400名以上が来場した

介護3.0―新(あらた)の挑戦

 開設5年目、栃木県下野市にある50床の介護付き有料老人ホーム「新」(あらた)。運営は好調で待機者は県外の人も含めて現在40名ほど。敷地内に併設する「CAFEくりの実」、貸出スペース「あすなろ教室」、ものづくりの居場所「TEPPEN工房」は誰でも利用することができます。カフェは連日にぎわい、ランチは予約が必要ほど。「あすなろ教室」は、ほぼ毎日地域に使われているといいます。子どもたちが施設で入居者と流しそうめんやワークショップなどをして寝泊まりするサマーキャンプも満員御礼…。日常でも、非日常ーイベントでも多世代、多様な人が行き来するのがごく“当たり前”。そんな光景が生まれる背景を、追いました。

 横木淳平施設長(36)は、2019年春からブログ「介護3.0-その人らしまま最後を迎えられる本質的な介護が当たり前の世界へ―」で様々な発信をしていました。(※2020年秋にブログ閉鎖。その内容は2021年に書籍化予定)

横木施設長


介護1.0とは食事介助や入浴介助など生活上の「お世話」、テクノロジーによる人手不足、労働環境改善の解決が介護2.0。”介護3.0”は介護という仕事の本質を見直すこと、とあります。

―いま、介護3.0を掲げた理由を教えてください。

 15年ほど介護業界にいて、25歳で当時勤めていた介護事業部のトップになりました。他にもアドバイザーを務めたり、業界内の志の高い人たちと業界をよくしていこうと動いていましたが限界を感じたんです。どうしても介護という枠からはみ出ることができない。介護って、日常とは異なる社会での出来事とされ、僕のやっていることがとても目立ってしまった。学会やセミナーに参加して発表しても「あなたのケアは間違いない(いい意味で)。でも制度はこうなっているから…」と、否定的に捉えられてしまっていたんですよね。新を開設して丸4年が経過し、結果が出た。新しいものを生み出すことができたと思うんです。そこで5年目の今年、スイッチを切り替えました。

―スイッチを切り替えた。

 はい。制度は変えられないけど、介護の在り方なら変えられる。イメージは変えられると。ちょうど、県内で活動するブランティングデザイナー・青柳徹氏に出会えたこともあり、“介護3.0”をブランティングし、広めていこうと決めたんです。そこでブログの発信も始めました。

―誰でも参加できる「オープン研修」を始めたのも同じでしょうか。
(「食事ケア」「排泄ケア」などテーマを掲げた研修)

―これまで施設内で行ってきた研修を、単純に“オープン”にしようと。地元紙の掲載や人伝てで一般企業の営業職や介護業界外の人も多数聴きに来てくれています。ビジネス業も、サービス業も、”本質“は変わらない。通じるところがあって来てくれている。今の時代、本質を捉えているかが問われていると思います。

オープン研修の様子

 実際、参加した人のSNSに「介護の概念をひっくり返すような軽快なお話がたくさん。取り上げているのは『介護の話』でも、すっごく面白くて、驚きが発見があって、聞かなければ損!損!」と挙がっていれば、青柳氏は「クライアントではあるけれど、内容が面白すぎる。業界の決まり事とかフルシカト。(途中省)彼の口から出るのは本質的な事だけ。業界のステレオタイプ的な事は言わない。自身の実践から得た学びだけだ。だから重みが違う」とSNSでつづっています。

 (横木さん)自分の持っているものを磨けば“ぶれない”んです。オープン研修でもプレゼンでもそうなのですが、僕は人前で話すのが決して得意なわけではありません。ただ、家族と話をするときも、職員と話をするしても、同じことしか言っていません。だから人前で話す時は、すでに話慣れているとき。うまく話すことができるのは当たり前。
 昨日まで、ある男性入居者の油絵展をやっていました。下痢便を繰り返しており、家族も職員もイライラしていました。周囲は『薬はどうしたら』『病院は何科にかかったら』などと考えていましたが、絵を描くのが趣味だった人で、あすなろ教室で展示会をすることにしたんです。結果、大成功でした。

油絵展示

その入居者からは「今回は段取りがもたついたから、次回はもっと時間をかけて準備しましょう」と“次回もやる”前提のコメントが聞かれたそうです。

 男性がイキイキする姿、展示会が成功することで携わった職員も励まされる。元気になれば結果、下痢便も回復するかもしれない。単純な介護を超えた仕事ができ、達成感を味わえるんです。「お世話をする」「支援する」ではないところを示す。ニーズに応えるってところだけではプラマイゼロ。相手の予想を超えるサービスが満足度につながると。

単純な介護を超えた、というのは「ありがとう」ではなく「また、お願いね」「また、行きたい」といった「次がある感じ」と横木さんは語ります。

「次がある」というのは、評価してもらって、リピーターになるってことだから。

 〇〇ケアとネーミングされた技術論。水分量はー1日〇〇cc以上、カロリーは…、塩分は…。ネーミングや数字を片手に実行される“ケア”。チェック表を作成し、数字を確認する作業。しかし、そのとき、目の前にいるお年寄りを本当に“見て”いるのでしょうか。
 横木さんの「人が食べられなくなる理由なんて無数にある。悩みがあったって、失恋したって食事はのどを通らなくなるでしょう」との言葉が深く突き刺さっていました。
 目の前のお年寄りのことをまっすぐに想い、考え、動いているのが横木さんという存在。
 これまでの過去とか、大切にしてきたものとか、“個”を尊重したうえで、「じゃあ何ができるのだろうか」というところから、ケアのスタートを切るということ。

 (横木さん)本質的な介護って、これまで業界で当たり前とされてきたようなことを削ぎ落としていく作業とも言えるかもしれませんね。「その人らしければ何でもあり」です。新ではカギはかけません。先日、(神奈川県の)川崎まで入居者を迎えに行きました。「1時間くらい見当たらない」と職員から連絡があり、「もう遠くに行っている」と。普段から自由なので、近くを探していないのなら、電車に乗っているかもしれない。そこで警察に連絡したんです。警察は切符を買った時間まで調べてくれる。彼女の自宅は川崎だったんですよね。帰りの切符の買い方と駅ではあそこの食べ物を買って…などと色々教えてくれました。

ーリスクマネジメントなどともよく言われますが…。

 何とか自由に暮らせる施設を、と東京に住んでいる家族が施設を探し、新にたどり着いたケースがあります。もちろん、外してはいけない部分は踏まえたうえで、トップが“これは仕方がない”と言えるか、でしょうね。介護のスキルは必要ですけど、本質的なケアとか本質的な介護という確信を僕は持っている。だから、その人のどこを見るか、なんです。
 転倒したおじいちゃんがいるとします。施設は転倒を嫌がりますよね。だから転倒しないように見守りを強化したりセンサーを設置したりして対策を練る。ですが、そのおじいちゃんは結果、“リスクのある人”として不幸になっている。そうではなくて、転倒をその人のシグナル、何らかの訴えとして捉えたらどうなるでしょうか。
 なぜ、立とうとしたのか。その時間寂しかったのか、であれば寂しさせないように。トイレに行きたかったから、であればその時間にトイレ誘導すればいい。夜眠れなかったからというのが理由なら日中の活動時間を増やすとか。リスクマネジメントなんてつまらない。その行動を「個性」と捉え、どうケアに落とし込むかを考えていくほうが面白くないですか。

 介護の3Kを、葛藤・行動・覚悟と表現する横木さん。25歳で介護事業部のトップに立ち、そこから10年以上。確かな“手ごたえ”というものがあるから、腹をくくることができるのでしょうね。

(横木さん)業界を変えるための3.0です。若い分、上からは散々言われてもきました。けれども、僕はたくさんの犠牲も払ってきたんです。お年寄りから教えられたこと、現場での経験は、“〇〇論”とか”〇〇ケア“には負けません。介護業界以外の人とのつきあいも増えて、管理者やトップの人と話す機会も増えました。企業は、理念を丁寧に作っている。理念に命をかけていると言ってもいいほどです。それくらい普通の会社では当たり前のことが、介護業界は当たり前ではない。
 介護に携わる人は、みな何かしらの志を持って入職する。トップだって始まりは同じなのに、だんだん“腐って”しまう。職員が集まらないから、とか、家族などからのクレーム、法人が求めてくるものと施設の現状との隔たりだってあり得る。板挟みになることもあるでしょう。ぶれてしまう理由はわかるんです。でも、たからこそぶれない理念って大切なんです。理念においては究極のところ、職員の駐車場はこの場所でいいのかという風に、ゼロベースにして考え直してもいいんじゃないかと。

―人材不足についてもブログで綴っていました。

 何かを一定にしようとすると業務表やマニュアルを作ることになります。それ通りに行かないと気持ちもマイナス。人には人との相性もある。業務優先ではなく、相性を考えた結果、人の配置も変わるかもしれませんが、それをヨシ、これもあり、とできるかですよね。お年寄りだって、主役の日もあればそうではない日、嫌な日もあります。そう考えたほうが、働く方も楽だし、楽しいでしょう。オムツ交換なんて、楽しいわけないじゃないですか。それよりも、トイレ誘導ができて、トイレから「シャー」って、水を流す音が聞こえたら「ヨッシャ!!」ってなる。やっぱり本質は変わらないんです。「人が足りないから、無理」なんて考えるのではなくて。本質に沿って動いていたほうが、働く方にも、経営側にもメリットがある。

全国共通なのが「人材」についての悩みです。

 とにかく人を、と特に何も考えず採用するから、採用した後で「なんであんな人を採ったのか」と問題が起きる。県内という視野で考えていたらどうしても限界があるんです。どうしたら東京から、大阪から採用できるかと、そのサークルを広げればいい。新のことを面白いと思ってくれる人といかに出会えるか。人材確保ではなく人材発掘。人員配置基準を満たしたうえで、定員という概念を外す。例えば必要な職員を10人としていた場合、8人しか配置できない日があるとすると、2人不足です。すると、「いつもより大変」「何か削ろう」などとマイナスのイメージでで仕事をすることになる。定員をつくらなければ、優先すべき仕事から考えていくことになり、両者のクオリティは全く異なるわけです。定員、業務マニュアル、職種という3つの概念を新では外しています。今日は、厨房スタッフが介護の仕事に就いていますよ。

―介護職は介護を、看護師は看護をと線引きしない。

 介護に対する仕事の捉え方がみんなズレているのかもしれません。アセスメントをし、ニーズ把握してそれに応えるのが介護だと理解されがちですが、純粋に目の前のお年寄りにできることをすればいいんです。そう考えれば、自分のキャパを超える必要はない。恋愛もそう。自分のキャパを超える恋愛なんて無理ですよね。そして、行動しないことにはわからない。お盆であれば、お墓参りに行く。お墓参りに行くことで、その人のことを“知る”ことが増え、次にやることが見つかるんです。
 そもそもですよ。家族で見てくれる人がいなくて、施設に入居させられて、ミキサー食のような食事を食べさせてくる人(施設)に本当のニーズなんか話すだろうかと。何もしないからその人のことがわからなくて「ニーズ把握しよう」って必死になる。動けば、見えてくるんです。

新には「STAY GOLD company」という別組織が存在します。組織のテーマは「自分にしかできない仕事をしよう」。メンバーである看護師はガーデンマスターとしての所属など、一見、業務上の職種とは関係ありません。現メンバーは13名。職員以外でも、家族や地域住民に所属している人がいるといいます。

―新しい活動はありますか。

 10月から訪問美容を始めます。元美容師の地域おこし協力隊と組んで、ターミナルや末期がん、人工呼吸器をつけている人など、普通の人では(体を)起こせない人を訪問して、無償でカットするんです。訪問美容は元気な人が利用していることが多い。だから、そうではない人を対象にと。
(地域おこし協力隊の)彼女は銀座で美容師をしていたんです。一方で、僕が体を起こせない人はいない。どんな状態であっても起こすことができるという自信がある。プロとプロが組むんです。高齢で、もう欲しいものもない。あげられる物もない。でも、整髪ってずっと続くもの。プロの美容を、家族から家族へのプレゼントとするんです。

 ―素敵ですね!重くもない。素敵なプレゼントだと思います。それを無償、で行う。

 訪問美容で在宅に切り込みます。訪問介護は完全に飽和しているなかでの「今さら」ですけども、無償で行うことで信用を配ってしまえと。そして、ファンをつくるんです。地域おこし協力隊としては、スキルを発揮できる土台づくりにもつながります。give&giveの関係性が築けるんです。
 
 ―でも、なぜ在宅に?

 いま、デイサービスは介護できない家族に代わって、ホームヘルパーは自宅での家族の介護に代わって、という”代行サービス“になってしまっています。でも、在宅介護の本質って家で死ぬこと。介護職がプロとして、自宅の環境づくりや介護のコツを伝えているわけではないのが現状。ましてや訪問介護もデイサービスも飽和状態。数だけはあるものだから、レクが楽しいとか、食事が美味しいとかいう部分の差別化に躍起になって、本質を見失っている。在宅介護の本質を突くという、誰もやっていないスキマに入っていきたいと考えているんです。

 ―訪問介護にしても本質というスキマがあったんですね。

 あすなろ教室で「笑い場 arata」を始めたのは、利用者を外出させない施設がどうしたら外に出るんだろうかと思ったから。目的と場をこちらで用意すれば連れ出してもらえる。介護におけるコミュニケーションとは、介護する側の行動のこと。ニーズ把握ではない。一緒に寿司屋に行って食事をするという行動そのものがコミュニケーションです。やっぱり、行動してなんぼ!なんです。

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 新で行うイベントには、いずれもその道のプロが参加。お笑いを提供するのも、永井塁さんというお笑いのプロ。単なるボランティアではなく、職員でもなく、プロが提供することで、クオリティは当然高いものになります。
人を巻き込むのがうまい、と言えますが、巻き込むというより、新という場に、横木さんという人に“惹かれてしまう”のではないかと感じます。
 介護とは直接関係のない、“ステキな人たちとのつながり”を持っているのは、横木さんの、新の強み。「新という畑を耕してきたからこそ、つながれた」と横木さん。
 そんなつながりの線上で実現したお笑い寄席。永井塁さんはつぶやきました。
「介護が変わります。間違いなく変わります」。

―どんどん動いていくことで、当然広がっていくものがあるんですね。

 介護保険の収入には限界があり、増収も見込めない。新卒で入職した職員が数年経って結婚して子どもができたとしても、入ってくる収入は同じなわけです。だとしたら、新をブランディングし、どこにも負けないシステムがあれば、介護関係のコンサルティングも出来る。攻めるか守っていくかの2択しかありません。だとしたら、無条件で攻めていきたい。
 スマホを持つことが当然になっていったように、「介護3.0」が高齢者の選択肢の一つとして、当たり前に使えるパーソナルコンテンツになればと思っているんです。

 施設の敷地を利用し、ものづくりをしている人や事業者がブース出店したり、催しものを行う年に一度の「Arata Festival」は年々来場者数が増加。今年は400名以上が来場。どれほど地域に開かれているのかと思います…。

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 地域活性を狙っているわけではないんです。それだけでは面白くありません。初めから、「半径…」などと距離を考えないんです。やっていることが面白ければ距離は関係なくつながることができる。あるモノを共有して一緒にやるだけ。地域のためにフェスティバルを行うのではないんです。介護を主役に考えた結果、決まったイベントが「Arata Festival」でした。結果的に地域の人たちが多数来てくれたり、新のファンである人たちが純粋に訪れてくれたということです。

 “give&give”。出店者やイベントに絡む人が何らかのメリットが感じられるよう常に配慮していると横木さん。“だから、継続した関係性も築くことができるんですね。

―地域に開いた施設を目指す。
聞こえはいい。だけれども、”地域“という対象を絞ってそれを目指すということで、別の可能性を閉じてしまうことにもなりえます。最初からそれを目指さない。結果、地域に開かれたものになった。結果、下野市に新があって良かったと思ってもらえた。さらに関東に、日本に…という風になれば。
 新という空間は本当にとてもとても心地良いです。とにかく一度訪れてみて!と言いたい場所。徹底的なハードの工夫があるのですが、横木さんはスッと言ってのけるんです。
「大切なのはソフトですよ」と。

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初めて伺ったのが、2018年7月。

そして、2019年9月下旬に2度目の取材へ。

ひとはみな違うから。

経験も感じかたも人それぞれ。

受け止めかたは様々でしょう。

だけれども。

日本に、こんなケアの現場があるって、

すっごく励みになると私は思うのです。


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