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「手」という源泉:ケアと人類学考①の前に。

ものづくりをするとは、手を動かすこと。
意識せずとも、自ずとその人自身がにじみ出る「手」。
だから“好き”も“らしさ”も現れる。

 介護、福祉に関わる現場をあちこち訪問し、場のチカラを感じ取りながらトップの方などにお話を聞かせて頂いてきました。
 と同時に、切り離すことのできなくなった「with」という姿勢、在り方。そして、思考のヒントを与え続けてくれている人類学というもの。

 なぜ人類学なのか?は、おいおい綴っていく予定でいますが、まずは2019年8月に訪ねた「モーネ工房」、井上由季子さんのお話を。

 昨年最後の投稿記事で、「with」という言葉を私は挙げましたが、井上さんのお話にもあったんです。
withが…。

ものづくりやデザインを通したケアの試み

モーネ工房(香川県三豊市)

モーネ工房 井上さん

 香川県三豊市で、ものづくり学校、寺子屋、工房やギャラリーを主宰する井上由季子さん。病院内でのものづくり、デザイン等に関する活動も行っています。井上さんが称する「創造的ケアの試み」について知りたくなって、モーネ工房を訪ねました。

井上さん著書2

 井上さんの著書『大切な人が病気になったとき、何ができるか考えてみました』(2017年)では、「親や家族の想いを看護師や医師にわかりやすく伝えるにはどうしたらいいか」が具体的に綴られ、デザイナーとして関わった病院―四国こどもとおとなの医療センター(香川県善通寺市)でのものづくりに関する活動についても語られています。
 モーネ工房を訪ねる前、この四国こどもとおとなの医療センターに立ち寄りました。

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一言で表すならば「やわらかい病院」…。

 四国こどもとおとなの医療センターは、ホスピタルアートを導入しており、例えば小児病棟の廊下には誰でも受け取ることのできるギフトが入った扉、花、アート作品が並ぶスペースがあります。取材当時の8月上旬、棚に展示されているアート作品はセミとトンボでした。このアート作品に携わっている井上さんは「病院に虫はいませんが、心だけは病院から抜けられるように意図しています」と説明します。

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 外では今、どのような自然が感じられるのでしょう?
 春であれば桜などの花が、夏であればセミが鳴いている。秋なら、冬なら…?
 こうしたアート作品を見て「あっ!」と思う。その瞬間、心は”今の自然“に向かいます。
 変化に乏しい、殺風景になりがちな病院を抜け出して…。
 「“ふつうの日々”を棚に再現できたらと考えているのです」(井上さん)

 様々な工夫 ―“ともに”の姿勢

 親の入院、介護経験をもつ井上さん。病院での工夫や試みは、井上さんならではの気づきやアイデアに満ちています。詳しい内容は、井上さんの著書を読んで頂くとして、そうした経験、実践が病院でのものづくりの活動にもつながっていきました。

 たとえば、家族の気持ちや要望をポスターや張り紙にして掲示する。ベッドのうえで寂しさを感じないように、ティッシュの箱に家族写真を張ったり、家族写真をプリントしたTシャツを飾ったり。それらは自ずと医療関係者とのコミュニケーションにもつながったといいます。
 「母の在宅介護をしていましたが、仕事が忙しく、なかなか会えないケアマネやヘルパーさんに、家族からの要望をどう伝えようかあれこれ考え、ファックスを送り続けていました」
 要望だけではありません。近況報告も含め、細かく送っていたという手書きのファックス。介護事業所はファックスをファイリングしてくれていたといいます。手書きゆえ、より伝わったのかもしれません。そのファックスが、大切なコミュニケーションツールになっていたのです。
 7年半に及んだという母親の在宅介護。
 「ケアマネさんやヘルパーさんとのチームプレーで在宅介護ができました。ともにどうしたらいいか、考えることができました。大切なのは“ともに”という姿勢なんですね」

“好きなこと”のチカラ。自分らしさをノックする

 「親のことも含め、人は病気になっても自分にしかできないこと、好きなことを形にすることの大切さを身に沁みて感じています」
 親というのは、井上さんの、特に父、義母のこと。
 井上さんの母親が介護施設に入所した際、自宅で一人きりになる父を心配した井上さん。当時79歳、趣味がなく、“ヘンコツ”(偏屈)な父によい刺激になればと勧めたという魚の切り紙。紆余曲折ありながらも切り絵にハマっていき、メキメキと腕を上げていったといいます。最終的な魚の切り絵のノートは169冊にも及びました。(詳細は『老いの暮らしを変えるたのしい切り紙』に)

井上さん著書


 井上さんが、父に切り絵を勧めるきっかけになったのは、義母がもともと楽しんでいた、包装紙や他の紙をソックス型に切ってノートに貼る、靴下の切り紙でした。
 同居している井上さんのお義母さんはソックスベアの提案者。これまでに500体以上ものソックスベアを製作してきました。現在92歳ながら、NHKにも出演するほどのパワーの持ち主です。
 そんなお義母さんの”靴下の切り紙“も、主宰するものづくり学校の宿題を見て「面白そうね」と始めたもの。
 「ものづくり学校やワークショップでは、何かを専門的に教えるのではなく、その人らしさを大切にしています。私は先生ではありません。私が感じた本当のことを言葉にして伝えるだけ。感想を言うだけなんです。自分を客観的にみる機会は普段なかなかありません。きちんとカタ通りに進めるのが日本人気質で、カタからはみ出たモノが好まれない傾向もあってでしょう。ものづくりを通し、その人らしさが感じられたらそれを伝える。そうして自分の個性に気づいていくんです」
 井上さんは、「自分らしさをノックするものづくり学校」とも表現します。

介護施設でのワークショップ

 モーネ工房として、これまで、大阪のデイサービスで新聞紙を素材にカレンダーを作るワークショップを定期的に開催してきました。
「『上手にしないと』と職員さんは手を出しがちですが、次第に見守ることができるようになるんですね」
 体の状態によって利用者さんの出来ることもそれぞれ。はさみを持つことができなければ好みの色を選んでもらえばいいと言います。
 「アジサイを作ろうとしたとき、紫色のカーディガンを羽織っている人であれば紫色の紙を選んだり、その人の思い出で切る紙を選んだり、紙の選択にも“人となり”が現れる。心動いたものを人は選ぶ、心のなかでいつも真実を探し、言葉にして伝えようと心がけています」
 ワークショップを終えると「切り紙って心で切るものなんやね」「人それぞれでいいんやね」といった感想が聞かれるそう。
 「まるで絵画のように紙を切り貼りすると思っていたら、昔、絵を描いていた人だったり。”教えない“ことで個性がにじみでてくるんです」

上手でなくていい 個性引き出す新聞活用

新聞紙の色分け

 意識するのは、切り絵ではなく、切り紙だということ。井上さんが切り紙で使用するのは主に新聞紙。
 「新聞紙だと色むら、模様、色使いも様々。新聞紙は柔らかいため手でちぎれるのもいいんです。手を動かし慣れていない人も入りやすいのが新聞による切り紙です」
 例えば、スイカの切り紙をするとなった場合、「スイカに見えなくては」と、あるいは「上手に見えなくては」と、スタッフは手を出してしまいがち。
 「『うまいね』『きれいだね』といった声掛けは、実は見ていないからこその言葉だと思うんです。手助けしてしまうと、みな同じものができてしまうんです。施設の管理栄養士がスイカの作品を見たとき『美味しそうな色やね』と言葉を漏らしたのですが、それは作品と真剣に向き合ったからこその言葉だと思います」
 “みな同じものができてしまう”。
 普通の色紙であればなおさらで、それが高齢者施設で言われがちな“幼稚な印象”にもつながっているのかもしれません。
 色紙は、色の数に限界がありますが、実はバリエーション豊かな色があるのが新聞紙。様々な人生経験のある高齢者が、豊かな表現の切り紙をするのに新聞紙はとてもいいのだそう。
 デイサービスでは作業療法士的観点で、新聞紙の色分けトレイを作り、色分けを利用者がしていたり、色の分別もわかりやすい表示があったりと、井上さんが驚く工夫も多かったといいます。
 これまで色紙で作成していた施設の壁画が、新聞による切り紙の作品に変わりました。利用者の人たちの腕が上達していき、感動してしまうほどの壁画になっていきました。
 「ワークショップを開催する先々で、「『利用者(患者)さんへの言葉がけが参考になります』とよく言われるんですよ」と井上さんは話します。
 「私が感じた本当のことを言っているだけなのですが、上辺だけの『きれいですね』『上手ですね』ではなく、ここがこう思った、などという本当の言葉こそが届くものなのでしょう」

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切り紙によるカレンダー 

 井上さんのアートを通した取組み。それは“ともに”という姿勢を外すことなく、相手と自分とを行ったり来たりするコミュニケーションとしてのアート、あるいはデザインの活用です。
 「病院等でのものづくりやワークショップの活動には得るものが多くあるんです。自分の知っている範囲内だけで活動していたら、あのような(四国こどもとおとなの医療センターにある)作品は生まれなかったと思います。気付かせてもらうことが本当に多いです。医療センターにはいろんな人が関わっています。ボランティアとしてサポートしている人も多い。ともに喜び、感じあえる場。勉強させてもらっています」

 豊かさとは、“ともに”というところに存在、あるいは育まれていくものなのかもしれません。井上さんの話を聞きながら、私は思いました。
 気づきの多い場所には、豊かさの欠片が散らばっているのかもしれません。あるいは、気づきの多い人には、豊かさのセンスが詰まっているのかもしれません。
 井上さんの試みる創造的ケアとは、ものづくりを通じた、その人らしさの表現、また、人との豊かなコミュニケーションそのものなのでしょう。

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今回、記事を更新するにあたり、井上さんの著書を再び手にとり読みました。
やさしい気持ちがフッと降りてくるような、気持ちがそっと持ち上がるような心地よさが井上さんの著書にはあるのです。

そして私は、医師の稲葉俊郎さんの言葉を思い出していました。
『ころころするからだ この世界で生きていくために考える「いのち」のコト』で綴られていた文章です。

ケアとは難しいことではない。「大切にする」という意味なのだ。
日々、人のいのちを育む土台となるのは、あくまでもケアであり「大切にする」というシンプルなことだ。
そのことを愛という言葉で誰かが呼んだのだろう。

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