モードの世界で: またパリに行くことになる


 Sさんはとても穏やかな温かい性格で年上からも年下からも好かれる人でした。
彼の勤務している本社は大きな親会社の中にあり、ほかのたくさんのブランドの担当者たちとも親しく交流していました。

そんな彼は実は、しばらく海外に暮らしたい、と思っていました。多少はできる英語が通じて、音楽シーンの豊かなロンドンを考えていたのです。

その頃、ファッション業界ではますます海外の商品に人気が高まってきました。いわゆる有名ブランドでない、小規模のメーカーのオリジナリティー溢れる商品、日本にはないもの、パッと目を引くような素敵なもの、そうしたものを店頭に置きたいというお店がどんどん増えたのです。

それまで輸入というと、商社に取引面をお願いする代わりに大きな手数料が発生するのが普通でしたが、独自に買い付けや輸入を行い、より自由にインポート商品にアクセスしようとする会社も出てきたのです。いわゆる「インポートブーム」の時代が始まりました。



私は英語とフランス語ができて、彼は〇〇〇の立ち上げの時からパリで買い付けを担当してきた上に営業が得意。いつの間にか・・・2人がパリに居てくれるなら、うちの会社の商品の買い付けをお願いしたい。というお話をいただくようになったのです。親会社の中のある大きなブランド、話を聞きつけた他の会社、そして〇〇〇の元カリスマ店長で自分のお店を持った友人。私たちはそのようなご依頼を受けて、パリに在住し、パリを中心にヨーロッパ各地でファッション、小物、靴、インテリア商品の買い付けを行うことになりました。

彼の意思は非常にはっきりしていました。できる。やりたい。

両親は強く反対でしたが、別の方面ではとても印象的なことがありました。〇〇〇を辞めて出発前にしばらく派遣で、商社内の英語のお仕事をしていた時、当時の上司は電話業界のアメリカ人女性だったのですが、彼女に個人的秘書になる気はないか?と打診されたのです。「あなたには、やったことのない新しい事でもやってみよう!という心がある。そこを評価します。」と。たっぷりのお給料も提示されました。とてもありがたいお話しでしたが、ボーイフレンドとフランスに渡りフリーランスで買い付けの仕事をする計画があるとお話ししました。すると彼女は、
" Oh! That's wonderful!!! "  と明るく素敵な笑顔で喜んでくださり、きっとうまく行くわよ〜!楽しみね!!と大きく祝福してくださったのです。今思い出しても涙が出そうなくらいうれしく、その後の人生でも、彼女だったらなんて言ってくれるだろう?と考えることが時々ありました。

こうして私は再びパリへ、今度は気が合う大好きなパートナーと一緒に、飛び立ちました。


続く

画像1

パリで最初に住んだアパルトマンに着いたばかりの頃、バルコニーで。
庶民的な11区の1ルームのアパルトマンは、建築家の友人が内装を手がけた物件で家主さんはゲイのカップルで、とってもおしゃれでした。写真がなくて残念!
パリのアパルトマンは建物の外観からは想像のつかないものばかり。外観は建物が100年以上経っていて古いし、いろんな理由であまりいじれないのかもしれませんが、内側はみなさん個性に満ちた美しい生活空間を作られているのが印象的でした☆




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?