“探求する”―問い、を手元に
西田卓司さんを知る
「やりたいことなんてなくても困らないし、自信もリーダーシップも主体性も不要だし、ただ、自分が溶け出せる『場』があればいい 西田卓司」
これは、友人のnote記事で引用されていた言葉です。読んだ瞬間、ハッとしました。
西田さんて?
すぐさま引用元をクリック。西田卓司さんの言葉に、私は「あっ!」。
「場のチカラって言ってる!!!」
しかもです。
西田さんのblog(読書日記 20代の宿題)を読むと、また驚きが。
私が読んできた本、読もうと思っている本をことごとく読んでいる!!!!!
たとえば
『手づくりのアジール-土着の知が生まれるところ』(青木真兵)
『手の倫理』(伊藤亜紗)
『パターン・ランゲージ』(井庭崇編著)『クリエイティブ・ラーニング』(同)
『後ろめたさの人類学』(松村圭一郎)『これからの大学』(同)
内田樹さんの著書多数…etc
西田さんにお会いしてみたい~!!!
前座:場のチカラ ケアと人類学
私は「場のチカラ」を問い続けています。
まずはそこから。
きっと「場」というものの可能性を信じているのだろうって思います。場は空間ありき、人ありき。
すなわち、空間というもの、人という在り方の“betterな在りかた”“よく生きる”を探求しているんじゃないかって。
私が「場の力」という言葉を知ったのは、2008年の頃。
高校野球・甲子園が大好きな青春時代を送った私。大学生になり、泊りがけで甲子園観戦に出かけるようになります。お金に余裕がないため、夜行バスで東京と大阪を往復。夜は大阪・釜ヶ崎の安宿へ。釜ヶ崎は「治安が悪い」と言われるらしけど私にとっては便利だし、宿主のおっちゃんも親切だし、雑多な雰囲気は嫌じゃなかった。
どこかのタイミングで、釜ヶ崎にゲストハウスがあることを知り、興味をもって泊まってみることにしました。そのゲストハウスで「ココルームってところでご飯食べられるよ」と聞いていったのが事の始まり。
私の隣でご飯を食べていた“おっちゃん”が言ったんです。
「ここ(釜ヶ崎)はカオスやで」って。
カオスという言葉に強い衝撃を覚えたのでした。
過去の自分のブログを追うと、次のように綴っていました。
ブログの日付は2009年3月9日。この2日前、私は大阪へ行っていました。
下記のシンポジウムに参加していたんです。
なぜ「場所の力」という言葉に惹きこまれたのか。
それはきっと卒論から。
私の大学の卒論テーマ(2004年)は甲子園・高校野球。
地域社会、まちづくり、コミュニティ…といった言葉に深い関心がありました。
そもそものきっかけが「なぜ、高校野球(甲子園)ってこんなに盛り上がるの?」「郷土愛って何?」という疑問を抱いたから。
高校野球を通した地域の盛り上がりにすごく興味がありました。
社会学的観点からあれこれ分析したり、フィールドワークをした結果、甲子園は祭り。祝祭空間だと。
(甲子園、高校野球によって)「コムニタスを体験し、自己の再活性化を果たすことができる」と卒論で結んでいました。
要は、高校野球は「人を生き生きさせる装置」なのだと。
いま思うと、非日常、祭り=そもそもの「場のチカラ」が強い甲子園。まちの成り立ち、背景、建ち並ぶ安宿ゾーンということからも、釜ヶ崎も「場のチカラ」が強いんですよね。
それを肌で感じたから、私は釜ヶ崎の宿に通い続けていたのかもしれません。
その後、私は介護・福祉に関する業界紙の記者になりました。
地方の隅っこに建つ多床室・独特の匂いがこべりついた特別養護老人ホーム、病院みたいな味気ない老人ホーム、それらとは全く異なるホテルみたいな高級・豪華な老人ホーム、古民家を活かした宅老所、喫茶店みたいなデイサービスまで多種多様、全国の様々な「お年寄りが暮らす場、過ごす場」を訪ねてきました。
訪れた瞬間に「ここは(いい)!!」と感じる施設があります。場の佇まいから「間違いない」と思える施設もあります。
肌感覚の良さ、と言えるでしょうか。
心地よさとは、身体性。偽りのない感覚です。
その感覚を私は「場のチカラ」と表現しているのですが、ここでの「場」は、単なる場所のことを意味するのではなく、その場で行われている人の営み、そこに存在する自然も含んでのものです。
そんな場のチカラのある現場を取材したり、施設(現場)そのものに「いい建築」を感じることができたらそれはもう、たまらない感覚になってしまうのです、今も。
一方、病院みたいな単純な設え、会社の寮を改修しただけのようなの施設でも、温かみで満ちたケアの現場もたくさんありました。
茨木県にあるコンクリート造で古い特別養護老人ホームの施設長の言葉。
「“ここにきて良かった”と思ってもらいたいんです。地味だけど(入所者の言葉に)耳を傾けているスタッフがいます。入所者は”自分を大切にしてくれている”ことを感じているでしょう。入院したとき『自分の場所はあそこ(施設)だ』と言ってもらえたら…。戻りたいと思える場、そうが言える場がいいですよね。
利用者を真ん中に置こうって。そうすると建設的に話すことができる。そこから“今欠けているものはなに?”と話をしていく。4人部屋であっても、個別ケアを、心のケアをする。一人一人をきちんとみようって」
この特養は、最寄り駅からタクシーでなければたどりつけない田舎のホームですが、毎年行われるバザーには1000人以上が足を運ぶという、地域に根付いている特養です。
施設長は言います。
「在宅に力を入れないと地域に根ざさない。困っていることは地域にある。それをきちんと拾うこと。そうすれば行政ともケアマネともつながることができますから」
取材を終えたあと、往路と同じタクシーの運転手によって駅まで戻ったのですが、バザーの話を振るとこう言っていました。
「バザーは運転手同士で仕事をさぼっていくよ 野菜も安いしね」
この施設が地域に根付いている証拠でした。
ケアと人類学
ケアの仕事は、人類学の態度、姿勢そのもので、実践だと言うことができるのでは?思うところがあります。
それは、人類学者、ティム・インゴルドの言葉―“他者を真剣に受け取ることが私の言わんとする人類学の第一の原則である”を受けてです。
インゴルドの別の言葉。
「人間とは、応答的存在である」
と述べたのは哲学的人類学者 トーマス・シュヴァルツ・ヴェンツァー。
西村佳哲さんは『自分の仕事を考える3日間』(弘文堂)で、大南信也さんへのインタビューを終えたあとのテキストで、「人間は、目の前にいる人間の存在感に必ず呼応する」(P57)と述べています。」と言っているように。
”応答”とはすごく深いもの。
西田さんの「場のチカラ」については下記のURLを。
めちゃくちゃ面白いですし「なるほど~!!!」でしたから。
ここで西田さんが述べている「場のチカラを高めるには『チューニング』という手法があるのでは」とも、つながっていくのかなと思います。
本編:風舟へ 西田さんを訪ねる 新潟県阿賀町
さて。
そんな西田さんが現在営んでいるのが新潟県にある『風舟』という本屋、カフェ、コワーキングスペースという複合施設です。
“会う”と“行く”の機会は2022年12月29日に訪れました。私の暮らす香川から新潟だとアクセスに難儀だけども、実家に帰省する年末年始―埼玉からなら新幹線と在来線の組み合わせで日帰りで行ける!西田さんに連絡をとって、私は風舟へ向かったのでした。
風舟があるのは阿賀町という新潟県東部、福島に近い町。およそ9,800人の暮らすまち。最寄駅は津川駅で徒歩25分ほど。営業開始は13時とありました。
津川駅着12時31分の在来線に乗って、てくてく歩いていけばちょうどいいと思っていたのですが、この日たまたま、西田さんは仕事で風舟を訪れる人―私と同時刻の電車に乗ってくる”町田さん”のお迎えをするとのことで、西田さんの車に同乗させてもらえることになりました。
西田さんのプロフィールと現在の肩書を。
チャーハンとアジフライ
西田さんが車を走らせて数分。「ちょっと待っていてくださいね」。戻ってきたその手には、何やらテイクアウト品のよう。雪交じりの雨降るなか、5分ほどで到着しました。開店準備をしているスタッフの姿が見えました。
「失礼しまーす」
ひらけた空間。本棚を覗きたくなりますが、その前に…
「食べましょー!!!」と西田さん。
さきほどテイクアウトしたのは、みんなでご飯を食べるためだったんですね。
タッパーにギュッと詰まったチャーハンとアジフライがテーブルに並びます。
女性スタッフが…2名?1名は聞けばなんと中学3年生で、彼女から「ブックソムリエ」の名詞を受け取りました。彼女の弟も来ていて、西田さんと町田さんと私、5名で雑談しながらチャーハンとアジフライを囲むひととき。
もう十分に、なんだか場があたたかい。
「ごちそうさまでした!」
開店準備を進める西田さんの手が空くまで本棚を眺めます。
「あの~これ、面白い本だったので読んでください!プレゼントします!
ブックソムリエの彼女からギフトを頂いたのでした。
コワーキングスペースで
心地いいコワーキングスペースがありました。窓をのぞけば、一本道を挟んだ目の前が「津川温泉」。
温泉浸かって風舟でゆっくり本読んで…。そんな休日が過ごせたら最高です。
始めましょうか~
西田さんを訪ねた理由と、本について触れます。
余白を増やすー周辺―
(向田)西田さんのブログは私にとっての「読書灯」です。ブログに書かれていて読んだことのなかった最近の本で言えば、『誰が国語力を殺すのか』。ショッキングな内容でしたが、ホントに読んで良かった本でした。
(西田さん)あれ、ショックでしたね~!!
(向田)教育について、西田さん最近のツイートで「教育を変える」のではなくて「教育の余白を増やす」ってことなのかもねって呟かれてましたよね。すっごく頷けました!
(西田さん)以前、求人記事を書いてくれたライターさんと話していて、気づかされたことがあったんです。僕はジャンルで言えばいわゆる教育分野に10年以上関わってきて、いつの間にか「アンチ教育」というか、学校的な「目標設定・達成」に対する違和感が重なっていき、僕の表現が「学校じゃない」「学校なるものに対抗する場」になっていたんです。
学校もあっていい。ただ“まわり”がなさすぎる。(やりたいのは)その周辺をつくる仕事だなって。目標へ向かっていっても全然いい。だけど余白が必要なんだと。とはいえ、「周辺」というのは目的がないぶん効果がわからない。やってもすぐに成果があがってくるわけではないから難しいんです。
(向田)たしかに…
私が西田さんのツイートで「あっ」って思ったことがあって。
地域は存在するけども、そこには“学校”“家庭”(スーパーなどの)“目的としての場所”というものにしか文脈がないと感じたんです。学校から帰るとみんな習い事。子どもたちの遊ぶ姿はめったに見られない。親も仕事で子どもは多くが学童。スキマ時間はスマホやゲームで埋まってしまう。そこに西田さんの仰るような“ワクワクするような予測不可能性”はないんじゃないの?もっと自分の暮らすまちを先生も子どもも大人も交えてフィールドワークするとか、学びあいをする直接的な機会が地域にあればって思うんです。
(西田さん)そうですよね。茨城大学でキャリア支援などに関する仕事をしていたとき、国立大学の文系の学生たちがあまりにも他者からの評価で生きてるなと感じました。みんないい子なんですよ。だけども大学に入った瞬間から、もう誰もほめてくれなくなる。なんのために勉強しているのかわからなくなっちゃうんです。すごく深刻だなって実感しました。それは同時にアイデンティティの問題でもあって。“自分”というものをどう認識していくか、どうつくっていくかがテーマでもあるんです。
授業などがオンラインになってから、大学生のまわりに余白がなくなりました。雑談しないので。信じられないくらい高額のキャンプに行くんですよ。7泊8日で8万とかするキャンプに。経験があまりに足りないから「経験したい」と。そんなビジネスもたくさんある。
(向田)今はそういう“設定されたもの”がないと動けなくなってしまっているんですよね。大学のサークルや音楽をやっていたりする路上空間とか、勝手に何かが始まったり発生したりする場。少し前まではそういう場があちこちにあって、行けばもう始まったりしていて、巻き込まれていたり…。
つくる、へ向かうギャップ
(西田さん) そうですね。Zoomは、学生は時間ジャストにならないと顔は出さないし、言葉も発しない。それを身体化してしまっているんですよ。最小限のコストで最大の価値を得る、みたいな。これはヤバいなと。
高校生と活動していて思うのが、いかにギャップを…。いろんな意味がありますけど、隙間だったり余白だったり。ギャップをいかに新しい“創造”―つくるほうに活かしていくかっていうのが僕自身のやりたいこと。つくるためのギャップ。「ギャップ」という言葉にいろんな意味を込めたいんだけど、今「ギャップ」って言葉しかない。できれば日本語にしたい。全然浮かばないんだけど(笑)
(向田)「オルタナティブスクール」というのも、別の言い方がないかなって思ってます。徳島のフリースクール「トエック」という場所があるんです。長野にある風越学園もそうですけど、別にオルタナティブスクールじゃない。なんでもかんでもネーミングされてしまう。名前を付けて固定化されることになにか苦しさを感じるんです。そこからはみ出る=ダメという図式がある。それを肯定できる何かがないと「あの人変だよね」で終わってしまう。
(西田さん)高校の話で言えば、(地元にある)麒麟山酒造の社長が阿賀黎明高校をすごく支援してくれているんですけど、「麒麟山の米づくりを広めたい」と話しているんです。全量地元産の米で酒造りをしているので、すごくいいお酒なのですが全然知られていないから広めたい。広報活動ですね。高校に関する活動も、本屋もそうなんですけど、いいものを誰かに売るのが僕好きなんです。営業向きな性格なんでしょうね。
出版社の営業をしていたときに気づいたんですけど、僕らは本屋に行って本を読むと著者に触れた気になります。本当は著者の次に編集の人がいる。編集されて本ができて、次に営業の人。営業の人が本屋さんの書店員に「こういう意図でこの本は作りました」と話す。それを聞いた書店員さんが本をお店に並べる。そしてようやく僕らの手元に本が届く。営業の僕は第三走者をしていたわけです。その感覚がすごく好きで。営業は真ん中だから、著者にも読者にもぜんぜん会わない。でもそのポジションが心地良い。リレーをつなぐみたいなことが好き。麒麟山の話も、酒屋の農家さんがいて、米を酒造りの人に渡して酒ができる。酒が酒屋に行って、飲む人のところに届く。瓶詰やラベルを張る人もいるはずですから、相当行程がありますよね。そういうのを伝えたい。いろんなランナーがいることを伝えたいと思っていて。それはインスタとnoteでやるんですけど、大学生を巻き込んでやろうかと。
インスタだけが余白があるんですよ。Faebookは実名で閉じられている。Twitterはオープンすぎる。半分オープンなのはインスタ。フォローしていなくても情報が挙がってきて、かつ広告じゃないっていうのはインスタだけなんですよね。企業がコミュニケーションツールとして使うのはすごくいいと思うし、面白い。ベクトルを持ったインスタがどうなるんだろって実験したいんです。ベクトルを持ったインスタって意外にないので。目指しているところがあるインスタをやってみようって。そういうコミュニケーションのデザインが好きなんです。
「クリエイト」と「ヒマ」
(向田)わくわくしますね!西田さんは今まで様々な活動をしてこられた。これからもいろんな活動をしていかれるのでしょうね。西田さんの原風景ってなんだろなって思います。
(西田さん)僕は千葉県出身であんまり地元を「ふるさと」だと感じたことがないんですよ。おばあちゃんが新潟にいて、夏休み冬休みによく遊びに来ていました。おばあちゃんの家はゲームもマンガもないからとにかくヒマで。だからいろんな遊びをどんどんクリエイトするしかない。お寺の座布団で遊んだり、自分でくじ引きを作って遊んだりしてました。だから新潟に来たんじゃないかなと。川喜田二郎が「創造的行為を繰り返し、そのいくつかを達成した場所を人はふるさとだと認識する」って言っているんですけど、まさにそれだな、と。高校生に地元に残ってもらいたいんだったら地元の良さを伝えてもまったく意味がない。もっと良い場所がいくらでもあるからです。地元でクリエイトしなきゃいけないんです。今の子は忙しくてクリエイトする時間がない。だから膨大なヒマが必要なんです。その前提として。そういう意味では高校時代を阿賀町で過ごすのはおススメですね。
(向田)ホントそうだ!
(西田さん)なぜか地域の人たちは「地元の良さを知らないから」って。でも良さって比較だから、もっといいものがありますよって…
(向田)そっちがキラキラして見えたらそっちに行きますよね。
(西田さん)ここと東京、どっちがいい?と聞かれたら東京になってしまいますよね。そうじゃなくてここでしか創造できないものがある。ブリコラージュ的につくるのが楽しい。制限があるとつくるのが楽しいってあるはず。この与えられた条件のなかで、どうクリエイトするかがむしろ楽しい。東京ってお金があれば何でもできるけど、それって全然クリエイティブじゃないよね。
アマチュアリズムとブリコラージュ。素人がちゃんと素人の意見を言って、この田舎で今ここにいる人たちで、今ある資源でどうやってしようかっていうのを組み合わせて。そういうことを繰り返して、いわゆる共創、コ・クリエーションというのが生まれるんじゃないかと思うんですよね。それを高校生とやれたらいいなって。
未来と自分というフィクション
(向田)すっごく頷けますね。今のお話を聞いていて「とどまる」って言葉が印象的でした。とどまるってことができないんですよね、私たち。スマホであっちの世界にも行ける。居ながら“いない”。とどまればできますね。今ここにあるもので何ができる?って。
それこそ今は実家に娘と帰省していますが、実家にはおもちゃもゲームもない。でもそこにあるもので遊べてしまうんですよね、子どもは。昨日はソファや座布団と人形で延々2時間くらい遊んでいました。座布団が船になって「えー、鹿児島に行きますが降りる人はいますか?」」なんて。その場にどっぶり。うらやましいって思ってしまいました(笑)。子どもって「今にしかいられない」生き物ですね。
(西田さん)そうそう。時間軸がないから。
(向田)大人は今にとどまれない。
(西田さん)ホントそう。未来はフィクション。コロナで失ったものは未来だった。予定が立てられないわけですよね。来月ここに行こうって計画してても行けなくなった。ビジネスもそう。予定が立てられなくなった。
未来って、本当はあるものなのか?
考えると、未来と自分というのはすごくフィクション。すごい発明ですよね。福沢諭吉が訳したんでしょうけど。江戸時代は未来がなかったはずなんです。時計が6時と6時。日が出たら6時。日が沈んだら6時。時間が伸び縮みしていた。冬が来たら春が来て。夜が来たら朝が来る。昨日の次は同じ今日が来る。循環。時間の感覚がそんな感じ。だから本当に江戸っ子はお金を使い切っていたらしいです。未来などないから。未来っていうフィクションは明治時代に発明された。必要があったから。大義としては戦争に勝たないといけない。そのために工業化しなければいけないし、工場で働く人が必要。江戸っ子にはぜったい務まらないでしょうね。未来の概念がないと工場で働けません。「勤務時間は何時から何時まで。その時間働けばいくらもらえる」って、江戸っ子にはできないことでしょうね。だけどもそこから急展開で「未来はちゃんとある」ということをうまく広めた。革命です。
そして“切り離された自分”。他者と切り離された「自分」も同じで、みんなと同じだったはずなのに、場と一体化していたはずなのに。
中動態
そこから國分功一郎さんの『中動態の世界』です。あの本も面白いですよ!!
江戸時代は自分というものがなかった。
俳句の話がまた面白くて…。俳句は外人には理解できないんですって。「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」って言ったって、「蝉の泣き声なんて聞こえねーよ」って(笑)聞こえたからってそれがどうした?って(笑)。
俳句には主語がありませんよね。だから理解できない。でも日本人が俳句を聞けば、確かにそこにセミがいる。鳴いているように聞こえる。
(向田)はい。風景も見えている。
(西田さん)そうそう。ホントはそういう世界でみんな生きていた。中動態で生きていたらしいです。能動態、受動態は、都市国家になって必要だから発明された。犯罪が起こったときに、あなたの意志ですか?って問われる。面白いですよね。自分と未来っていう外来の概念。それ自体が若者を苦しめているんだと思います。
(向田)あぁ~たしかに…
(西田さん)自分と未来っていう理屈そのものが。いいときはいいんですけど。経済が上がっていればそれが確実にあるからいいんだけど、コロナでそれもなくなっちゃって。
(向田)そういった概念の歴史、言葉の歴史を知ることができれば見方も全く変わりますね。たとえば戦後の学校給食は、日米協定が深く関わっていて、そこから色んなことが理解できる。歴史や背景を知ることで自由になれるようにも思います。
(西田さん)そうなんです。そういうストロークの本棚。ひとつ、歴史っていう旅をする本棚。あるいは食を旅するっていうのを風舟でできるようにしたいなって思うんです。ここで旅でする感じ。そんな棚をつくれたらすっごく楽しいなって思うんですけど。
(向田)楽しみだなぁ…。ところで、西田さんにとっての具体的な旅のエピソードは何かありますか?
創造するためのフラットなコミュニケーション
(西田さん)大学生の頃、畑をしたくて、話を聞きに農家の方をよく訪ねていたんです。ネットがない時代なので電話して行く。「畑をみせてもらってもいいですか?」って突撃(笑)。田舎だから交通手段もなくて、バスもない。迎えに来てくれることもけっこうありまして。で、すごい接待されるんです。こだわりを持って畑やっている人にとっては嬉しいじゃないですか、来てくれたら。けっこう孤独にやっている方が多いので。
(向田)そうですよね。
(西田さん)ひたすらメモをとりながら聞くということをを大学生の3年間やりましたね。その後、院生の2年生の時に自分で畑を…。それをメタ認知するとコミュニケーションのデザイン。フラットな関係をつくるコミュニケーションデザインなんですよ。
ツルハシブックスを辞めた後、大学への採用応募書類に「あなたの得意なことはなんですか?」って書いてある。40歳すぎるとそんなこと普通聞かれないですよね(笑)。ポートフォリオがすべて。でも聞かれたから「フラットな関係をつくるコミュニケーションが得意です」と。やってきたのはこれだった、得意だったって、やっとメタ認知できました。
なぜ(茨城)大学を辞めたのかというと、それがなかったから。フラットな関係がなく、教授は教授としてしゃべってるし、僕はコーディネーターとしてすごい下っ端で、会議で報告するだけ。フラットな関係は、創造するために必要なわけです。創造的なものをつくるために、創造するためにフラットな関係が要る。フラットな関係を作るにはコミュニケーションデザインが必要。大学というピラミッド組織にはその発想はまったくなかったんです。
違和感や衝撃
(向田)大学の在り方も難しくなっているんですね。若い人の学ぶ姿勢も、システムも。学びって何なのかを自分でかみ砕けてないと難しそうな。ちょっと先を案内してくれる人とか場が必要ですね。
思えば、私は場を設定してしまっていたんですね。高校時代の野球応援を通して、甲子園ていう場に圧倒された。「なんでこんなに甲子園て盛り上がるの?」。それを解きたくて、「卒論は高校野球・甲子園がテーマだ!!」って、高3の時に決めてしまったんです(笑)。それに突き動かされて動いてきたら、大学編入や沖縄との出会いやら、いろんなものがくっついてきました。その後、南米の日本人移住地を訪ねたバックパッカーの旅も、“衝撃”がきっかけでしたから。
(西田さん)体感からくる違和感。そこに突っ込んでいけるかってめちゃくちゃ大事。なんだこれは…っていうね。その言語化できない衝撃みたいなのって、個人差はあると思いますけど、みな経験があると思うんですよね。
僕は自分が畑をやっていたときに「なんだこれ」「こんな世界があるんだ」って思いました。水やるだけで野菜ができる。経験者は当たり前なんでしょうけど、水しかやってないのにってってん。あれは衝撃でしたね。みんなやったほうがいい!!と思い、農園も始めたんですけど。
出版社の営業もやって、いつか本屋をやりたいなとは思っていたんですけど、たまたまビルが1棟空いていて、商店街再生の補助金がつくことを聞いてツルハシブックスを始めました。が、補助がきれると経営も傾いていくんです。半年後にキャッシュアウトするということが明らかになったとき、スタッフはボランティアで「侍」と呼んでいたんですけど、ある侍が「この状況を公開しましょう。みんなに愛されているんだからツルハシブックスは大丈夫ですよ」って言ってくれて。3周年記念イベントでお店の状況を公開しました。そしたらあるおじさんが「応援したい気持ちはあっても、本は毎日買えない。違う方法は何かない?」。そこで始めたのが1000円のオンラインマガジン。2年目からは年間1万円の劇団員システム。一時的に経営は持続できましたが、また傾いてきた。「お店を続ける方法は2つある。1つめは3か月後のキャッシュアウトで閉じる。2つめは僕が辞める。僕の給料がなくなればもう少し続けられる」って言ったんです。そしたら「店続けたいです」って。だから僕が辞めて大学へ就職したんです。あとね、余白の話になりますが、つくりすぎた。
ツルハシブックスについては上下のリンクを。
(向田)つくりすぎた…
(西田さん)四万十の迫田さん※のイベントに行って「つくりすぎちゃだめだよ」って言われたんです。「地域デザインの仕事は8割はつくるけど、残りの2割はゆだねなきゃだめだよ」って。
おばあちゃんの手作り品、道の駅で売るようなものを彼はつくっているんですけど、それを彼は一番大事なところは生産者に渡すんですよ。デザインは一番そこが大事なんじゃないの?って思いながらなんですけど、僕にとってそれがけっこう衝撃的で。「あ、俺、つくりすぎたな」と思った。で、つくりすぎたものを10するのを8にするにはどうしたらいいかって。僕が辞めることだった。そしたらみんなで考えてみんなで決められる。僕がいなくなることで、もっとクリエイティブになっていって、いい店になるんじゃないかと。
※高知・四万十市在住の木賃ハウス主人/サコダデザイン代表―迫田司さん
ここで、西田さんが現場を降りたその後の「ツルハシブックス」が取り上げられた5分ほどの映像を見せて頂きました。
本を売るだけじゃない、というくだりで始まった映像。
みんなでご飯を食べたり、お客さん同士の交流があったり…。
自分の暮らすまちにこんな本屋さんがあったらなぁとは思わずにはいられません。
(向田)西田さんのブログに挙げられている本との出会いは何がきっかけが気になります。私の場合はその本の著者が勧める本を追っていって、「この人の本面白い!」と思ったら図書館で探す、買う、ということを繰り返していって、自分の本棚が作られていっています。
(西田さん)それは僕もありますね。中動態の本は、大学生のアイデンティティの問題を解き明かしたくて買いました。なぜ自分に自信がないのか、やりたいことがわからないのか。なぜそんなに深刻なのか。それをテーマに探求しています。ブログはその探求からの本の読み方。大学生のアイデンティティ問題からすると、この本はこういう意味で読めるねってことを綴っています。
中動態の本に出会っていなければ「自分なんてのはフィクション」とは思わない。面白いですよね。
(向田)私もそうかもしれません。介護・福祉関連の取材をしてきて、「ケアとは何だ」とずっと探っている。しょうぶ学園の福森さんの『あるがままのあるところ』は「もう、言ってくれるな~!!!」って、付箋だらけになりましたね。
(西田さん)あれね、いい本ですよね。風舟にも置いてます。
(向田)農福連携ということも言われていますけど、なぜ農業と福祉が結びつくのか。なぜアートと福祉は相性がいいのかを考え続けているのですが、アイデンティティとも結びついているのかもしれませんね。自分のなかに、問いとして存在し続けているから本を読んだり、取材させてもらったりして考えている。ケア×建築というテーマも同じです。「つくる」「ひらく」「誰かと(with)」というのが、ここ数年の”マイキーワード”です。
(西田さん)そしたらたしかに近いですね。農福連携でいえば、この近くにハーブ園があるんですよ。社会福祉法人にハーブ園を買ってもらいたいなって思っているんですけど、“もったいない”って感じの状況なんですよ、今は。社福があれば、僕だったらそこでやるのに。ジェラートなども作っているんですよ。
長野に社会福祉法人くりのみ園という法人があります。そこはA型事業所で10人雇用しているんですけど、すごくないですか。
(向田)A型をやっていることがすごいですね。
(西田さん)そう!自然卵を育て、シフォンケーキつくって売って…。僕は半年で3回行きました。
がち農業。農業フェアに求人出してるんですよ。カッコいいですよね。地域にも愛されていて収穫祭にはめちゃくちゃ人が来る。感動的ですよ。あれは素敵ですね~
そのとき僕は福祉系の大学のコーディネータをしていたのもあって、そもそも福祉ってなんだ?って思っていた。同時に僕のやっていた畑に、ひきこもりとかニートの支援をしてほしいって依頼があったんです。外に出したい、農業体験をさせてほしいって市からの依頼。その事業にめちゃくちゃ違和感があって。つまんねえなって。
そもそもなんで彼らは働けなくなったの?と考えました。なんだ、結局はコミュニケーションが苦手だとサービス業では働けないってことなのだと。世の中の産業構造の変化が原因だと思ったわけです。別に彼らが働けなくなったのではなく、産業構造が変わったゆえ。サービス業化したからコミュニケーション能力が必要になった。コミュニケショーンが苦手な人たちの働ける範囲がどんどん狭くなってしまった。おかしいのは社会。社会に問題があるってわかったんです。あれも面白い探求でした。だから6次産業化ってなんのために?まさにそのためにある。障害のある人がカフェで働いている。障害者支援の施設はカフェを始める傾向が強いじゃないですか。そうじゃなくて畑をやるとかスイーツをつくるとか。そっちをやったらいいのになぜかカフェ。それは今でも違和感がある。なのでハーブ園をね、大きな空間で何か楽しくやりたいなって思うんですよ。
(向田)西田さんは常に探求されているんですね。問いに沿って動いてきて、今までの西田さんがあった。これからも「探求」を続けていくのが西田さんだ。
西田さんとの1時間半くらいの対話時間。
掘れば掘るほど、何か深めたくなる「話題」が出てきます。
風舟へ行けたことはすごく大きかった。
読書の旅、探求の旅、ずっと続けていきます。
また必ず訪れたい。
訪問 2022年12月29日
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