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水の国 ィイ・ヤシロ・チ⑦

カミは火と水からくると、わたくしに教えてくれたのは、誰だったか。なるほど、火と水があれば、人間は生きてゆける。

そして、日本は世界最高水準に潤う水の国である。

水が豊かな国に生まれたけれど、わたくしの子ども時代は、渇水に悩まされている大人たちを横目に見る夏を、何度も過ごした。

ある日、近所の大きな農家の跡取り息子(と言っても成人)が、マムシに噛まれて入院する事件があった。なんと、稲の為に田んぼに水を入れる順番が決められていたのに、夜中にコッソリ水を引き入れに行って、蝮を踏んだらしい。かなり大変なコトになっていたようだが、「ズルいことをすると、バチが当たるんだ」と全く同情していなかった大人たちのこわい表情が、わたくしの記憶に残る。

このような農家の水ケンカが起こる、水道の蛇口から水が出ない光景、細くチョロチョロとしか出ない水を貯めてお風呂を用意する母の苦労、雨を降らせる実験だと、セスナから何やらの薬品を撒いているのを見上げたカンカン照りの空などなど。それでも、隣の祖母の家には井戸があって、その水で冷やしたスイカを食べたりもして悲愴感はない。無責任でいられる子どものわたくしには、まるで悲喜劇の映画を観ているような感覚が残っている、遠い日の水騒動だ。

美味しく安全に飲める水があることが、どれだけ有難いかを、やっと自分ごととして体験したのは、バイトで貯めたお金で初めての海外に、中国を旅したときだ。

一泊目の上海のホテルの蛇口から出てきた黄色い水に我が目を疑い、同室の友人を大声で呼びつけた。コップに貯めた水の色を二人で凝視して初めて、絶対に生水は飲んではいけないとする「地球の歩き方」の注意事項の意味を、素直に了解した。

沸かしたお湯で入れたコーヒーやお茶ではお腹は壊さなかったが、ホテルでそれらを飲んでも何やら臭う。コカ・コーラや青島ビールが一番うまいというツアーメンバーも現れた。40年前の中国では、北京も上海も西安も、水道水の質は良くはなかった。

帰国して入った大阪の喫茶店で出された、多分出国前には不味いと文句をつけていた水を一口飲んで、メンバー全員が目を輝かせて「美味い!」と歓喜した。周りのお客さんたちに怪訝な顔をされて恥ずかしかったことも、ハッキリと憶えている。

つまり、わたくしは、水こそが、この国土の最高の宝物、恵みだと言いたいのだ。

飲用水をペットボトルで買うようになったのは、それほど昔ではないけれど、ヨーロッパのようにワインより高いなんてことは、まだない。イタリアのスーパーで高い水を買うことに抵抗を感じた旅の思い出も心に残る。

「命を育む真の水は、人間には作れない」。当たり前のことに、真面目に考え込むのは、わたくしだけであろうか。

それでも、この国では現在、飲み水の心配よりも、豊かな雨量と急峻な地形が合わさる水害の危険のほうに人の耳目が集まりやすい。更に気候変動との関連からか、年々災害がもたらす被害規模が拡大と報道が喧しい。

水の災厄を宥める為に、古代から続く龍神やミズハノメ、イチキシマヒメという水を司る神々を頼む信仰は、現代でも殆どの神社に見られる。今こそより一層大切に祀られるべき神様方だ。

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だからこそ、出逢えた龍神様には、わたくし事の願望ではなく、御加護に感謝と喜びをお伝えし、人の仔が願う、命を優しく養うような水のお手配をお祈りさせていただくのだ。

さて、水はわたくし達の周りに常に在るのにも関わらず、水についてどれだけのことを知っているのか。わたくしは、殆ど何もないことに、唖然とする。そして、ここに科学的にまとめられた良書があることに安堵し、学ぶのである。

https://ohmsha.tameshiyo.me/9784274226144

サイエンスの分野での価値だけではなく、水のもつ美は、人の心の糧にもなる。これまで数多の芸術家たちがあらゆる手法を通じてその美しさを表そうとしてきたことも頷ける。

クラッシック音楽ではラヴェルの「水の戯れ」は、(陳腐な修飾でお恥ずかしいけれど)すばらしい珠玉の名曲である。

https://youtu.be/mFyhcACV02c

美しく生命を育み、潤いを与えながら、時には命を奪うほどの力を見せつける水。謎と不思議の詰まった宝物。それを潤沢に与えられた日本は、国全体がイヤシロチなのかもしれない。

此処に暮らすわたくしたちは、その値打ちを活かし、損なわないように努める大事な役割を担っている。

かつては各家庭の目の前に川から引き入れた洗い場があって、洗濯も皿洗いもそこで済ませられるほど、すばらしい水質だった。そこまでは望むべくはないけれど、なんとか水の回復を図れないものか。

水との付き合い方が、今よりもう少し上手くできるようになれば、水の神々の御加護よろしく、わたくしたちはきっと健やかに生きてゆけるだろう。

なにせわたくしたちの身体の半分以上を占めているのは、他ならぬ水なのだから。

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