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規制退場は楽し

 コロナ禍以降、多くのコンサートで「規制退場」が適用されている。終演後、客席をフロアやブロックに分け、アナウンス順に退場するようにするという措置だ。

 もういいんじゃないかとか、効果なんて期待できないとか、否定的な意見も多いだろう。アナウンスや係員の誘導に従わず、勝手に退場を始める人が多いのも仕方ない。

 だが、私は律儀に規制退場をしている。効果を信じているからでも、いい人を演じたいからでもない。単に楽しいからだ。

 例えば、出演者との特別な交流ができる。

 思い出すのは、6月末に注目の指揮者クラウス・マケラが東京都響を振りにやってきて、ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」を演奏したときのことだ(2022.6.26 サントリー・ホール)。

 それは滅多に聴けないような凄い演奏で、満員の会場は熱狂した。楽団員が舞台を去ったあとも拍手は鳴り止まず、指揮者のソロ・カーテンコールもあった。私も高揚のうちに、痛くなるほど手を叩いた。

 ようやく長い拍手がおさまり、規制退場が始まった。私の席は舞台後方のPブロックで、退場は最後になる。誘導する係員さんを無視するのも悪いと思ってしまう程度には小心者なので、大人しく座って待つことにした。

 がらんとした舞台上には何人かの団員が残り、各自の楽器を片づけていた。一人、二人と作業を終え、袖に引っ込んでいく。

 そして、最後は小太鼓奏者の女性だけになった。彼女がすべてを完了して舞台を去ろうとしたとき、客席に残っていた私たちは、すかさず盛大な拍手を贈った。

 何しろ、彼女は「レニングラード」の名演の立役者である。第1楽章、近づいてくる戦禍を暗示する、例のボレロのリズムを延々と叩き続けた(クライマックスでは3人が同時に叩いていた)のだから。聴こえるか聴こえないかの最弱音から、耳をつんざくほどの最強音まで、大きな振れ幅の中で、無情なほどに正確無比にリズムを打ち込む妙技あってこそ、あの演奏が成立したと言っても過言ではない。

 小太鼓奏者さんは、思わぬ拍手に驚いたようだったが、嬉しそうな顔で答礼し、舞台を去っていった。その直後、最後の退場アナウンスが流れ、私たちは席を立った。

 演奏会の余韻を彩る、美しい場面だった。そこに居合わせたことに、私は大いに満足した。もしもさっさと退場していたら、そんなことがあったことさえ知らなかった。先日、オケ入場の際の拍手について書いたが、これもまた心あたたまる交流の場面だ。

 そのほか、最近、忘れられない体験をした。

 薬師丸ひろ子のコンサートツアー2022、2日間の東京公演(10/19,20 渋谷オーチャードホール)でのことだ。

 彼女の歌手活動40周年を祝うコンサートで、有観客での実施は3年ぶり。ヴォイストレーニングに勤しみ、万全の状態で臨んだ(ラジオ番組で自身が言っていた)とのことで、二日とも絶好調の歌が聴けた。初日など、最後に「アナタノコトバ」を歌い切ったあと、彼女は思わず小さくガッツポーズしていたくらい。

 私も、耳と心にまっすぐ届く彼女の歌声に、何度も感極まった。3年待った甲斐があった。これからもずっと彼女の歌を聴き続けたい、と改めて思った。

 終演後は、当然のようにスタンディングオベーションとなった。バンドメンバーが退いた後、彼女は舞台を左右に行き来しながら、大きく手を振って、満面の笑顔で拍手に応える。彼女が名残惜しげに舞台袖に消えると、舞台のライトが落ち、規制退場が始まった。

 順番が来るのを待っている間、舞台左右の大きなスピーカーからは、彼女の歌が流れていた。もちろんCD音源なのだが、最初は大瀧詠一の「夢で逢えたら」のカバー、その次に流れてきたのは「胸の振り子」だった。

 この曲がリリースされた頃(1987年)、私は大学生になったばかりだった。少女のようなあどけなさも残す彼女の歌声にも、玉置浩二が書いた切ないメロディにも、当時の甘酸っぱい青春の思い出が、ぎっしりと詰まっている。

 聳え立つ巨大なスピーカーを見上げながら聴いていて、泣けて仕方なかった。ついさっきまで聴いていたコンサートの余韻と、彼女の歌とともに生きてきた40年近くの歳月、そして、前回、彼女のライヴを聴いてからの3年間に起きた出来事が、私の中で渦を巻いていた。「夢で出逢えたなら 素敵でしょう」という歌詞が、やたらと響いた。

 ちょうど曲が終わる頃、最後の退場案内が告げられて我に返った。ほんとうはそのまま放心状態でいたかったが、そういう訳にもいかない。後ろ髪引かれる思いで、しかし、幸せな気分で会場を後にした。そう、両日とも。

 都響にせよ、薬師丸ひろ子にせよ、私の体験は単なる偶然のちっぽけな出来事に過ぎない。コンサート本編へのおまけ程度のものだ。しかも、いつもこのような幸運にめぐり合えるとは限らない。ましては、人様に規制退場しましょうなどと呼びかけるつもりなど、さらさらない。

 だけれど、規制退場を守ったおかげで、コンサートの記憶に美しい輪郭を与えてくれるような時間が与えられた。それだけは間違いない。

 まとめめいたことを言うならば、こんな感じになるだろうか。

 何か待たされるようなことがあっても、慌てない。可能であれば、例えば渋滞に巻き込まれたんだ、自分にはアンコントローラブルなことだと受け容れ、諦めてみる。そうすれば、何かいいことが起きるかもしれない。

 人間万事塞翁が馬。

 もっとも、薬師丸ひろ子のライヴに関しては、オチがある。2日目は、帰りに人身事故などで電車が止まった。帰宅までに1時間以上も余分にかかり、コンサートの幸福な余韻は吹き飛び、薬師丸ひろ子は夢に出てきてくれはしなかった。まさに人間万事塞翁が馬、と苦笑せざるを得ない。

 が、これもまた人生。制御不可能なことが、いつ、どのように起きるかは誰にも分からない。だからこそ面白い、と思えることもある。

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