ともに、ということ。【1】
私はこれまで何度も、横木淳平さんが提唱する“介護3.0”を熱を込めて語ってきました。
2023年、幸運だったと感じるのは、私が暮らす香川県で、三豊市と「瀬戸内暮らしの大学」が連携し、横木さんが講師を務める“くらしのライフセーバー講座”が開催されてきたこと。
“横木マインド”に触れる機会が定期的にあったことは、1月から介護現場で新米介護士として仕事を始めた私にとって、講座を受けるたびマインドセットされたし介護にまつわることを熟考するとてもいい機会になっていたので。
一方、何事もそうだけれども、ひとりのパワーでなされてきたことはないんだよな、と思います。“介護3.0”も、“くらしのライフセーバー講座”も。
もちろん横木さんというスペシャリストがいてこそなのだけど、出会いがあって、横木さんに触発されたり共感した人(たち)がいて、その人(たち)自身の個のエネルギーとかチカラとかが混ざり合ったり加わったりして、“よりいい”状況が生まれているというのがもうひとつの大きな事実。
主語が複数になることで生まれるものや共創されるものがある。“よりいい”になっていくということ。
大阪の金児さん
“くらしのライフセーバー講座”の檀上には、横木さんと常に金児大地さんがいました。横木さんが栃木からまずは大阪へ。そこから毎回金児さんとともに香川県まで来ていたのです。講座のファシリテーターを務めていた金児さん。会場のちょっとした緊張感をほぐしてくれたり、横木さんの説明を違う角度からみて横木さんに問いかけてくれたり。
ただ実際、金児さんについて私が知っているのは、理学療法士で介護事業を幾つか経営していて…というところまで。
10月講座終了後、懇親会の席にて
(横木さん)「向田さんに取材してもらったらいいじゃないですか、金児さん!」
(金児さん)「ぜひぜひ来てください。いろいろ案内しますから~」
(向田)「行きます、行きます!」
という会話を経たことから11月29日、金児さんへの取材がポン!と決まります。
“くらしのライフセーバー講座”は(一社)地域包括ケア研究所※が協力している事業。そこには研究所メンバーで奥知久さんという家庭医の名前も。奥先生はコロナ禍盛りの時期『KISA2隊※』の大阪事務局を自身のクリニック内に開設、事務局長として仲間とともに活動しています。KISA2隊の介護現場でのクラスター支援に横木さんが入っていたとはSNSで知っていましたが、横木さんを大阪に呼んだのが奥先生。金児さんと横木さんはそこで出会っていたのでした。
11月29日(水)10:00 familink
香川からは高速バスで大阪へ到着し、シティバスに乗ること少々。下町のような雰囲気のある大阪市鶴見区に金児さんの会社・familinkはあります。取材前に金児さんが自社の資料や以前受けた取材記事を送ってくれていたため、どんな会社で金児さんのライフヒストリーはどんなものなのかある程度把握できていましたが、実際に話をじっくり伺うと驚きばかり。聞けば聞くほど濃い話が湧き出てくる。そんな感じ。
会社設立は2015年。現時点での介護事業はデイサービス、ケアプランセンター、ヘルパーステーション、訪問看護ステーション。また、施設紹介事業、美容事業(脱毛サロン)に、2023年は関連企業として株式会社familnk createを設立しています。
ー大学卒業、理学療法士(以下PT)の資格を取って、病院勤務を経て鶴見区の訪問看護ステーションへ転職したんですよね。
そこで営業の仕事をしたんですけど、思いのほか仕事が頂けた。でもそれって僕のスキルが高いのではなく、まだこの世界に営業なんていらない時代だったから。“病院で見る時代”から“医療職が外に出向いていく時代”への転換期。でも当時はまだまだ患者さんを待っている医療関係者が多く“攻めていく”人が少なかった。僕は待つのではなくどんどん動いていたんです。営業に出たら常にケアプランセンターを行脚して事業所に帰るようにして。「〇〇さん元気でした」とか「今日はこんなんで…」って会話をして帰る。するとタッチポイントが増えて「あぁ金児くんちょうどよかった。実は…」と仕事の話を受ける。
ただ僕はPTとして2年目のときにそれを経験していて、ギャップがあるんです。PTとしてのスキルは低いけど営業のスキルはある。仕事の評価はされるけどPTとしてのアイデンティティが揺らぐんです。そういった仕事での悩みを相談し続けていた先輩ケアマネさんと勉強会「手つなぎ会」を立ち上げることにしました。その勉強会のケアマネさんたちに様々なことを学びましたね。大人として、社会人として。たとえば名詞の出し方や"交流会に行ったらインパクトが残るようにこうしたら良い"とか。人生経験豊富な40代くらいの人たちがいろいろ教えてくれました。介護保険の草創期。他の仕事をしてきた後にケアマネを始めたという人が多い。さまざまな経験を持っているケアマネさんが多かったんです。
ローカルを大事にしている理由
ー社会に出てすぐに人生経験を積んでいた人たちに出会えた。
そうですね。経験豊かな人たちが可愛がってくれた。勉強会があったから起業を決意できましたし、やっていけるなと感じられたんです。可愛がってくださるケアマネさんが複数いらっしゃり「金児くんがやるなら応援するよ」と背中を押してくれたことは、とても勇気づけられました。
顔が見える関係性だからつながって仕事も生まれていくんだなと、これまでずっと実感してきましたし、僕がローカルを大事にしている理由もそこにあるんです。
これからはローカルを大事にしつつ、これまでの経験やノウハウを地方へ伝えたいと思っています。やっぱり大阪はすごくレベルが高い。事業所の数もお客さんの数も求めてくるものも。そういった環境で鍛えてきたノウハウは地域でも活きるだろうって。
ーたしかに大阪なんて、ものすごいライバルでしょうね。数も質も。でもそのなかで会社は成長してきた。最近では訪問看護も美容事業も始められて…ですもんね。
読む、捉える、取る、考え続ける。
介護事業で成功するのってそんなに難しいことじゃないはずなんです。高齢化社会ですから、働く人を大切に、正しいことを正しく運営できれば必要とされます。
介護保険のルールはきちんと提示されているし、社会保障審議会の国の今後の改定の流れも逐一報告があがってくる。その情報を逃さない。新情報は即日チェックしてトレンドを追う。それだけで十分に次の施策が見える。国がなにをしたいかを読み取る。トレンド、社会情勢をつかむこと、世の中の流れにのっているかを勘案して自分たちはどれくらいのところを攻めていくのか考えていくこと。もちろんやりたいことや理想はありますが、世の中の求めることと整合性がとれたところにニーズはあると思うので、そこまで考えて。自分たちのやりたいことを押しつけてもうまくいかない。そこは経営者として絶対に考えなければいけない。
思いと戦略の両輪
自分たちが時代に合わせていく。情報をとりつつ軽やかに変わっていくのはマストなチカラだと思います。経営者が現場に立ちながらという事業所が介護業界には多いですが、現場業務との並行での経営はすごく大変です。でも、情報をつかんで変えていくのは経営サイドにしかできないこと。そこは敏感に反応していくべきだと思ってます。
僕は知り合いの社長に「思いと戦略は両輪で回せ」と教えて頂いて以来、それをスタッフに伝え続けているんです。思いが強すぎると、うまくいかなかったときに結果的に利用者さんに迷惑をかけてしまう。継続できる仕組みが求められる。だから思いと戦略は同じ大きさの輪であるべきで。でも、介護業界は戦略が小さい事業所が多いなって感じます。“〇〇したいんです”って思いが大きい。自分がハードワークして倒れ、経営に影響するという悪循環に陥りやすいのかもしれません。
ー確かに、福祉の仕事をしている人たちはみな優しく、思いが大きい。大切なことではあるんですけど、理想と現実の乖離がありますよね。
金児さんが経営で特に大切に考えていることはなんでしょうか?
絶対人から
familinkという言葉に乗せていますが、人とのつながりであったり、家族に受けて欲しいサービスを、というところを大事にしているので絶対人から決めていきます。この事業をやりたいから人を募集するんじゃなくて、人と出会う場所をつくって接点を増やしていくなかで、新たにマッチした事業、かつ利益性がきちんとあって継続できるものから選んでいく。この人を信頼してこの人が中心になってやってくれるのだから大丈夫と。なぜその事業をやるのか理由を説明できるかどうか。そこだけは外しません。
トキメキMAP 表テーマと裏テーマ
ー事業とは別にトキメキMAP※というのも作成されていましたね。
あれは転換点にもなったので本当にやって良かったです。コロナ禍で確かにバッシングもあった。“30代、40代の若者が集まって何しとんねん。そこで飲み会やってクラスター起きたらどうすんねん”と。でもだからこそやるべきだって。人がやらないときにやることが価値がある。あと、僕が思ったのが、やはり医療・介護の世界はもっとまちに溶け込むべきじゃないかということ。コロナで分断されたこのタイミングにチャンスがあるのではないかと。逆に言うと、そういう圧力がかかった時こそ介護がまちになじんでいくのを推進することができるのではないかと。鶴見区でふだん僕たちが利用しているお店を支援しようというのは表テーマ。裏テーマとして、”介護をまちに溶け込ませること”を考えていました。ここで一気に地域の人と近い距離になれたら、介護に関することは「金児に聞けばなんどかなるだろう」って思ってもらえるだろうって。通常の仕事の傍らだったんで、かなり大変ではありましたが。
―エネルギー切れなかったんですか?ニュースでは圧倒的に“外出るな”のトーンのなかで。
使命感みたいなのがありましたね。“今やったほうがいい。ここで頑張ったほうが絶対今後につながるだろうな”って。実は“コロナ元気体操”というのをMAPを企画する前にやってるんです。勉強会に企画を投げて皆でつくって、介護事業所などのメーリングリストに送りまくりました。そしたら「おもしろくない?」って少し話題になったんです。引きこもりがちな方に使って欲しい一心だったんですけど、思ったよりは使われず、力のなさを感じました。
緊急事態宣言が出されたとき「デイは利用しないでくださいね」「一週間営業を止めて。クラスター起きたら大変なことになるから」となりました。確かにそうですが、僕らは困る。その後、国の施策で一時的にデイの事業者が利用者さんの自宅に訪問してサービスを提供してもOKになりました。うちの会社にはPTがたくさんいたので、訪問リハみたいに切り替えて事業を継続しました。そのことをデイのブログに書いた。この特例、特定加算について、どう加算を取るのかとか、どう運営しているのかとか細かく書いたんです。
(ブログを見せていただく)
ーわー、けっこう書かれていますね!金児さん、アウトプットされますね。
はい。意識してますね。その経過報告をすべてブログに書いて会社のサイトにもつながるようにして。そしたら北海道とか沖縄とかから「教えてください」と電話かかってきたんですよ。「地域・行政によって異なるのでうちの場合は…」と答えていったたんですけど、ふだんなら1日5人とかの訪問アクセスが、何千人ものアクセス。Twitterからもバンバンアクセスがあって。
この経験の後の”コロナ元気体操″。近くの人たちには喜ばれたのですが、広がらなかった。やはり介護だけの業界でやっていてはダメなんだって。狭い世界だけでやってるから一般ユーザーに届かないし広がらないんだなって気づきました。なのでトキメキMAPはかなり仕掛けづくりをしたんです。先ほど話した、思いと戦略。戦略がなかったら自己満足とか見内だけのものになってしまうので、いろいろ考えました。結果的に僕の活動を知ってもらう機会になったし、ローカルを盛り上げることに思いがグッと入りました。ここからKISA2隊へのつながりもできたんです。
やって判る、得手・不得手
やりきった先の自己理解
ー世界観が広い。
それは僕がもともとPTとしてダメだったからかもしれないですね。プロフェッショナルな専門家の方向に進んでいたら多分もっと、そっちを突き詰めていると思うんです。
営業という仕事をして“僕の得意なところってここにあるんだ”ってよくわかった。で、本を読んだりセミナーに参加したり講演会で話を聞いたりと、営業の勉強をしっかりしたことがうまくハマり、PTの仕事にもつながっていきました。説明スキルが高まったし、PTに関する勉強の捗るようになった。物事が立体的に見えるようになって、手応えがありました。結果、PTとしての専門性をどんどん高めていくという方向には僕は向いてないってことがわかった。でもそれはやってみないとわからないこと。ちゃんとやってこそ分かった。だから振り切れたんです。僕はマネジメントや経営、営業が得意だってハッキリわかったので、他の事は他のひとにお任せすれば一番効率がいい。やり切った先に自己理解が深まるんですね。
ー「やり切った先の自己理解」。なかなかそう言えないです。
葛藤していましたが「もういいよね」ってところまでやり切れたという自覚がありました。プレーヤーとしてやるのも楽しいんですけど、自分が長けたところに集中したほうが社会貢献できるなと腹落ちすることができているんです。
ーやると同時にすごく考えてもいたのでしょうね。文章にするというアウトプットもまず考えることからですもんね。
はい。アウトプットには責任が伴う。迂闊には言えない。だからこそ考えるクセはすごくある。「なんで?」って。すべてにそう思うクセをつけていこうってスタッフにも言うようにしています。なんとなくやっていることに人の心は動かない。間違ってもいい。結果的にそれが思っていたことと違っていてもいい。意思のないものに修正するチカラは働かないですから。
MAPからのKISA2隊、奥先生、横木さんとの出会い
ーそう感じられるのは、タイミングよく必要なときに必要な人と出会って、きちんと吸収してきてアウトプットもしてきたからこその境地なんでしょうね。
タイミングの良さは引き寄せてくるものと思っているんです。待っていてもタイミングはこない。タイミングよく動いているかどうか。その準備ができているかどうか。
奥先生との出会いもそうです。
川畑先生という知り合いの先生が「奥先生ってすごくいい先生だよ。KISA2隊で絡んでて」と紹介して下さったことがありました。川畑先生は同じ鶴見区にある「ひなたクリニック」を経営されている先生。ちょうどトキメキMAPづくりの打ち合わせをしていたカフェでバッティングしたことが川畑先生との出会いなんです。「何やってるの~?」って興味を示してくれて、説明しました。「面白そう。今度話しようよ」っていったん別れて。その後、川畑先生が「実は僕大阪でKISA2隊というのをやっていて、コロナで大変なところを支援する活動をしていて…」と。「僕も何かお手伝い出来たら嬉しいです」と答えました。このときに奥先生の話を聞いて。で、実はうちのケアマネ・堀江が奥先生と仕事をしていたんです。ケアマネをしている利用者さんが奥先生のところに通院していて。「奥先生と今度お会いするんです」って堀江が言うから「僕もお会いしたい」と堀江と一緒に行くことに。僕は奥先生には何かプレゼンしないといけないなと思った。一瞬で終わらせてはいけないなって。奥先生って独特の雰囲気を持った人じゃないですか。
ーはい。
オーラがめっちゃある。関わった人が変わっていく瞬間になるような人というか。僕はそれを凄く感じていて、奥先生に会うときは自分のことや活動に関するプレゼンをしようと決めていた。トキメキMAPのプレゼン資料をおく内科に持っていったんです。そのとき、患者さんがいない時間だったので中に入らせてもらってプレゼン。「僕自身PTで会社をしていて、こんなことしていて、こんなMAPつくっていて…」と。そしたら「すごい面白いやん。そのMAP、(おく内科のある)旭区でもやってくれへん?」と言って下さって「ぜひやりましょう」。次の日だったか、奥先生から「KISA2隊っていうチームがあるんやけど、金児くん入りませんか?」と電話がかかってきたんですよ。入りたいけど、隊員には医者しかいない。
「僕、PTですが何ができるんですか?」「クラスター支援チームという介護施設を支援しているチームがあるんやけど、マネージャーがいない。そこを金児くんやってくれませんか?」という話。「ありがたいですし、やりたいです!」。その次はもうミーティング。しかも幹部ミーティング。隊長の小林先生もいれば奥先生はもちろん、重鎮揃いのなかで「金児さんです」って紹介された(笑)。僕はまだクラスター支援なんてやったことがないのに、です。「大丈夫、できるから」と奥先生。ならばとりあえず現場の空気を吸ったほうがいいなと。デルタ株で、大阪でもクラスターが日々起きていた2022年7月。たくさんの人が亡くなっていた時期で、ニーズが高まっていました。だから僕は「とりあえず現場行きます!!」。
そしたら奥先生が「あ、実は横木さんという方が明日大阪に来ます」と。「栃木から1週間泊まりこみで来ますよ」って。「金児さん、横木さんとも合流して一緒に動いてくれませんか?」「もちろんです!」と答えました。
そして横木さんとキバコさんと毎日クラスター行脚するんです。僕は会社の経営もある。毎日19時とか20時とかに会社に戻って仕事する。横木さんがいる間はずーっと帯同、ノーギャラ(笑)。みっちりやりました。一週間もやると、何が課題なのか見えてくる。横木さんの立ち回りのうまさも、キバコさんの現場を鼓舞するチカラとかも。
ーキバコさんとは?
看護師の増井冴子さん。キバコという会社を立ち上げクラスター支援に奔走した方。KISA2隊でクラスター支援を一番にやっていたんです。横木さんがクラスター現場に入ったことで、ノウハウができた。そのノウハウを増井さんが受け継いで。そこで僕と横木さんの関係がしっかり構築されましたね。
ーいきなりの出会いで一週間密着、超濃厚だったんですね。
はい。おく内科に横木さんが寝泊まりしていて、僕は毎日おく内科に横木さんを迎えに行き、一緒に施設に行く流れ。僕の家がおく内科にわりと近かったので、その日の支援の最終現場からおく内科に横木さんを送り届ける。帰り道はずーっと介護談義。もうめっちゃ贅沢な時間でした。横木マインドを一気に知ることができましたから。
帰りの車で横木さんが「金児さん、どんなこと思って経営しているんですか?僕は介護3.0というのを提唱していて…で、こんな本を書いてて…」って。僕はそれを読んで次の日横木さんに返して感想を伝えたり。
ーそれまでは全く横木さんのことは知らなかったんですよね?
全然。「初めまして」「どうも横木です。お願いしまーす」って(笑)。でもあれだけ濃厚な日々を過ごせば、だいだいもう親友みたいな仲になれますよね。横木さんも僕もマインドが近い。利用者さんを軸、真ん中に置いて考えていることと、あと横木さんはプロフェッショナルとしての意識がすごく高い方なので、プレーヤーとして利用者さんとどう向き合うかをめちゃくちゃ考えてて、僕はそれをどう仕組み化するかを考える人。だから立ち位置は違うんですけど、僕のポジションから見たら「こうやったらうまくいくよね」って提案を横木さんにして「それ、面白いですね」みたいなやり取りをしていた。
KISA2隊としてはそのクラスター支援チームに関わらせてもらった後、11月からは夜間往診支援チーム・暁KISA2隊というコメディカルの統括をやらせてもらったんです。看護師さん10人を束ねさせてもらって。かなり勉強になりました。コメディカルを“下”と見ない、ちゃんと並列してプロとして見てくれるKISA2隊の、その懐の深い組織に入らせてもらったからこそ展開できたって思います。僕も物怖じせずに意見することができました。
ー様々な濃い経験をされてきたなかで、これからの経営について考えていることはなんでしょうか?
フェイズの変化
どんどんフェイズが変わってきました。PTとして患者さんを見ていた。それがもっと広い視野で見たくなって、自分が会社、チームをつくって、少しでも自分のまわりにいる人たちを支えていこうと思った。そして、僕はそのチームの人たちが成長するのを見ることにものすごく幸せを感じられるようになりました。僕が言わずとも、僕が言ったことがその人たちのフィルターを通して他の人たちに広がっていって。あとはもう、スタッフたちがもっと豊かになれるような仕組みづくりをして、気持ちよく働けるかどうかです。夢を持てるかどうか。ポンと背中押せるようになるための戦略が要る。それを考えていくのが僕の仕事。最近では美容とデイサービスを掛けるとか、飲食をどう掛けるかなど、介護以外とのシナジーっていうのをずっと考えています。スタッフが育ったゆえに仕事がスライドしてきました。「金児さんがそう考えているんだったら、自分はもっとこうできそうだな」などと考えてくれるスタッフに応えないと。僕はアイデアを出すための材料をいっぱい持ってこれる人にならないと、と思っていて。
ー福祉関連の取材を続けてきて、ある人が「これからの福祉に大切なのはwithだよ」って教えてくれたんですけど、ホントそうだなって。金児さんの事前情報を見ても思いましたし、こうして話を伺っていると、やっぱりそうだなって感じます。変化していこう、楽しんでいこうって。変化するのは大変だけど楽しい。
そうなんです。スタッフが辞めてしまった時期もありました。でもまたいいスタッフが入ってくれて循環しています。ちゃんとビジョンを掲げたうえで、筋を通して前を向いていれば、ついてきてくれる人は必ずいるし、共感してくれる人も必ず現れる。そうやって進んでいくものなんだなって感じています。“誰かと”というのは僕もめちゃくちゃ大切にしていますね。それがうちの会社の「人から事業を決めていく」ってところでもある。人を大事にしたい。この瞬間この人と一緒にやりたいということを、社会のニーズとマッチさせ、いいサービスをつくっていくことが今やるべきことかなと思っているので。
強さ
そして「つづく」。
取材前、金児さんから「僕のところの取材のあと、奥先生にもアポが取れたので取材できますよ」と連絡を受けていた私。
横木さんはもちろん、金児さんに出会い、こうして深く知ることができたこと。私にとって、とても嬉しいものになりました。この後、奥先生にもきちんと出会えたことで、いよいよ何もかもが繋がってきたというか…。
奥先生の訪問診療に同行させてもらい、同じ時間を過ごしながら話を伺っていったことで、冒頭に述べた「わたしたち」「with」の意味が金児さんの言葉を借りれば“腹落ち”していったのです。人類学という視座を傍らにして。
長い旅路になりそうですが、続きを編んでいきます。どうかまた、読んでもらえたらと思います。
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