あはひ『ピテカントロプス・エレクトス』観劇

 昼過ぎに通院して薬をもらい、午後は会社に行って唯一の出社業務と言っていい物品の出荷作業を終えたらもう退勤時間だった。有楽町線で着く池袋駅からは東京芸術劇場が近いことを知る。大量に送付状を印刷して梱包する作業を終えた達成感と気だるさで椅子にもたれかかると1週間の疲れが湧き上がる。最近飲み始めた方の薬の副作用で眠りが浅くなっていて、19時頃に眠気に襲われることが何度かあったのを思い出す。起きていられるといいんだけど。
 舞台を囲んで四方に席がまわしてある。この舞台のに似た組み方で、いつかKAATでゴドーを待ちながらを観た。それこそ途中で眠ってしまったはず。でもこれは劇の後でこの文章を書いていて思い出したことで、観劇中はたぶん川沿いにあった劇場でハイバイの劇で、ギリギリ滑り込んだ距離の近い座席の感じを思い出していたと思う。久々のチラシのかたまりがうれしくてぺらぺら捲るけど、興味を持つアンテナが錆びている。この間の文学フリマも、知り合いのブース以外の買い物をしなかった。錆びつきを悲しいとも思えず、諦めたような気持ちで知っている劇団や知っている劇場のパッと見て面白そうな演目だけを拾い上げていると視界の端にゴリラがいた。ゴリラの割に細くて軽くて、人間の皮をかぶったゴリラ、というフレーズが頭をよぎったけど、おそらく逆だな、と疲れた頭がそれでも鈍く動いて訂正していた。
演劇が始まる前の劇場は、物音が明るく響く広い空間。開演時間の前のゆるいBGMとちょこちょこ動いてるエセゴリラの物音。劇場の中央にぽっかり空いた穴、を囲うコーンとポールが撤去されていく。まもなく開演のアナウンスですこし空気が締まって演劇を待ち受ける構えが出来上がっていく。そのすべっていくかんじにうまく乗れているのに気づいて、今日は演劇を受け止めるのに適切な身体でいるという感触をつかんだ。ひとつの作業に立ち向かって疲れた分、自由になった脳があっちにこっちに場をとらえて言葉を走らせている。

 ゆくかわのながれは、冒頭の数行、頭の中の声が並走したがるけどまったく覚えていない。
 皆着ている服が肌に心地よさそうな感じだった。ゴリラを除く。
 声をそろえる、同期している「我々」猿人。エンジンと聞こえて、猿人と分かって、それから円陣でもあるなと思った。だれも外れてはいけない円陣。
 声が伸びていく個体差、ひとが遠くに声を通すようにして話すのを久々に聞いた。書いてる今はアクリル板越しでまったく会話が通らなかったブルーバイユーでのランチコースの時間を思い出している。音量の大きさに耳驚いたけど怒鳴りの不快はない、tonalな統制から微妙にゆらぐ声たち。
 猿人たちはことばの間隙がおおきくて、この間の合間に思考がゆらめき続けたらたぶんそのまま意識落ちるな、と予感したけど、その後リズムが回転して、うまく乗っかり直した。言葉のスピードが徐々に加速する。川は水平に流れるのではなく、垂直に落ちていく、穴に それは地層、重なっていく地層に時間を預けていることになる、いまを生きる我々の"歴史"はマクロからの目線に圧縮されて混じり合う。猿人が原人に、原人が旧人にかける言葉は結果論を持つ側の得意げな語調だ。ふるい方の声は穴の上から語りかける貫いた声でなく、やわらかに地平の果てから鳴る。

 猿とひとの長明が向かい合って会話する、猿はだれだろう。したたかな幽霊みたいな声だった。すこし未来みたいな声、現実から遊離した声。X万年前、と原点を「今」に過去が話をする歪みから解放されて、「今」は未来からまなざされ、結果論の次元を大きく超えていく。それは忘却、データの破損。
 いろんな機材が渡された天井にプレパラートの微生物を顕微鏡で覗いたみたいな模様がうつろっていて、猿とひとと一緒に上を見つめていた。Siriみたいな発声で死語をもちいるのはなぜだろう。
 大きな眼差しが小さな声をひとごとのように見てしまわないか不安だった。被害者より加害者のほうがあわれ、そのあわれを見透す気持ちはひとつひとつ加害にある生の苦しみよりも加害と被害を大きな眼差しでとらえているから、他人事だから、不安になる。
 けれど未来と邂逅し別れて終わるのではなく、我々ではなくそれぞれの声たちが地層に叫び掛けるから、小さな声のことが忘れられていないとわかって少し安心する。安心するけど、小さな声があることと、大きな眼差しではそれらが抜け落ちていくことが同じおぼんの上にあって、それではその小さな声たちにどんな意味があるのか、ないのか、泡沫である飛沫のひとつひとつは流れ去っていなくなることに、どんな気持ちがあったのか、その答えには迷っているような感じがした。答えが出ないことは構わないと思った。
構わないけど、イスラエルの虐殺が苦しくてしょうがない今見てしまうと、すこし物足りない。これはいまの心持ちのはなし。

 水は流れ去っていくけど、わたしたちにとっては泡沫のひとつひとつが目の前にある現実で、でもそれがどうであれ全て猿人原人旧人とまとめてピテカントロプス・エレクトスになる、その上でどこに行きたいのか、わからないね、そうだね、とおもった。

最後にゴリラの皮を外した俳優から散った汗がきらっと光りながら飛んでった。

#観劇 #日記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?