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アンチに動じないのは、小学生時代のイジメの経験があったから

どうも、アフリカ系男子のナイケルです。


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僕はアンチコメントに傷ついたことが一度もない。
あの頃のイジメに比べたら屁でもない。


と、突然ですが、この記事の結論を全部言っちゃいました。

僕は本格的にインターネット上で発信をし始めたのは、2012年頃からになります。アフリカに行くことを決め、会社に辞める旨を伝えたときにブログをやり始めたのが、今の発信の原点だと思います。

こんなタイトルでやっていましたね。

今でも、文章力のなさには定評がありますが、それでもこの頃は群を抜いて何が言いたいのかよく分からない、でもなんか楽しそうな自分のためのブログであったなぁと思います。今のnoteも比較的その感覚に近いですけどね。

まあそれは良しとしまして、僕はなぜかブログを始めた当初から、アンチの方がパラパラとついているのです。

青年海外協力隊時代は、「税金泥棒!」とか「チャラチャラしてんじゃねぇ」とかメッセージが着ていました。確かに、他の隊員さんと比べると、飲み会の内容を載せたり、クラブに行ったり、見た目も無駄にロン毛パーマでヒゲとか生やしていたので、そう思われても仕方なかったのかもしれません。

そして現在はおかげさまで、ツイッターを中心に多少の影響力をいただいておりまして、それに比例して、アンチの方もぐんぐん増えている状況です。


せっかくですから、今まで着た僕へのアンチコメントでもっとも多い内容の一部ご紹介しましょう。

Twitterで発信を細かくするようになると、必ず来るようになるのが、こちらの「頑張ってるアピールすんな」系のコメント。

モテないよ的なコメントも良くきます。僕は見た目は70点、中身は90点と思っている、内面ナルシストタイプなのですが、それが発信にも出ているらしく、よくこのようなご批判もいただきます。

アフリカのためにならないぞ、的なコメント。彼らのためになっているかって正直まだ全然分からないので、これは落ち込みはしないですけど、まあまだまだ彼らのためになる活動は、時間がかかるので待ってねって思っています。

とまあ、こんな感じのコメントが週に1〜2件は着ています。ちょっと前までは全部に返信していましたが、同じようなジャンルや、ただ根拠がないような批判は返信しないことも増えてきました。


ただ、一つだけ言えることができるのは、

アンチコメント、全然余裕です。

多少はイラっとしたことはあれど、落ち込んだり、悩んだりしたことは1秒たりともありません。直接会うお友達には心配されたりしますが、本当にまったくなんとも思わないのです。

僕の友達でもある程度ネット上の影響力が増えてくると、アンチコメントが着て、結構悩まれている方いるんですけど、そのアンチ全部僕んとこ着ちゃえって思うくらいです。で、なぜ自分がこんなにアンチに耐性があるのかを考えてみました。

それは、小学校時代のいじめが要因だと気がつきました。

ちょっと、その状況をなるべく簡潔に話してみましょう。


転校がきっかけでイジメが始まる

小学校2年生の頭から、僕は埼玉県から、広島県へ引越しをしました。
その学校は、転校生はほとんどいない学校だったようです。

そして、急に違う環境からやってきた転校生の僕は、初日からイジメにあいました。

先生に案内されて席に着席すると、隣の子や前後の子が、数十センチほど僕より席を露骨に離したのが見えました。

僕は昔からナルシスト気質があったので、嫌よ嫌よも好きのうちだろう的な勘違いで、わざと彼らにどんどん近づいていきました。

キモチワルイ


と、その日からクラスメイトは僕のことを見て呟いていました。


女子トイレに投げられる

さらに追い討ちをかけたのは、僕は鼻炎アレルギーだったので、調子が悪い時は一日中鼻水が止まらなかったのです。ティッシュで僕が授業中に鼻をかむたびに「キモチワルイ」という声がこだまします。

そして数ヶ月経った頃、クラス全体からいじめられるようになっていました。いや、他のクラスの人もそれに加わっていたと思います。

よく覚えているのが、給食のあとの昼やすみが雨だったとき、外で遊べない活発な同級生たちが、僕を殴ってきたり、無理やり女子トイレに投げられたりしていました。

辛かったのですが、僕はそのストレスでみるみる太ってしまい、逆にパワーがどんどんついてきていました。

そして、僕はひとりひとりに復讐していくようになります。


具体的には、トイレで1人で用を足しているいじめっ子を、後ろからホウキなどでボコボコにしていました。歯も折ったりしちゃって、大問題になったこともありました。

なので、一対一ではイジメられないのですが、先ほどの集団でのイジメ行為や、一人一人ボコボコにしていってからは、机の中に泥を入れられたり、トイレの個室に入っていたら水をかけられたりと、誰だか分からないような方法のイジメに変わりました。


先生も助けてくれない

そして、何が悲しかったかというと、担任の先生までも僕を除け者にしていたことです。当時の担任は、良く言えば優しい先生、悪く言えば嫌われるのが極端にイヤな先生という印象です。

なので、権力を持っている生徒には優しくし、パッとしない生徒には適当に接しているなぁというのが、僕から見てもわかりやすく感じました。

そんな中、三者面談がありました。

僕の母親は、僕がイジメられていることに気が付いていたようで、そのことについて、先生になんとかしてもらえるように相談をしていました。しかし、その先生が言った言葉は、

「イジメられているとしたら、俊輔くん(僕の旧名)に原因があるのだと思います。ご両親さんの教育にも問題があるのではないでしょうか?」

ということを言っていました。
母親はとっても悔しがっているようでした。

これが僕にはとってもショックで、正直イジメられていたのは、辛かったけど大丈夫でした。一人一人ボコボコにしていたし、ボーイスカウトや色々な習い事をやらせてくれたおかげで、そっちに友達がたくさんいましたから。

でも、母親に心配かけてしまったことと、大人で公平であるべきな先生ですら、そういう対応をするということに、人間不信になってしまいました。


再度転校も、人間不信になった

その数ヶ月後に、僕は埼玉の最初にいたエリアに転校となりました。

当時親は、「また仕事で学校変わることになっちゃった」って言っていましたが、今思えば、僕のためを思って転勤してくれたのだと思います。

3年その学校には通っていたので、もともと人見知りしないタイプの自分でしたが、その頃には人間不信で、絶対に自分の素は人には見せない性格になってしまいました。

結果的に今は、あの時の経験のおかげで、弱い立場の気持ちがわかるようにもなりましたし、悔しさがあったので、自分を変えようと思うこともできました。何よりこのタイトルにもあるように、多少の批判とかにはなんとも思わない鋼のメンタルを獲得することができました(笑)

今でも、よく「ナイケルって結構ドライだよね」って言われることがありますが、結構自分を含めて人を俯瞰で見ている節があり、そのためにドライな印象を持たれることがあります。


あと匿名アンチの方って、偏見かもしれませんが、イジメられたこともイジメたこともないタイプの人なのではないかと思っています。キツイ言い方をすると、注目されたことがない人。

つまり、匿名でコメントするのは、自分のアイデンティティに自信がないからで、どこかでそれを認めて欲しいという想いと妬みのような感情が、変な形となってああゆうアンチコメントをしてしまうんじゃないかなって思います。

僕のアンチの方は、ご丁寧に僕のブログやツイッターを隅々までご覧いただいている方が多いように思えます。ですので、このnoteも読んでいただける可能性も高いと思い、この内容は特にアンチコメントを書いている方に届けって思っています。

結論を言いますと、アンチコメント、全然今後も送ってもらってOKです。


僕は「アフリカと日本全国民をつなぐ」ということをモットーに活動をしていますので、アンチコメントを書くような方にも、アフリカと繋がって欲しいと思っていますので、皆さんにもそのきっかけを作れるように頑張っていきますよ。

今後ともどうぞ、よろしくお願いします。


最後まで読んでくれてメルシーボク!お礼にアフリカから元気になるパワーを送ります!エイザンデ〜


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