14才のレンゲ畑
私には三つずつ離れた妹と弟がいる。
二人とも、天真爛漫でいつも楽しそう。
やっかみも含め、子どもの頃の私の目には、そんなふうに映っていた。
中学三年生の春、家族でサイクリングに出かけた。
列をなして走ったのは、レンゲ畑が広がるのどかな田舎道。
畑の間にのびる農道を指して、父が妹を促す。
言われるままに妹は、咲き誇るレンゲに包まれながら、カメラを構える父に向かって笑顔でポーズをとる。
次は弟。当然のようにかけていく姿が可愛らしい。
「よし、じゃあ行こうか」
え?・・・私は?
えぐられるように心が痛んだ。
「なんで私は撮らないの……?!」
は、言えなかった。
そこから先、サイクリングのことは何も覚えていない。
ただ、帰宅後、腹立たしさから力任せに下駄箱の扉を閉めた音は、今でも耳に残っている。
自分の部屋めがけて階段を駆け上がった。
「言いたいことがあるなら言いなさい!」
と叫ぶ母の声を背負いながら。
サイクリングの日から二週間ほどして、父が現像した写真を持ち帰った(フィルムの時代の話ですから)。
見たくもないサイクリングの写真。
ムスッとした表情の自分を何枚もやり過ごしながら、一枚くらいまともなものはないかと、二十数枚の束をめくっていった。
その写真は、あった。
妹と弟が撮られたのと同じ場所に、私が写っていた。
私がたまたまその場所に行った時、父はシャッターを切っていた。そのアングルがいいと思ったから、妹と弟に同じ場所に行かせたのだ。
かすかに残る、その年頃の自分の感覚。世の中の「輪」など、まだまだ他人事。学校と家庭という、小さな社会の中で、「自分」という人間の立ち位置を俯瞰してみたり、渦に巻き込まれてみたり。
うまく甘えられず、輪に溶け込めないジレンマを抱えながら、孤独を感じたり、独りじゃない温かさを感じたり。
10代の感覚を驚くほど失った今。ふと思い出したことを、心に留めておきたくなった。
一見まじめそうで、さほど世の中からはみ出してもいなかった自分が密かに抱えていた葛藤は、それもまた自分の一部だ。
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