見出し画像

「麒麟がくる」ゆかりの地をランニングで巡るpart1

先週末、今週末と大河ドラマ「麒麟がくる」のゆかりの地を巡っていました。
趣向は、自宅周辺でランニングで巡る、です。
名古屋市緑区。ちょうど桶狭間の合戦の舞台なんです。
Facebookで投稿した内容を編集して、noteに残します。まずは、part1善照寺砦と鳴海城です。

先週末は梅雨の中、久しぶりのお天気。
少し長く走ろうと、自宅周辺にある「公園〜麒麟がくるゆかりの地」ランニング。

自宅からまずは滝の水公園。地平線のように見える大地と青空が映えてとても綺麗。風もそよそよでとても気持ちが良かったです。

そのあと、織田信長が桶狭間の前に一瞬陣を構えた善照寺砦の跡である砦公園へ。

こんなに近くにあったのかと驚き。この公園から桶狭間を望む光景は、大河ドラマのエンディングでも紹介されました。

この景色の向こうにある丘陵地に我が家もあるので、雨の中、野山をかけていった織田信長が、我が家の付近を通過していったかもしれないと妄想して勝手に感慨深く感じてしまいました。

その後、1,300年以上の歴史ある成海神社にお参り。娘のお稚児さんも参加させてもらった我が家にとってご縁のある神社です。

お参りのあとは、鳴海城跡へ。

刈谷城と因縁のある今川家臣の岡部元信がいた城跡。ちょっとここで不思議に感じたことが。
砦公園の善照寺砦と鳴海城は走って6分程度で1キロもない距離なんです。目と鼻の先。
一方で善照寺砦から桶狭間までは5キロぐらいはあると思います。

織田信長が善照寺砦に入った情報が大河ドラマのとおり今川軍にも知られていたら、松平元康が大高城から駆けつけるより、岡部元信が織田信長の背後をすぐにつける距離なのに何故それができなかったのかと思いました。確かに織田軍の丹下砦や中嶋砦が近くにはあるけど、鷲津砦や丸根砦は落ちていて、大将ピンチな中で兵力に勝る今川軍なら追っても勝てたのではないのか。
となると、織田信長の決断と行動力が半端なく早く情報戦も制していたのか。
すでに解明されている事実があれば知りたい。勝手に歴史ミステリーにワクワクしていました(笑)
その岡部元信は今川義元の首を受け取った後になんとか戦果を上げるために、刈谷城に寄って攻め落とすという史実があります。大河ドラマで幼少の竹千代が述べた「三河の刈谷にいる母(於大の方)に会いたい」の刈谷城です。

以前、刈谷城の歴史を学んだので、多方面から歴史を見る面白さを今すごく感じてます。

やはり、自分は公園と歴史がとても大好きだと改めて実感しました。楽しい♪

公園〜麒麟がくるゆかりの地ランニング10.2キロ。とても気持ちよく楽しかったです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?