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恋人である理由

 先日、友人に勧められた『BANANAFISH』全巻を一晩で読み切った。色んな人から「暇な時に読め」「心に余裕があるときに読んだ方がいい」「鬱漫画」等々色々な忠告を頂き、半ば戦々恐々としながら読んだわけだが、なるほどみんなが言っていることも一理あるな、と読み終えて思った。確かに忙しい時に読んだらやらねばいけない仕事が手につかなくなるだろうし、これは一気に読み切らないと行けない作品だな、とも思った。ただ、一口で「鬱漫画」だと言い切ってしまうには勿体ないほど、私にとってこの作品は心に残るものとなった。この作品はただの鬱漫画などでは、絶対にないのだ。2人の青年、ともすれば少年たちの、人生が詰まっている作品なのだ。
たしかに読む手を止めてしまう、ページをめくるのが恐ろしくなってしまう瞬間はいくつもあって、その点で言えば立派な鬱漫画なのかもしれない。けれど、個人的にこの作品は、愛の物語なんだと、私は思ったのだ。
愛、と一言で言っても色々な形がある。友愛、性愛、偏愛、執愛、敬愛、そして、純愛など。
BANANAFISHには、その愛の全てがあったんじゃないか、と呆然としつつも考えてしまう。
全てを話してしまうとどうしたってネタバレになってしまうし、この衝撃と大きな愛をみんなにも感じて欲しいから本編の感想や所感を綴ることは控えるけれど、本当に本当に、素敵で美しい世界だったな、と思う。
決して悲劇なんかじゃない、むしろハッピーエンドにすら思える彼らの物語を、ぜひ読んで欲しい。ほんとうに。

私の中の人生の恋愛物語第1位はロミジュリなんですけど、次点はBANANAFISHです。今決めました。恋がロミジュリ、愛がBANANAFISH。結構共通点も探せばありそうな気がしています。卒論書けそう。書かないけど。何からも卒業しないし。

ところで、私は、かれこれ恋人というものがいない生活を、3年ほど送っている。正直に言うと以前までの私は恋人という存在が居ないと不安になってしまうような、恋愛依存気味なところがあった。恋人という存在がいないと、自分がここにいていいかどうかも見失ってしまうような、自分の存在価値を恋人を通してしか確認することが出来ないような、そんな状態だった、のだと思う。
そんな状態から脱却したのは、純粋に恋愛をしている心の余裕が無くなったことも大きな要因の一つではあるけれど、もうひとつ大きな要因としてあげることを許されるならば、そばに居てくれる友人たちの存在があると思う。
ずっと私は、そばに居てくれる人は恋人しかいないと思っていたし、だからこそずっと恋人を探してしまっていたけれど、ありがたいことに素敵な友人たちに恵まれたおかげで、そうでは無いことに気がつけた。この世の中に、恋人としか出来ない事なんて、ないんだと、今は心の底からそう思う。
辛い時に話を聞いてもらうのも、甘えるのも、くだらない事で連絡をするのも、嬉しい報告をするのも、元気を与えるのも貰うのも、全部。恋人とか、親友とか、そんな関係性の名前に縛られるものなんかじゃなくて、ただ純粋に、信頼出来る一人の人間、なんだと思う。
閑話休題。だいぶ話が広がりすぎてしまったけれど、アッシュと英二のあの関係性を見て、改めて、くだらない名前を付けることに意味なんてないんだな、と思いながら、私は大好きな人間たちのために生きていきたいな、などと大層なことを考えてしまうのだ。

追記 なので私は、友人たちと遊びに行く全ての日はデートだと思っていますし、いつでも友人各位を甘やかす準備出来てるので、対戦よろしくお願いします。


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