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要らんことしぃ


ここんところ、すこぶるやる気が無い(  ̄- ̄)
いつ回復するんだろー?

余計なお節介

そのもののこととか、お節介する人のことですね!

こういう、余計なお節介をする人って、承認欲求が強いらしいですよ。めんどくさいですn対応に困りますよね。


私はよくブログで
「○○なときは□□と考えると良いですよ!」
の、ように、気にならなくなるための考え方とか本質の部分を書いてますが、これは

[気付くべき人が気付くべきことに気付けると、その問題事が目の前から消える]

ので、ちょっとそのお手伝いをしてるんです。

この前私自身も、
『お節介な人=承認欲求の塊 なんだ!』
っていう部分と、その辺に関連した色々に気付いたらお節介に感じていた行為が止んで助かったので、もし余計なお節介に悩まされている人がいるなら、
『このお節介な人は、認められたい人なんだな。』
という視点で少し見てみると、何かが変わるかもしれませんので、ちょっと気に止めてみると良いと思います◎


私もそうですが、エンパス、繊細、HSPなど、細かいことに敏感に気付いてしまうタイプもお節介になりやすいんですよね。

自分もお節介になり過ぎないように気を付けなければいけません。

他人に干渉する前に、まずは自分のお世話をする!

これを心掛けるのが鉄則です。

「○○をしたら、あの人のためになるかな?」
「○○をしたら、みんなのためかな?」
の、前に
「○○をしたら自分が助かるな!」
必ず自分のお世話を先にやります。


極端に例えるとするなら、散らかり放題のリビングがあったとして、母親が
「ほら、自分の物は自分の部屋に持って行きなさい、片付けなさい。」
と、子供の私物をまとめるのではなく、母親自身の物をしっかりあるべき場所に片付けるように心掛ける感じですね。

「ほら、歯磨きなさい!」
怒り続けるよりも、親自身が毎度毎度当たり前のように歯を磨く姿を見せていた方が子供も真似して磨くようになりやすいのもそうですね。

職場の共有スペースを掃除してくれるよりも先に、その人自身のデスクを片付けてくれた方が助かるのもそうですね。

公共の場で泣いてる赤ちゃんに
「うるさい!」
と怒鳴る人がうるさいのも、根本の原因は同じです。


他人に対してあーだこーだ言う前に、自分の状況、状態をしっかりケアする。

人として、大人として、
『まずは、自分が整っているのか?』
振り返られること。

多様性の世の中を生きていく上で、多くの人がまず、最低限身に付けたいマナーなのではないでしょうか。


「自分のケアをする。」
簡単に言っても、できるようになるまでは結構大変だったりするんですよ。人によりけりですが、特に他人に干渉し続けてきた期間が長い人ほど、
『まず、自分はどう感じるんだろう?』
という感覚で自分を見返すのって難しいんです。

だから、これまでに何度も書いてきたように、ことあるごとに自分を省みる精神のトレーニングを繰り返すことはとても大切です。


今日メインで書きたい部分というのは、

『誰かに認められたい。』
という心理から、
["無意識の内に"気が利くと思われそうな行為を行っている]

という部分の話です。

幼少期などに、なかなか周りの大人から認めて貰えなかったような人や、周りの大人が厳しかった、怖かったという環境下で育ったような人は

『自分は、こんなに、やってます!』アピール

が強いです。

それによって、
『自分は、こんなに、他人のために、やってます!』
という行動をやりがちなんですよ。でも、この行動には、本当に他人のためになるかどうかは関係なくて、
『やってます!という、アピールが通じればそれで良い。』
という深層心理があるので、ただのお節介でしかない場合の方が多いんですよね。

この手のお節介は、非常に厄介に感じるのは…きっと私だけじゃないはず。

先日私がこの部分に気付いただけで、ピタッとその厄介お節介をされなくなったので、もしかしたらピンときた人の中には、この話を読んだだけでもお節介が止む人もいるかもしれません。思い当たる人は、気に止めておくと良いと思います◎


厄介お節介を行っている当人は"無意識に"
『これさえ行っておけば、気遣ってるフリができるよね☆ミャハ』
的な打算を含んでいるので、まともに
「その行為、止めてくれませんか?」
と交渉したところで、止めてくれない場合の方が多いと思います。

厄介お節介に走りがちなのは比較的女性に多いかもしれません。

男性の場合は、
『これさえ言っとけば、自分は努力してるフリできるよね☆ミャハ』
的な打算から、お節介叱責が増えるパターンが多いですね。要らんとこで無駄に注意したり怒るっていう、アレです。

ほっとけよ。その一言が通じない。

これですね。


こういう人に疲弊させられてしまった場合はまずこの話を思い出して、
『なるほど、この人たちは認められたいんだな。ふむふむ。』
と、観察日記でも付ける位のメンタルで対応すれば、多分面白くなってくると思うので、
『どうしたら止めてくれるの?どうしたら、通じるの?』
と、気に病まないようにしてくださいね◎

自分の精神衛生を疲弊させなくて良いという部分はまず忘れないでください。


その上で、その厄介な相手には
・して貰えて嬉しかった点
・注意されて助かった点

など、自分のためになったポイントがあれば、素直に
「この前の○○、とても助かりました、ありがとうございました!」
って、具体的に感謝すると、余計なお節介の部分をしなくなってくれる可能性が高まります。


別のパターンだと、
「この前してくださった○○、とても助かったのですが、行う場合はタイミングをこちらに伺ってからにして貰えませんか?」
など、
①止めて欲しい部分を明確に、具体的にする
②伝えるときは「止めてください。」ではなく「こういう風にしてください。」と頼るような言い回しを心掛ける

の2点に気を付けた方が伝わりやすくなります。


どうしても、厄介お節介な人に対して
『邪魔だなぁ。』
という気分になる場面の方が多いんですけど、そうではなくて
『この人は、自分の役割が欲しいんだな。』
という視点で見ることで、その人との関係性は上手く転じられる可能性が高まります。

まぁ…こういう書き方をすると元も子もないのですが、当然[人による]という事実からは逃れられないので、あくまで
「可能性が高まります。」
としか言えないのですが、ちょっと角度を変えた見方をするだけで変化するものって凄く多いので、ピンときてる人は、まずは相手の行動の観察から始めてみてください。

あなたが変われば、確実に何かは変わるんです。"何が""どんな風に"変わるのかという部分を私が断言しきれないだけで、≪変わる≫ということは断言できます。

ピンときてる人は是非、視点を少し変えて見てみてくださいね。


もう少し深い部分に切り込みます。

以前からよく書いてますが、人間は古代より
[群から孤立する=死]
というプログラムが遺伝子に強く残っている訳です。

このプログラムからの

『群の中での役割が欲しい。』

という無意識によって、お節介に走ってしまうケースもあり得ます。

このレベルの無意識になると、本当に自覚するのも難しい上に、より一層
「その行為、止めてください。」
が効きません。なので、この場合も
「○○をせずに、□□をして貰えると助かるのですが?」
という風な代替案の提示、役割をお願いして、与えることが非常に効果的です。


この遺伝子プログラムからくる
『群の中での役割が欲しい。』
という無意識、もっと変化して

『人間は、誰かの役に立っていなければ生きている価値はない。』

という強い思い込みも生んでいます。

この思い込みが、私たちを強く苦しめる要因にもなっているので、私のブログを頻繁に読んでいる皆さんは特に、この部分に注意が必要なのかもしれません。


前々から書いているように、
「自分の行動によって△△な人を救いたい、自分の行動によって△△な人が救われて欲しい。」
一見素晴らしいホスピタリティーのように感じますが、
["△△な人が救われるから"自分に価値が生まれる]
という順序で存在価値を見出していてはダメなのです。

自分には何をしていなくても、そもそも価値がある。

この部分を軸に持った上で行動することが大事です。


シビアな言い方かもしれませんが、魂磨きたいガチ勢(笑)の一部の人は、この部分を腑に落とさなくてはいけないので
『人のため、世のために…!』
と思って行った行為が裏目に出てしまうことを自覚しないといけないフェーズの人もいると思います。

多分、
『自分が良かれと思って行っていた行為が…実は迷惑だったんだ…。』
って、凹まざるを得ないような経験をする場合もなきにしもあらずなんですよね。辛いですけどね。

でも、我々魂磨きたいガチ勢(笑)にとっては、ショックを受けたとしても、それもそれとして、

『そうか、自分にはそもそも価値があるんだ!』

という部分をしっかり腑に落とすことの方が大事なので、ビビッときてる人は、この部分を気にしてみてください。


ここまで深い部分の話になると、人によっては仕事、仕事の方向性、生き方の方向性など、大きい面での変革に関わる話になってくる人もいるかもしれません。別に、いきなり180度方向転換する位の思い切りを発揮する必要はないとは思いますので、気付いた場面からちょこちょこ

『別に、誰のためにならなくっても、自分には生きてる価値がめちゃくちゃある!』

って思い直すようにするとクリアできるようになってくると思うので、必要な人は参考にしてみてください◎


私最近思うんですよね。

『生き甲斐を見出せないのは、私自身のためになることをやりきれてないからなんじゃないか?』
って。

『誰かのため…』
ではなく

『自分のために、自分は生きているんだ!』

っていう確信を持てることで、生きている実感も意味も見出せて、他人の足を引っ張らずに真っ直ぐに人生を進めるんじゃないかなって。

人は持ちつ持たれつ、協力して生きるのはそうなのかもしれませんが、人に頼ること足を引っ張ることは別じゃないですか。

この辺の区分もクリアにできる人が増えますように。

私も私のために命を使えるようになりますように。

余計な部分にエネルギーを注がずに済む人になれますように。



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