接、喜んでもらえる商品が作れたところと、本当に最先端の技術を扱えたところが魅力でした。ベンチャー企業ならではの、色々な部署の近さ、そして、本当に何でも自分でやらないといけない世界なので、大きな成長も学びもありました。

そして、今のバルミューダでは、その集大成という感じですね。家電という人々に必要な道具を通じて、影響力のある商品を実際に作れることは、やっぱり一番の喜びで、やりがいにも繋がっています。やることはとてもたくさんありますが、色々な人と協力して研究開発を進めながら、実際の製品を作っていく過程と、それをどれだけ経験を活かしてできるかというところは、これまでのキャリアから紐付いていると思います。初めての開発経験でも、下流から上流まで関わらせていただいた一社目、開発したものにどういうニーズがあるのかを知りながら設計をした二社目。現在は、新しい価値を持つこの製品が、お客様のどういうニーズにマッチするのかを考えながら、枠にとらわれずに研究開発しています。

自分のやりたいこと=会社の貢献

働く上で大切にしていることは、自分が楽しいかどうかです。社内風潮的なものもありますが、「これに時間を使っても良い」、「これに時間をかければ、もっと良くできる」というマインドやモチベーション、熱量は、楽しくないと維持できないと考えています。自分達のやりたいことで、人々の役に立つ。今の仕事はその2つが噛み合っていると感じることが多く、自分の存在が会社に貢献できていると感じています。単に楽しいだけであれば、会社の貢献にはならないので、いかにそれを貢献できる方に自分の中でマッチングさせていくか…。当然、自分から寄っていかないといけない時もあるし、そういったところの楽しさも感じています。

バルミューダでの今後の目標

よりバルミューダが成長していくに当たって、その成長に貢献できるように努めていきたいと思っています。200人ぐらいの会社ですが、想いとしては、もっと社会的影響力のある会社にしていきたいので、まずは新製品の開発などで会社が大きくなるために、会社を支えていきたいです。

現役の奈良先端大生へのメッセージ

新しい世界に飛び込んだ時に、サポートが必要な人と必要でない人がいると思います。奈良先端大で、とても活躍していて、自分で研究をバリバリ進めて、世界的に認められるような論文を書いている人に対しては、大手企業は苦しいかもしれません。そういう人はベンチャー企業に飛び込んで、やりたいことをやるということがベストではないかと思います。

ただ、そうでない人や、奈良先端大で勉強したことが役に立つのかと悩んでいるなような人は、大手企業に行くと、色々な視点が広がると思うので、そういう目線で、もう一度、就活を見直すと良いかもしれませんね。今だからこそ言えますが、1社目でベンチャー企業に飛び込んでいたら、潰れていたかもしれないです。奈良先端大から起業されている方もたくさんいると思いますが、ベンチャー企業ならではの尋常でない大変さがあるので、今後、キャリアアップをどうしようかと迷っているなら、大手企業を一度、経験してみる方が良いです。

また、目指したい姿をハッキリと持っている人はそうすれば良いですし、そうでない人は就職してからも、道はたくさんあることを知ってほしいです。私のように、会社を何社も変えても良いです。大手企業なら、部署間の異動もしやすくて、職種を思いっきり変えても、安定しているので、そこで急に仕事がなくなることも、まずないでしょう。そういった場所で、トライアンドエラーすることも、選択としてはあります。自分のキャリアの中で、失敗は無駄にはならないので、駄目だったことも経験になります。自信のある人はどんどんチャレンジすると良いですが、そういった目線があると、会社選びの選択肢は少し広がるかなと思います。

奈良先端大を目指す学生へのメッセージ

奈良先端大ならではの魅力は、先生方も含めて、大学とは少し違った、よりアットホームな環境で研究にも勉強にも専念できるところです。独立した大学院での学びは、より濃くて、密度が高いです。そういった面で、奈良先端大を選ぶ選択肢は、私のこれまでの経験から、そのまま大学から大学院へ行くよりも、よりチャレンジングなキャリアアップができるのではないかと思います。

あとは、大学や専攻科で研究することとは違うことをしたい、人生を考える中で、もう少し違った視点を持ちたいと、少しでも思っているのであれば、大学院しかない変わった学校に飛び込んでみるのは、自分の人生の中で、とても面白い経験でした。本当に変な学校ですからね。なかなか周りに大学院大学卒業の人がいないので、なかなかこの楽しさは伝わりにくいですが、人生に何か刺激を入れたい、変わったことをしたいと思っている人はぜひ飛び込んでみてください。

奈良先端大の研究生活で印象に残っていること

奈良先端大の情報科における魅力は、幅広く深く勉強でき、また、学び直せること。それまでの高専では、工学に特化して、幅広く、一般的な話が多かったですが、奈良先端大はより高度な内容の勉強が集中的にできるというところと、ロボットだけを研究していれば良いのではなくて、例えば、ネットワークや信号処理等も含めて、しっかり勉強しながらも、研究できるところが良かったです。当時はキツかったですけれど、今となっては、とても良い2年間だったと思っています。

それに、研究室は本当にアットホームでした。教授が家族の中のお父さんという感じで、同学年もドクターの人達も含めて、凄く和気あいあいで、ほぼほぼ毎日、みんなでご飯も食べていました。お互いに、それぞれの分野に興味を持ちつつ、助け合いながら、24時間に近い形で一緒にいるようなイメージですね。自由ですが、そこで、ただただ遊んでいるわけでもなく、「みんなで何か新しいことをやろう」、「何か面白そうなことやっているから、少し手伝うよ」など。とても雰囲気は良かったですね。

また、今でも、奈良の近くに行った時には必ず寄って、教授とは交流させていただいています。関東に来ている修了生も多いので、学会で教授が関東に来られている時は20人も集まったり、在学生と交流したり…。同年代の修了生同士では、定期的に交流がありますね。

奈良先端大で経験して、今も仕事で役に立っていること

研究開発寄りの仕事をしているので、ふとした時に、実はこういった商品に役に立つのではないかと、幅広く考えて、より高い形で発想できるようになったことは、奈良先端大での勉強のおかげです。それに、研究室の環境のおかげで、一点集中の研究者よりも、幅広い視野が持てる、幅のある人間になれたと思っています。

※この記事に記載した内容は取材当時の情報になり、会社名や役職名等は現在と異なる場合があります。