「何でこんな人生になっちゃったのかしら。来世で頑張るわ。」私は私でよかったのか?老年期に自分の人生をふりかえるということ。
以前、発達課題についてちょちょっと書いた。
老年期になると、一度獲得した能力が徐々に低下してしまうことがある。それは、病気が原因のものかもしれないし、年齢を重ねるごとに多くの人がたどる道でもある。
「そういえば、料理が得意だったのに、同じ献立ばかりになったり、インスタントで済ますことが増えていたんです。」
「あんなに多趣味な人だったのに最近は全くしなくなってしまって。」
本人や家族も知らず知らずのうちに認知症が進んでいくことは珍しくない。
私は仕事で認知症について家族指導をすることがある。家庭の歴史、本人や家族のキャラクター・・・あの説明で良かったのだろうか、日々自問自答する。
「できなくなったことを指摘するのではなく、できていることを伝えてください。」
「ここまではできます。ここからはこのように手伝ってください。」
「まわりの方が適切な対応をすることで、ご本人が安心して生活することができます。」
一度獲得した能力が自分の手からこぼれ落ちていく経験を私はしたことがない。机上の知識でしかないが、自信を失ってしまい、良いことも悪いこともあった過去を否定して、ただただその先の未来に絶望してしまうのかもしれない。
「なんでこんな人生になっちゃったのかしら。来世で頑張るわ。」
そんな自己否定的なことばを傾聴することも珍しくない。そんな時、私はその人の人生を振り返ってもらうようにしている。
今、無いモノを数えるのではなく、そこに確実に有ったモノを丁寧に再評価していく。
「お花を生けるのが得意だったわ。」
「娘が生まれたときから洋服をたくさん作るようになってね。ほとんど買わなかったわ。」
戦争体験、食べる物に苦労して兄弟で支え合ったこと、結婚して、子どもを育てて、孫ができて、親や配偶者の介護と看取り・・・こんなに頑張ってきた人生を人は否定してしまうものなのか。
「私は私でよかったのか?」
そんな自問自答を繰り返し、人生を統合する作業のお手伝いをさせてもらっている、私はそう考えるようになってきた。
そして、私は自分の選択に自信が持てないとき、過去の自分に問いかける。
「私は私でよかったのか?」
今、無いモノを数えるのではなく、今、ここに有るモノを数えていく。
するとどうだろう。「何も無い。」と思い込んでいた手の中にたくさんのモノが溢れてくる。
私は私でいい。私は私であることを頑張るだけだ。
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