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病気の後遺症で障害を持った患者様をみて思う。あなたは過去と未来のわたしだ。

私の職業は言語聴覚士だ。

病院で主に脳血管疾患や加齢にともなう高次脳機能障害や嚥下障害、構音障害の訓練をしている。私の職場では臨床していないが、その他に言語聴覚士の対象は自閉症やADHD、LD、知的障害、聴覚障害などの訓練がある。

以前、担当した患者様の言っていたことを思い出す。

「前の席に座った人の食べ方が汚くてね。ボロボロこぼすし、何でそんな食べ方するの不快だわあって思ったんだわ。そういう食べ方しかできんのだね。」

後遺症により手足の麻痺の症状が出現、とうとう全介助となってしまった人だった。重度嚥下障害が出てしまう病巣で、発症時には小さなゼリー1個食べるのも命がけであった。

人はピンピンコロリで亡くならないかぎり、疾患や加齢に伴い機能障害が出現する。

職場にはいないが、寝たきりで拘縮のある方を見て感じる。


「ああ、人は生まれたときと死ぬときの姿は似ているのかもしれない。」


ひとはおなかにいるとき胎盤から臍の緒を通して母親から栄養をもらう。生まれたときの喜怒哀楽は全て「泣く」のだ。誰かに母乳をもらわなければ餓死してしまう。徐々に嚥下機能が発達してくると、離乳食が始まるぞ。ミキサー、きざみ、やわらか、普通食、嗜好の偏りがあり両親は「どれなら食べられるかな?」と試行錯誤してくれただろう。嫌いなものは舌で押し出してしまう。注意機能はまだまだ発達段階、食事中だって注意散漫だ。食べ物で遊んでしまうことだってある。最初は誰かに食べさせてもらっていたけれど、つかみたべ、スプーンにフォーク、やっとお箸で食べられるぞ。ことばも発達してくると「むにゃむにゃ」と何を言っているのか分からなかったのに、有意味語がひとつ、ふたつ、徐々に長文になって駄洒落だって言えるようになってきた。身体機能だって、寝転んだままで手足をばたつかせることしかできなかったのに、寝返り、ずりばい、ハイハイ、つかまり立ち、よろよろと歩き出したかとおもったら、いつのまには走れるようになってる!!保育・幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と徐々に複雑な内容を学習できるようになる。

これを今度はさかのぼってほしい。

自分の年老いた祖父母や両親に重ねて想像してみてほしい。


目の前にいるあなたは過去と未来の私だ。


職場に悪阻で苦しそうな表情をしながら働いている女性、大きなおなかで買い物に出かけて荷物を持っている女性、電車やスーパーでベビーカーを押している女性、泣き止まない赤ちゃんをあやしながら荷物を抱え「すみません。すみません。」と周りに申し訳なさそうにしている女性。

それはきっと、私を産んでくれた過去の母であり、姉妹であり、娘、孫、友人、そして未来の私だ。

杖をついて道をよろよろと歩いている人は事故により障害を持った友人、年齢をかさねた祖父母、そして未来の私だ。

トイレに失敗したと涙しているのは、過去の私であり、年齢をかさねた両親であり、そして未来の私だ。


目の前にいるあなたは過去と未来の私だ。


想像力の欠如が人を傷つけてしまう。

目の前にいる人を思い行動することは過去と未来の自分を大切にすることにつながるのではないだろうか。


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