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それぞれの、熱源 :毛利公一さんに聴く。

 たまたまNHKを見ていたその瞬間、ハッとしました。
   ”毛利さんだ!”

  毛利さんの存在は、以前取材したNPO法人いねいぶるの昨夏のSNSで―″全国一斉ビーチクリーン”に参加するという投稿で初めて知りました。
 「全国一斉…ん?香川にも参加団体がある。どこだろう…?」と調べた際、“社会福祉法人ラーフ”とあり、法人理事長が毛利さんだったのです。以来、お会いしてみたい方でした。

 私が見たNHKの内容というのは、香川県観音寺市での聖火ランナー・第一走者だった毛利公一さん(40)の様子を伝える放送。毛利さんは、首から上だけが動きます。重度の障害があるにもかかわらず、身体を鍛え、トレーニングを重ね、作業療法士などの支えを受けながら、聖火ランナーとして、車いすを降りて“歩ききった”のです。その姿に、率直に感動してしまいました。

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絶望的と思えてしまう身体でも

 毛利さんはもともと、五輪を目指す棒高跳びのアスリートでした。2004年、23歳のとき、留学先のアメリカのビーチで水難事故に遭い、C3頸椎損傷、呼吸中枢損傷、四肢完全麻痺という状態にまで陥ります。ハートの強さでリハビリを重ね、自発呼吸を回復。その後、2008年にNPO法人を立ち上げ、2013年に社会福祉法人化。昨年には、ものづくりと福祉コンサルティングを手掛ける株式会社モーリスを立ち上げました。社会福祉法人の事業としては居宅訪問介護、生活介護、ショートステイ、就労継続支援A型、B型事業のほか、発達障害のある人のためのコミュニティスペース、カルチャースペースや美容室なども運営。多角的な事業展開が目を引きます。

助かった命、そうでなかった命

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―なぜ、これほどまで色々なことを展開できるのか。毛利さんのパワーに圧倒されます。その原動力が知りたいと思っています。

(毛利さん)自分がやって楽しいことだけをしているんです。やるかやらないかの基準は、楽しいかそうでないか。周囲も楽しんでくれるかどうか。現在は家族…妻と子どもがいて、支えにもなっているんですけど、そのためにというよりも、やって楽しいかどうか。“大きな障害を負っていても、楽しい人生は自分でつくれるよね”って。怪我をきっかけにそれを強く思ったんですね。せっかく生きているんだったら。せっかく死なずに済んだのだからと。
 …実は、僕が怪我する一週間前、同じビーチで死んでしまった人がおるんですよ。後から聞いた話だったんですけど、その人は首の骨を折って、呼吸が止まってしまった。頸椎の1,2,3、4番…そこには呼吸中枢があって折れた瞬間に呼吸できなくなってしまうんです。僕は3番目が折れてしまったんですけど、幸い、海から救い上げられ一命を取り留めた。一方で、亡くなってしまった人がいた。であるならば本気で生きなきゃって。じゃあ本気で生きるとはどういうことかというと、やりたいことを楽しんでやっていける人生。何が原動力か、一言でいうとそれなんです。

自分が嫌になった瞬間

―高校時代の同級生とNPOを立ち上げたんですよね。

 小学校からの友人です。やり投げのトップレベルの選手でした。彼の存在は大きくて、整体師として独立していますけど、今でも月に一度は身体を整えてもらったり、つきあいは続いています。
 法人の立ち上げのきっかけとして、三つの自立をしたいと思ったんです。親からの自立、経済的な自立、自分の足で立つ自立。その三つ目の自立の為に、「立ってやろう」って、リハビリをしているわけです。夕方、リハビリが終わってベッドにあがる。すると、やることがない。“暇やな”って思い始めた。パソコンでゲームをやり始めた瞬間に自分が嫌になったんです。“この瞬間も、同級生は働いているんだな”って。こんな暇で面白くない人生、楽しくない。働く楽しみが欲しい。自分が出来ることって何だろうって考えました。それは、笑うこととしゃべることと、パソコン操作が少しできること。とは言え、パソコンはパソコンを手元に持ってきてもらう人の存在が必要。しゃべることと笑うことしか自分ひとりでできることはなかった。笑ってしゃべる仕事とは講演活動。善通寺市にある看護学校で一度講演をしたら、他のところからも声がかかるようになりました。ただ、毎日講演があるわけではなくて。次のニーズは毎日仕事をするということ。

経営者に
「変わらないこと」は形を変えて

 楽しめる仕事とは何か。永久に挑戦していける、トップを目指していけるようなもの…。僕がアスリートだったからだと思うんですけど、その最小公倍数で交わったところが“経営者”だったんです。社員の集め方も給与の渡し方もわからない。何の根拠もなかった。でも、経営者だったら頂点がなく、挑戦し続けることができる。面白そうだなと勉強を始めたんです。その勉強が面白かった。一緒にNPOを立ち上げた友人も事業所を立ち上げたばかりで、お客さんも立て込んでなく時間があったんです。だからその友人といろんな人に会いに行った。そして私は、半年ほどで様々な書類を揃えた。人も集まりました。
 障害のある人にとって、親亡き後、どうやって生活するか。毎日来てくれるヘルパーさんの存在は必須なわけです。その頃ちょうど、大手介護会社の不正が発覚。その会社のサービスを使っていた人は介護を受けられなくなってしまった。たまたま僕はその会社を選ばなかっただけ。結果、介護難民にはならなかったですけど、全国では介護難民が続出した。こんなにもいるんだと。市役所に行って聞いてみても、この地域も事情は同じ。介護事業所が潤沢にあるわけではない。そこでヘルパー事業所をひとつでも、当事者目線でつくろうと思ったんです。

―訪問介護事業所を開設し、スタートを切った…

 はい。でも、ヘルパー事業所ひとつだけだと面白くない。今でこそ美容室の経営も始めましたけど、髪はプロに切ってもらいたいですし、身体だってプロにもんでもらいたい。なので、そういう橋渡しをするNPOをつくったんです。おしゃれも、もともと好きだったんですよ。

―だから、“ガラスの靴プロジェクト”(※)も始められた。日常のなかに非日常があることの良さを発信しておられましたよね。毛利さんのもともとの生活感、アスリートとしての心持ちだとか、怪我をする前に大事にしていたことは、形を変えて今に活きているように感じます。

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※障害があっても、ウェディングドレスを着て、本格的な写真撮影ができるプロジェクト。「どんな障壁があっても“きれいになりたい”をあきらめないで欲しい」とメッセージしています。

 そうですね。大きく変わったことって、怪我以外なくて。挑戦する気持ち、やりたいことを貫いていこうとしているのも、歩きたいと思うから練習を続ける。それがたまたま聖火リレーというあの形になっただけ。自分がやって楽しいかという基準に、ほかの人も楽しいかという基準が加わったのは、仕事を始めてからです。

―経営が広がるにつれて、人材が増えたり、入れ替わりもあるかと思います。その側面ではどんな考えをお持ちなのでしょうか?

 人材は潤沢ではないですけど、僕の考えに同感して入職してくれて、でも仕事をしていくうちに考えが変わっていくこともあります。やりたいことが出てくることもある。ズレが生じることもあるでしょう。それは仕方のないことです。その人にとっての成長目線で考えたら、引き留めて、楽しくない人生を送らせてしまうのも違う。スタッフが辞めずにいてくれることは経営の安定にはとてもありがたいことですけど、その人自身にとっては不幸なこと。一緒にやってくれる人とはコミュニケーションを大切にしています。違う意見に対しても、こちらに無理やり引っ張ろうとはせずに、歩み寄ろうって。

―コミュニケーションは具体的にどのようにとっていらっしゃるのですか。

 法人全体でスタッフは70名弱ほどですけども、必ず全員と会うようにしているのは年2回。経営のことを真剣にやりだしてからは、社員に直接会う、全員に会うという姿勢からはちょっと引くようになりました。  
 というのは、僕の講演を聞いて、あるいはテレビを見て入職を希望しましたという人も多い。私の言うことは聞いてくれても、直の長と意見が合わないというのは、その部署をまわす人たちにしてみればとてもやりにくいこと。求心力を高めて、僕ではなく、その長のもとで働きたいというのももちろんいい。自分の所属する部署の長を信頼できて、理事長も信頼できるということがベスト。僕は各長とは密に、1日2回ほどはリモートでやりとりしたり、チャットでもしょっちゅうやりとりをしてますけど、各スタッフさんとは距離を置いているんです。

―年に2回会うというのは…

 はい。続けています。

―新規事業を立ち上げる前に必ず地域のニーズ調査をされているんですよね。産直を開くにも、農家さんに困りごとやニーズをヒアリングされている。

リール外観1

野菜販売

(ショートステイ、就労継続支援A型事業所ーレストラン&産直、美容室もある複合施設「リール」) 

 この地域に足りないものは何かということ。行政に困っていること、足りないものを聞く。何か始めるのだったら障害のある人が“あって欲しいもの”をつくるのが地域的にベストだろうと。この地域にはない、ニーズがあるものを立ち上げていきたい。障害の有無を問わず、地域でともにおれたらいいなと思うんです。障害のある人が働くには、市外へ…高松や中讃地域に出ていかなければならないということもずっと聞いてきました。ここに何か新しいものをつくるのであれば、ないものをつくっていくのがいい。コロナ前までは、親御さんなどが直接相談に来たり、「この地にこれがないんや」と。僕は行政の委員にも入っているので、そこで聞いた声も考えながら、何がいいかと考えています。もちろん、経営の安定は重要。会社がなくなり、障害のある人が生活しにくくなる…サービスがなくなることは資源がなくなることです。不安定なところに自分の命や生活を預けるのは嫌やなと。僕自身が障害者なので、利用者目線とはそういうことやないかと思います。

ラーフ理念

(法人理念)

 今ではバリバリのヘルパーになってくれているスタッフが多いですけど、経営の途中で、出来上がった理念だとか行動指針がありますけども、それらをもって研修し、人材ができていく。会社ができていく。経営も安定していく。ITもないがしろにできないというところで、うちも新しいソフトを導入したり、IT化を進めています。デジタル推進課ができて、僕も行政の委員に選ばれました。

―毛利さんならではの目線で発信できることが多々ありそうです。

 介護職員さんが必死に書類をつくっている光景はよくあることですよね。その時間を利用者さんのために使うことができたら、より質を高められるでしょうから、その時間を1分でも増やせるのであれば、ITの導入は必要です。

―ITに対して苦手意識をもっているヘルパーさんが多いように思いますが…

 高齢であっても、ITや新しいことに興味のある人はいるんです。うちの70代のヘルパーさんで、ソフトを導入するときの個別面談で「覚えたい」と前向きでした。知らないから怖いだけで。

―現場で思い切って導入してみる。“触れる”ことを促せばいいと。

  はい。つくる側も、苦手な人がいることを前提にしている。わかっています。そこまで操作が難しいということはないんです。

―2020年4月から香川短期大学の客員教授に就任されました。「介護現場実習の仕組みを変えたい気持ちがある」とご自身のSNSで発信されていることについてもう少し教えてください。

 この社会状況だと実習ができない状態で、まだ実績はないんですけど、介護実習の現場は、高齢者施設が圧倒的。今から福祉をやろうという子育ての経験もない若い学生が、要介護度の高い特養のような介護現場に行く。認知症のある人も多い。どうしても衰退していくのが人間の老化なので、そういう現場で実習するということが、悪いことではないんですけど、現場実習は大きなインパクトを与えますよね。 支援はそれだけじゃない。例えば、就労支援だとか能力をのばしてあげるところの支援への実習はあまり行われていません。介護実習といったら特養という大きな流れがある。受け入れ先がもっと多様であったらと思うんです。

―確かに。決まりきった実習先。想像し得る実習内容。もちろん人生の先輩を手助けしたいという尊い思いのある学生が多いでしょうけど、実習のリアルは明るいことばかりではない。

 現場実習をもう少し幅の広い、見えるようなものにしていけないかなと思っています。せっかく教育に関わるのであれば、違った形での福祉…今はグリーンソーシャルワークみたいなものもある時代。選択肢がもっとあるといい。もっとインターンシップが活性化すればいいなと。そういう動きをしていきたいと考えているんです。

―私は取材を通して、全国あちこちの現場を見させてもらっています。色んな現場がある。とてもユニークな考えをもった現場がある。でも実際は、介護職に就いている人は多忙すぎて、介護職の夫ももちろんそうなのですが、他の施設のことを知ったり、学んだりする機会がなさすぎると感じていて。

 そういうのもいいんじゃない、違う考えがあってもいいんじゃないというダイバーシティの考え。それが介護業界は狭いですよね。突破口があればいい。うちでは、現場実習もIT導入もそうなのですが、イノベーション的なことをやっています。課題ももちろん多々ありますけど、それが楽しい。

―それは毛利さんが新しく立ち上げた会社にもつながっているところですよね。

 そうです。福祉のものづくりとコンサルティング。ノウハウを自分で持っていても、伝えられる人数は限られる。それを事業を通して、他のものに繋がったり、伝わる人が増えることになれば、よりいい福祉につながるでしょうから。それがコンサルへの想いです。(障害があるために)自分ができなくて困っている。だからこそITやロボットを使って助けられる人がもっといるんじゃないかと、ひとつふたつ研究を重ねているところです。そのひとつで、僕は、夜な夜なセンサー貼って寝ています(笑)。僕自身、実際ものづくりをすることはできませんですけど、アイデアを出す、身体を貸すことはできますので。

プラットフォームの次元にある“福祉”

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(2020年はオンラインで開催されました)

―観音寺市は、まちづくりの動きが盛んに感じます。コアな人がいて、毛利さんも「ふれあい夜市」(福祉、スポーツ、文化芸能をコラボした地域イベント)の企画にも携わっておられますよね。どういう風にして人のネットワークを広めていったのか。毛利さんが「楽しい」と感じるところ、そこがうまく人とつながっていて、その時その時にいい出会いをしておられるのかなと感じます。

 何らかの思いをもつ人は多い。いかにそれを発信しているか。お互いキャッチしあえたら、例えば向田さんがここに来たことも。発信しないことが一番出会わない、狭い世界でしか生きられない要因です。発信する側でいれば、いつの間にかネットワークになっている。発信力のある人とつながっているとそれがより広がる。コアになる人とは会うようにしていますね。そうすると、「ここでも会いましたね」って(笑)。

―私自身、オーガニックの野菜、商品を販売する仕事に携わったりするなか、福祉に限らず教育に関するような場などでも、思わぬ重なる出会いが多いんです。共通する思いがあるのでしょうね。

 福祉って、介護や支援とか狭い分野に見えるかもしれませんが、プラットホーム的な側の分野が福祉で、どこにでも絡んでいくんです。地域福祉、児童福祉、学校福祉、支援学校、インクルーシブ教育、就労、雇用…福祉ってつまるところ、障害者施設、高齢者施設だとかに限らず、幅広く全体のプラットフォーム的に、根底くらいにあるもの。「福祉」という文字には、福も祉も、幸せにするという意味があります。重なっている。そこに何らかの意味で、ある分野のひとが関わっている。例えば、働きやすい幸せだとか、別にあるものなんです。だからこそ気が付きにくいんですけども。
 パソコンのWindows10だって、日々使っているソフトのことはよく知っているけども、Windows10とはそもそも何か。つまり、プラットフォームのことはよく知らない。福祉も結局プラットフォーム的なところにいる存在。みなどこかで関わっている。なので先ほどの話で言えば、学生さんたちに狭い意味での“実習=特養に行く”というものではなく、「ここにも福祉というものが活躍する場がある」ということを実感してほしい。ベースにはみんな福祉にお世話になっているんですよね。生まれた瞬間から。

―だから、そういうことに気づいた人にとっては、福祉の仕事はめちゃくちゃ面白い。実際とても楽しんでいる方はいますね。やってみたいこと、出来るであろうことが次々と生まれ、その匂いを嗅ぎつけた人同士がうまくつながっていたり…。

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(ラーフが取り組む農×福)

 ソーシャルワーカー、ケアマネもですが、学校や地域に入っていったり、会社にもかかわるようになった。広く、どこにでも絡んでいる。わかりにくいですけど。だから、全然違う分野の人から「福祉について話してください」と依頼がくるんです。

―最後に、毛利さんにとってのスポーツとは何か教えてください。

  軒並みのことですけど、挑戦することと努力することですね。やってみてうまくいくかどうか。荒い計画を立ててやってみて面白いかどうか判断をして、面白いならさらに計画を深めてやっていく。それが挑戦のスキーム。努力はその先。やると決めたら、自分だけでなく、関わる人が満足できるところまで努力し続ける。その両方ができるのが経営者の立場かなと思います。難しいけど、面白いんです。

 毛利さんにお会いして感じたこと。 介護とは…、組織とは…、など定義すると当たり前ですが「枠」ができる。もちろん、定義があるからシステム化できて、効率のいい仕組みや制度もできるのですけど「こういうものだから」と、決めつけてしまったりするのは勿体ないし、可能性を狭めてしまうことにもなると私は感じています。
 枠外しというか、俯瞰できる目、考える力を持つことが、色んな意味で大切で。
 適度に風を感じていたいなって思います。

 厳しい状況であっても、人を動かすものは、「好き」「楽しい」「面白い」と感じられる気持ちなのだと、改めて思いました。
 常に動き続けている心臓のような、絶えない熱源が人にはあるよねって。

取材日:2021年5月13日

毛利さんのサイト

https://koichi-mori.com/


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