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名暮少年よ、そして名暮青年へ。

 十年前の私へ。
 今の想いを言葉にしても、どうせ届きやしないでしょう。タイムマシンは未だ発明されていませんし、そもそも私が存命中に実現するとは考えにくい代物ですから。
 それでも、十代の私が歩んできた人生を整理するくらいにはちょうど良い機会だと思い、こうして文章を書き連ねています。今日は成人式前夜ですからね。十年前の私は、二分の一成人式を終えて一か月ほど経過した頃でしょうか。実にやんちゃで他人の気持ちなど米一粒も分からない少年でしたね。担任には散々迷惑をかけた記憶があります。
 そんな私にも転機が訪れますよ。八年前の私もきっと同じことを言うでしょうね。小五、小六で恩師に出会います。思い返すだけで羞恥心が込み上げてくるほどお世話になりました。大変感謝しています。
 ……その感謝を本人に伝える機会は二度とないと思いなさい。
 あと、少しは感傷に浸って涙を流すことを覚えたらどうですか。
 なんて、無理か。今の私ができていないですし。
 忘れてください。

 さて、医者になりたいと心中願っていた少年は、今や農学を専攻する一介の学徒となりましたよ。医療の医の字もないように感じますが、見方を変えれば<農作物のお医者様>です。人間が生命活動を続ける上で必要不可欠な<食べ物>という分野を本気で研究しているのです。もちろん、これからどうするかは今の私にも分かりません。食料安全保障やグリーンインフラにも興味がありますから、<農作物のお医者様>とは言い難い研究に進む可能性だって考えられます。
 それでも、良いじゃありませんか。成り行きでこうなったのかもしれない。しかし、私は本気になれた。文系筋だった私が結果的に理転まで農学を志したのです。困難な挑戦も悪いものではなかったと、今はそう断言できます。

 ……思い返せば、困難な挑戦ばかりしてきた人生ですね。中・高・大と、受験は常に背伸びをして、散々な結果に見舞われながらも立ちはだかる断崖絶壁を越えてみせると息巻いていました。願い通りに事が運んだ記憶は一度もありませんが。
 単純に馬鹿なのです。馬鹿だから、立ち止まって考えることができなかった。<努力>という言葉に憑りつかれていたのでしょう。そのくせ、ろくな<努力>もできていない。記憶を辿れば辿るほど、<努力>という言葉に似合わない人間に育ってしまったと自覚せざるを得ません。

 そんな名暮少年に多大な影響を及ぼした<創作>は、一種の逃避行動から始まったものです。幼い頃からネット環境は身近にあったものですから、キーボード入力は周囲の誰よりもできました。中学時代の私が「今の自分にできること」を考えた時、執筆という選択肢が浮上してくるのは想像に容易いものです。
 読書よりも執筆に注いだ時間の方が圧倒的に多い気がします。それで良い文章が書けるのか疑問に思うかもしれませんが、私の作品を「良い」と言ってくださる方はそれなりにいますよ。心の底から<創作>を続けて良かったと感じます。

 ……その後筆を折らずに書いていますかね、十年後の私は。

 十年後の私は、ほとんど間違いなく<労働>に心血を注いでいるでしょう。職種が何であれ、きっと順応しているはずです。今までがそうでしたから、きっとそうであると信じていますよ。……その頃にはもう少しまともな小説を完成させているでしょうか。<駄文>も書き連ねれば<名文>に昇華する日が訪れるのでしょう。今はそれを胸に執筆を続けなさい。

 時々、自分の健康状態について考える時があります。十年もすれば値段の張った美味い酒をきっと手に入れていることでしょう。しかし、私はアルコールにめっぽう弱いということを忘れてはいけませんよ。今日も無事に生きられたことに感謝して、味わいながら少しずつ飲んでいきなさい。
 あと、少しは運動をした方が良いですよ。筋肉をつけなさい。痩せすぎです。

 機会があれば、友人と顔を合わせること。幸運なことに、私は気の知れた友人に恵まれました。その縁を絶つようなことがあってはいけませんよ。世の中には<創作>や<労働>よりも優先すべきことがあります。良き友人を失ってはいけません。
 他人の意見には耳を傾けなさい。同時に、自分の意見はある程度正直に言いなさい。溜め込んではいけませんよ。人生のペースを他人に乱されることだけは、絶対にあってはいけませんから。

 あんまりダラダラ書いてしまうと本質を見失うので、このあたりで総括します。

 十年前の私よ。当時は完璧だと感じた文章も、今読み直せばただの<駄文>です。それでもあなたの想いは伝わってきました。ここまでいろいろと言ってきましたが、私は私が歩んだ道を何だかんだ受け入れています。たくさん後悔して、失敗して、挫折して、そうして大人になりなさい。
 ……今の私が大人かどうかは、分からないけどネ!

 十年後の私へ。生きていますか。生きていたら、更に十年後の自分に向けて何か書き残しておきなさい。その時の想いはその時の私にしか分かりません。いつか読み返した時、何かのキッカケになることだってあるわけです。
 今の私と十年後の私、どちらが深く物事を考えているかは知ったこっちゃありませんが、それでもベクトルは概ね同じであることを願っていますよ。真逆でも、後悔がないならそれで良いです。とにかく自分が是とする方向に進みなさい。

 永遠にさようなら、十代の私。
 十年後にまたお会いしましょう、三十路の私。
 もしこれが<駄文>と感じたら、遠慮なく二十歳の私に言ってください。
 ……どうせ、届かないけどね。

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